6 過去と未来(2)

 アルト、レナードソン、スフィアの三人が、一様に口を開けたまま固まる。

 視線の集まる先で、セルシオが少し汗をかいていた。


「地下室に毎日通ってたのは、研究のためだったぁ?」


 素っ頓狂なレナードソンの声にセルシオがうなずき、すらすらと話し出す。


「ナナは体内で高速にマナを魔力化する病気だった。症例が少ない上に発症から死亡に至る期間が短く、症状も原因もはっきり分かっていない病だから、何か手がかりになることはないかと毎日データを取り、地下室で研究していた」


 三人ともがあっけに取られる。


 はっとスフィアが思い出して、


「あっ、それでいつも帰りが遅く……」


 室長職で忙しくなったのに、帰ってくる時間が前と変わらないとアルトから聞いて不思議に思っていたのだ。


 データを日中に取り、研究は仕事が終わってからやっていた。それで遅い時間でも研究室で見かけることがなかったのだ。

 仕事に本気になって欲しいとスフィアに警告された後は病気の研究を控えて、時間があれば家で研究を続けていたという。


 ああ、とうなずき目線を落とす。


「もちろん……ナナに会いたかったのもあるが」


 アルトが目線を落として口角を上げる。


 隣でレナードソンが震え出し、バンッとテーブルを叩いた。


「なん……っでそれ、俺たちに言わないんだよっ!」


 噛みつかんばかりに喚き立てるので、セルシオがうるさそうに片耳を塞ぐ。


「磁場形成には影響のない範囲でやってる。それに、誰もあの部屋には近づきたくないだろう」


 そうじゃなくて、とレナードソンが訴える。


「一人ですることじゃねーだろっ! 頼れよもっと!」

「そうですよっ。医療機関と連携するとか、何より生理学なら私の研究室が専門じゃないですかっ」


 二人に畳み掛けられて、セルシオが戸惑う。


「いや、でも磁場形成室のことは外部に出せないし」

「そんなの、いざとなったらおやっさんに任せとけばいいだろっ。相談しろよ相談っ」


 あーもう研究のレポート出せよっ、と喚くレナードソンを横目に、アルトがふふっと微笑む。


「二人とも、頼もしいね」

「そうだな」


 笑ってうなずき、また固い表情になる。


「もう一つ、二人に頼みたいことがある」


 まだあんのかよ、とレナードソンが呆れ返る。


 セルシオは一呼吸置くと、


「ナナをチューブから出したい」


 思い切った言葉に、三人ともが目を丸くした。


「ナナだけじゃない。今、磁場形成室にいる魔法使い全員を。そして今後、あの部屋に入る人がいなくなるように」


 アルトを見やって、


「もう、部屋に入る迷いと決意をする必要がないように」


 セルシオが笑みを浮かべ、アルトもにっこり笑って大きくうなずく。


 一人で研究していた理由は、ためらいもあったからだ。

 もう魔法使いとその周りの人に負担をかけたくない。

 しかし研究が実を結び、地下室がなくなれば、ナナリーとの本当の別れになる。


 けれどもう、大丈夫。

 動き出した時間。セルシオはこの先へ進むけれど、別れじゃない。


 レナードソンががりがり頭を掻いてため息をつく。


「そりゃできたらと思うけど……大変だぞ? 磁場は魔法使いにしか作り出せないし」

「魔法石で磁力を発生させるものがあるって聞いたことあるけど?」


 スフィアの質問に、レナードソンが苦い表情を浮かべる。


「そんなの弱すぎて擬磁石メッキの板一枚浮かせられねーよ。まあ合成して強くならないか試してみるけど。磁力より浮力の方が力強んだよな。そっちもやってみるか」

「いっそのこと、魔法を使わないというのは? 磁場の半分は街を支えるために使ってるわけでしょう。柱を増やすとか、建物を減らして街全体を小さくするとか。ねえ室長……」


