第60話 魍魎堕ち

 あたりに沈黙が落ちた。

 周は演技をしているようには見えなかった。

 日本語が流暢なのも、あるいはもともと日本に憧れ、必死になって勉強していたからかもしれない。

「あなたに信じてもらおうとは思いませんが、これでも私は絶対人権委員会のなかで、日本人の比率をあげようとしています。確かに絶対人権委員会がC国人偏重なのは事実です。私は、あらゆる差別を嫌っています。だからこそ、現在の人権主義こそが正しいものであると信じています。日本人の生活水準はかつてに比べれば大幅に低下し、寿命もずいぶんと短くなりました。しかしこれでも、日本人はまだ優遇されているほうなんです」

 等は呆然とした。

「原則として、大亜細亜人権連邦は、州単位で食料生産やエネルギーの配分を行っています。現在の日本の人口は八千万人ほどですが、これだけの人間を食べさせていくのには、日本はあまりにも農業生産性が低すぎる。米を生産しようとしても、手間がかかりすぎるので大量のエネルギーが必要となるんです。具体的に言うと、農作業用自律機を動かすと膨大な電力を消費する。石油、石炭などは貴重すぎるので原発でつくった電力に頼らざるをえない。かといって人力でやろうとしても、効率を考えるとジャガイモのほうが安定して大量の熱量を日本人に与えられる」

「待て。じゃあ昔の日本人は、なんであんなに旨いものが食えたんだっ」

「簡単なことです。国外から、大量に食料やエネルギーを輸入していたからですよ。ですが、人権解放軍が日本を『解放』した時点では、すでに日本は少子高齢化がひどくなり労働力も減少して、かつての蓄えも使い果たしていた。というより、借金だらけでほぼ経済破綻していました。葦原さんなら、あの時期のことは覚えているはずですよ」

「あ……あれだって、C国が悪い! C国経済がおかしくなって、それから第二次世界恐慌が始まったんだろうっ!」

「それも事実です。しかしすでに、当時の日本政府はとてつもない金額の借金を国民からしていた。結局、返済できずに日本の通貨、円は価値を失い、海外から輸入ができなくなった。人権解放軍が受け入れられたのもそのためです。少なくとも、私たちは日本人が飢餓で絶滅する前に、日本人に食料を与えた」

 周の言葉に、葦原の勢いはしだいに弱まっていった。

 人権解放軍がやってくる前、日本が一時的に政治、経済的に混乱したことは知っていたが、その隙につけこまれて人権解放軍がやってきた、としかいままで考えていなかった。

 立場によって「同じ事実」であっても、見方というものはまるで変わってくるのだ。

 等も、混乱していた。

 いまの人権主義に疑問を抱き、光に真実を教えられたと思っていたが、それは間違いだとようやく気づいたのだ。

 光は事実は述べていた。しかし詳細なことは光の家に残っていた記録や紙の本などから、等が自分で調べあげたことなのである。

 絶対人権委員会は間違っている。

 どこかでそういう思い込みがあったから、自分に都合のよい情報だけ取捨選択していたのかもしれない。

 いまでも、この制度がおかしい、という基本的な考えは変わらないが。

「わざと日本国民に低熱量の食事を与え、抑うつ的になる薬物をまぜていたんではないんですか?」

「薬物に関しては事実ですが、それはそちらのほうが、全体としてのエネルギー消費が低くてすむからです。低熱量の食物は、意図してというわけではありません。これが日本州で生産できる食料、ぎりぎりなんです」

「それはおかしい」

 等は言った。

「だったら……昔の日本は外国から食料を輸入していたんですよね? つまり、食料生産の多い国から食料を買っていた。でもそのお金がないので、いまは輸入ができない」

「その通りです」

「だとしたら、あまりお金がない他の国は、昔は食料を輸入できなかったということになる。そういう国はどうやって、食料をまかなっていたんですか?」

「いまの日本州と同じですよ」

 周はなんでもないことのように告げた。

「自前でなんとかしていました。もちろん、そうできない国もありました。そうした国々では、多くの人々が餓死しました。ちなみに今の日本で餓死者は丙種地区でしか見られません。餓死者の比率は人口全体からすると千人に一人ですね。昔の日本人が味わっていた贅沢な食事は、それを買えない外国の貧しい人々の犠牲の上になりたっていたんです」

 等は絶句した。

「いまでは、大亜細亜人権連邦では餓死者は限界まで抑えられています。多数の民を養うためには、全体の生活水準を下げる必要がある。それが人権的にも正しいことだからです。ですが、もう……あなたがたには関係のないことですね」

 周は冷静に告げた。

「あなたがたは、これから人権を剥奪され、『魍魎』となるんですから」

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