飯を食う。大正編①
朝食の献立は鰯の丸干し、白瓜の漬け物、梅干し、青菜のお浸し、そして米七に麦三の割合で混ぜた飯と大根の味噌汁だ。田舎の農家と比べると、すこぶる豪勢である。なにせ、農村では麦や雑穀を多く混ぜた飯に、汁物一つだけの朝食がほとんどだ。夏江が生涯で米の方が多い飯を食べたのは、正月程度なものである。
八葉女学校では、外国の文化を積極的に取り入れている。そのうちの一つが、栄養のある食事だ。朝、昼、夕と三食正しく食べる。これが、健康の基本だと学長は謳うのだという。夏江としては、いっぱい美味しい物が食べられて満足だった。今日も元気に手を合わせ、深く頭を下げる。
「いただきますっ!」
食堂は和室であり、三階と四階に一室ずつある。前者が一、二、三学年用で、後者が四、五学年用だ。別学年が同じ卓袱台を一緒にすることは基本的に無いが、姉妹関係、つまりはSになった者同士は例外である。「さあ、私の可愛い妹。こっちにいらっしゃい」「はい、お姉様」。などという会話が所々から聞こえてくる。中には、四階へと急いで走る者までいた。夏江の右隣は冬子であり、左隣は鈴木である。こちらは萩原先輩の隣を勝ち取れずに悔しそうだった。これで、好敵手の斎藤に奪われていたら、血の涙を流していただろう。
「鈴木ちゃん。早く食べないと時間なくなるよ」
食事を終えたら食器の片付け。それが終わったら朝の身嗜みを整えないといけない。華の女学生だ。綺麗に己を飾りたいのは共通認識だろう。
「貴女に慰められるなんて、私もまだまだですわね……」
気合いを入れ直す為に、鈴木は梅干しを一個丸々、口の中に放り込んだ。きゅっと口がすぼんでしまうほどの酸味が舌を刺し、唾液が溢れ出る。その勢いを利用するように飯を掻き込んでいく。夏江も豪快に鰯の丸干しを頭からばりばりと食していく。一方で、冬子は少しずつ身体を温めるように味噌汁を啜るのだった。
食事の間は静かになら会話を許される。各々が友達やS同士で、朝の談笑に花を咲かせていた。専らの話題は秋の終わりに行われる美術祭である。習字や絵画、音楽を学校全体で楽しむ行事で、演奏会や、劇などの催しもある。夏江達の組も、どんなことをするのかで話題が持ち切りだ。
「五年の先輩達は宝塚少女歌劇団の〝ジャンヌ・ダルク〟を真似た劇をするのですって。やはり、五年の先輩方となるとアイディアも華やかですこと。私達三年生も負けていられません。こうなったら、御父様に頼みこんで本物の演奏家の用意を!」
といった会話が遠くから聞こえてきた。夏江は白瓜をぽりぽりと齧りつつ、小首を傾げる。
「じゃんぬだるくって、何? 外国の食べ物? 動物?」
何も分かっていない夏江の様子に、鈴木が小馬鹿にするように鼻で笑い、得意気に語り出したのだ。
「ジャンヌ・ダルクとは仏蘭西の百年戦争時に戦った英雄の女性ですわ。神の声を聞いたとされる乙女で、宝塚では、それはそれは豪華にかつ繊細に歌い、踊ったのです。これぐらい、宝塚〝ファアン〟なら常識ですわ。ちなみに、今年七月の公演で演じたのは、かの有名な」
すらすらとまるで初めから台本でも用意していたかのように鈴木が語り出す。途中から夏江は聞いていない。青菜が歯の間に挟まって、舌でなんとか取ろうと必死になっていた。
宝塚少女歌劇団の人気は飛ぶ鳥を落とす勢いだ。夏江も、けっして知らないわけではないし、お芝居を楽しいと思う心はある。それでも、劇場の隣に菓子屋があれば、真っ先にそちらへ走ってしまうのが彼女である。そして、目の前に朝飯があれば鈴木の自慢話よりも魅力的である。冬子は冬子で、劇は年に何度も観ているから今日ではやや飽いていた。夏江の行動を見ている方がよっぽど喜劇で面白い。
「って、人の話を聞いていますの!?」
そんな反応が返ってきた頃、鈴木だけが飯の半分も食べ進めていなかったのだ。
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