 次々飛び出す提案に、セルシオがうつむき肩を震わせる。

 三人が訝しんで、恐る恐る覗き込む。


 セルシオは身を起こすと、涙を浮かべる勢いで大笑いし始めた。

 アルトとスフィアが目を丸くし、声を揃えて、


「初めて見た……」

「同じく」


 レナードソンが半眼になり、歯ぎしりするような顔で呆れる。


 セルシオは笑いが収まらなさそうに、


「いや……すまない。二人がいて良かったなと思って」


 率直な言葉に、スフィアが思わず照れて詰まる。

 レナードソンは「笑ってちゃ説得力ねーよ」と、こちらも照れ混じりに文句を言った。


 セルシオが一度長く息を吐いて、


 ーーーもっと人を頼って。そんなだから感謝もできないの。


「助かる。ありがとう、レナードソン、スフィア」


 まっすぐな言葉に、レナードソンが仕方ねーなと頭の後ろで手を組んで仰け反る。


「あーじゃあ忙しくなるなー、これから。結婚の準備もあるし、もう仕事サボれねー」


 セルシオがピクッと身じろぎする。


「け、研究はいいとして、けっ、結婚って、何のことだ」

「何焦ってんだよ。だって結婚するからさ、俺」


 セルシオ、アルト、スフィアの三人が、一様に口を開けたまま固まる。

 視線の集まる先で、レナードソンは平然としている。


「あら、本当」

「そっちか……」


 両手で目元を覆い、上を向いて深く息を吐く。

 レナードソンが呆れて、


「親友のめでたい話にまずその反応って、何なのお前」


「レナードソンさんっ。お相手って誰? どんな人っ?」


 アルトが興味津々に訊いて、レナードソンがにやりと笑う。

 満面の笑みで、


「もっちろん、シエラに決まってんじゃん!」


 セルシオが苦い表情で呆れ返る。


「お前……。人にはうまくいったら報告しろと言っておきながら」

「いやー、付き合ってって言ってすぐプロポーズしちゃったからさー」


 無理じゃん? とへらへら手を振って笑う。

 セルシオとスフィアが呆れ、アルトはほおお、と赤くなった。


「でもそこまでが大変だったんだよー! あ、聞く? 聞きたい?」


 聞きたーい! と元気よく手を上げるアルトに、セルシオはいやいい、とすげなく拒否して立ち上がる。

 レナードソンが口を尖らせ後を追い、無理やり肩組みして研究室を出て行った。


「ホント、仲良いわよね……」


 頬杖を突き、呆れ混じりにスフィアがつぶやく。

 アルトが嬉しそうに同意した。


「でもねアルトちゃん、あいつが結婚するからって、油断しちゃダメだからねっ」


 アルトの両肩に手を置き、力を込めて忠告する。


 何を心配されているのか分からず、アルトはのんきに「ほえ?」と首を傾げた。




「お前に先を越されたか……」


 通路を歩きながら複雑そうな表情でつぶやく。

 肩の上でレナードソンがにししっと笑った。


 ふと気づいて、


「でもお前、さっき私たちのことを羨ましがってなかったか?」


 結婚するならそっちの方がよっぽど仲が良いだろうと首を傾げると、


「だぁってシエラ、アルトちゃんみたく甘えてくんねーんだよっ」


 泣きの剣幕で訴えられて、ああ、と呆れ混じりに納得する。


 シエラの方がレナードソンより五つ歳上。それはセルシオとアルトも同じ差だが、何よりシエラは二度目の結婚なのだ。冷静になるものなのかもしれない。


「てかお前、甘え過ぎじゃね?」


 指摘され、セルシオがぐっと詰まる。自覚はあるので否定しない。


 何事もなかったかのように微笑むと、


「とにかく。結婚おめでとう、レナードソン」

「おう、誤魔化したな。ま、ありがとなっ」


 レナードソンが照れくさそうに顔をくしゃっとさせて笑った。


 色々なことが変わっていく。

 スフィアは新しい研究室へ異動、レナードソンとシエラは結婚。


 アルトも今日で研究論文の翻訳の仕事を辞め、希望通り街の通訳の仕事に就くことになっている。

 主に街を訪れる観光客相手でまずは見習いからだが、今後もし他国の市長など重要人物の通訳をするときでも、お嬢様時代に培った立ち居振る舞いや礼儀作法で難なく対応できるだろう。


 前へ進む自信をつけたから、周りが変わることにもうセルシオは流されない。

 決して焦ってはいないのだが。


 レナードソンがにやにや笑って、


「で? そちらさんはどうなんだよ」


 セルシオが悩んで呻る。


「一緒に暮らそう、とは言ったが」


 いつかの別れまで大切にする、そんなことも告げている。

 あれからひと月が経ち、今は仲睦まじく同居を続けている状態だ。


 レナードソンが呆れて盛大にため息をつく。


「だからさ、お前順番」


 順番はセオリー通りかもしれないが、恋人になってすぐプロポーズするのがさも常識のように言われるのは腹が立つ。

 なのでうるさい、と肩に乗せられた腕を振り払った。


「そうだ。もうアルトから聞いたか?」


 思い出し、やはりそうしようと決め込む。

 すると思わず照れ笑いがこぼれた。


 伝えたい想いがある。

 ここから前へ、進むために。

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