第36話 猜疑
「はあ」
光がつかれたように言った。
「まいったなあ。ここまでいきなり序盤からつまずくかあ。やっぱり、私の見通しが甘かったかも。平くんも、なんかごめんね」
「いや、俺は別にいいけど……でも、あの二つの組織って大丈夫なの?」
「そこなのよね」
ふいに光の目が鋭さを帯びた。
彼女はときおりこういう目つきをする。
「組織そのものの理念の違いとかはともかくとして……たぶん、絶対人権委員会のスパイ、入ってるんじゃないかなあ」
「スパイ……」
ぞっとさせられる言葉だ。
「絶対人権委員会は決して馬鹿じゃないから、両方の組織の実態はある程度まで、掴んでいるとは思うのよ。ただ問題は、誰がスパイかさっぱりわからないこと。おかげで両方とも、疑心暗鬼になっている。今回の申し出にも、連絡員としてそれぞれ一人ずつよこしたけど、あの二人はいざというときは切り捨ててもいいような面子よ」
「そうなの?」
「重要人物をいきなり送ってくるわけがないでしょう。つまり、私もスパイかもしれないって思われているわけ」
恐ろしい世界に足を踏み入れていることを、等は実感させられた。
そういえば以前、読んだ「一九八四年」でも、協力的だと主人公が考えていた人々が実はスパイだったということがあった。
いま自分が置かれている状況と、よく似ている。
「私も『日本解放戦線』や『真人権会』の内情に詳しいわけじゃないから。言ってみれば、みんな絶対人権委員会を敵視しているという共通点があるだけで、ばらばらなの。他にも幾つかのそうした組織はあるって噂はあるけど、私にもわからない」
「電脳狩人でも?」
「電脳狩人としてはそれなりの技量だっていう自負はある。だけど、電脳狩人だって魔法使いじゃないのよ。限界はどうしてもあるの。もともとの組織の性質上、反絶対人権委員会的なところは地下に潜る。電網だと絶対人権委員会の目が光っているから、たぶんもっと原始的な方法でお互いに連絡、とりあっているんでしょうね。あとは、独自に電脳狩人を抱えているのかもしれない」
こんなことで絶対人権委員会に対して果たしてなにが出来るのかという絶望的な気分に襲われた。
誰も彼もが互いを疑っている以上、共闘といっても限度がある。
「こんなんで……絶対人権委員会に勝てるのかな」
「千里の道も一歩から、ってとこね。少なくとも、すでにそういう組織が幾つか存在している時点で、まだましかもよ。ただ、ときとぎ不安になることもあるけど……」
「不安?」
「よく、絶対人権委員会に敵対する組織なんてつくれたものだなって。ひょっとしたら……それすらもが『罠』なんじゃないかって」
「罠って、まさか……」
「そのまさか」
光の目に昏い輝きが宿る。
「『日本解放戦線』も『真人権会』や、他にも存在する反絶対人権委員会的な組織は、実はぜんぶ、『裏で絶対人権委員会に操られているかもしれない』」
まさか、とは思う。
しかし可能性がないとは言い切れないのだ。
これが国家に歯向かうということなのかと考えると怖くなった。
「そういう組織は、言ってみれば反体制派への餌であり、罠でもある。ほいほい組織に参加したのはいいけど、頃合いを見計らって一網打尽とか。自分でも考えすぎかもしれないって思うけど、ひょっとすると私自身、単に絶対人権委員会に泳がされているのかもしれない」
「さすがにそれは……」
ない、とは言えない。
だとすれば、光そのものが餌として利用されていることになる。
万一、そんなことがあるとすれば、自分はその餌にかかった愚か者だ。
「いや、ないよ」
ここで弱気になってどうする。
いまの光は、怯えた子猫のように見えた。
彼女の体を抱きしめる。
「大丈夫だから……俺たちは絶対人権委員会を倒す。用心にこしたことはないけど、光のことは俺が護るよ」
「その言葉……信じていいのよね」
光の声は恐怖のためか、震えていた。
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