2 焦燥、そして決壊(2)
ゆらりと立ち上がり、アルトに近寄る。
迫力に圧されて後ずさりしたアルトが背後のソファに当たってよろめき、尻餅をついて呻く。
セルシオがその前に立ってアルトの肩を掴み、ぐいっと背もたれに押しつけた。
痛くてアルトが苦悶の表情になる。
「お前が忘れさせたんじゃないのか」
アルトを見下ろしふっと顔を歪ませて笑うので、アルトが目を剥いて固まる。
「セル……シオ」
「そうだ、お前を想っている間は、ナナを忘れることができた」
言って近づいてくるので、アルトがセルシオの身体を押し止めようとする。
「セ、セルシオっ。キミちょっと待ってっ」
しかしソファーの上では身動きが取れず、脇から逃げようとして押し倒されてしまう。
仰向けになったアルトの顔の横に、セルシオが両手を突いて見下ろす。
起き上がろうとするが、長い髪が押さえつけられていて腕も動かせない。
それでも歯をくいしばってもがいていると、
「何でーーー嫌がらないんだ?」
アルトが息を弾ませ、涙目で見上げる。
セルシオは光の消えた真っ暗な目で、
「嫌だろう、昔の恋人を忘れられない男なんて」
「そんなこと……っ」
反論しかけるが、この間感じた衝撃を思い出し、言葉を詰まらせる。
ナナリーを忘れないセルシオ。
それでいいとずっと思ってたのに、なぜか胸は苦しくて。
セルシオがナナリーを忘れればーーー自分だけ見てもらえる。
アルトは髪が引っ張られるのも構わず、ぶんぶん頭を振った。
違う。そんなこと望んでない。忘れて欲しくない。
綺麗事なんかじゃない。
セルシオにはナナリーの存在が必要なのだ。
セルシオがそっとアルトの頭を撫でる。
「もう、大丈夫だ。私にはお前がいるから」
アルトがビクッと怯える。
「や……だ……」
嫌だ。そんな風に、また。
セルシオがふっと顔を歪めて笑う。
ようやくだ、とつぶやいて、
「もっとお前を愛したら、ナナを全て忘れることができる」
アルトが目を剥き息を呑む。
ーーーそうやって繰り返して。いつか別れの後にまた苦しんで。
そしてーーーぼくのことも忘れるの?
セルシオがゆっくりと顔を近づける。
硬直したアルトが消え入りそうな声で名を呼ぶが、もう声は届かない。
ナナを忘れたくない。憶えていたい。
もう忘れたい。なのに忘れられない。
アルトを愛したい。
でも怖い。
だから愛したくない。
欲しい、のに、要らない。
ナナリーとアルトの笑顔。
そのどちらも薄れて消えていく。
唇が触れる直前で、セルシオ、とはっきり強い声で呼ばれ、セルシオがはっと止まる。
アルトは目に涙を溜め、顔を真っ赤にして睨んでいた。
「セルシオはナナリーさんを忘れるために、ぼくを好きになったの?」
それとも、と続けて、
「ぼくはナナリーさんの代わり?」
強い眼差しで睨みつけられ、セルシオが戸惑いの色を見せる。
アルトは大きく息を吸い込むと、力強く言い放った。
「ぼくが好きになったセルシオは、大切な人を忘れるような、そんな冷たい人じゃない」
セルシオが目を見開き、強く奥歯を噛み締める。
バッとアルトから離れると、足音を立てながらダイニングを出て、寝室の扉を叩きつけるように閉めた。
アルトはソファに倒れたまま、ぼうっと天井を見上げる。
寝返りをすると、身体を震わせ嗚咽を漏らした。
「……っく、ふ……っ、あ、セル……シオ……っ」
ぼろぼろぼろぼろ、涙がこぼれ落ちる。
顔を歪めた笑み。
セルシオのあんな顔、初めて見た。
ーーー今にも泣き出しそうだった。
ずっと思い悩んでいたのだろうか。
アルトも自分も傷つけるくらい辛い思いを、独り。
アルトは膝を抱え、しゃくり上げながら泣き続けた。
やがて涙が枯れ、呆然と横になっていたアルトが涙を拭きながらゆっくり起き上がる。
ふと見ると、ダイニングの入り口でソラがこちらを覗きこんでいた。
毛を逆立てて怯えているので、「ソラ」と呼ぶ。
駆け寄ってきたソラに微笑みかけ、優しく頭を撫でた。
「ーーー大丈夫だよ」
ソラにも自分にも言い聞かせるように、そうつぶやいた。
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