遺跡群での襲撃 emergency

 リアナと共に大司書館を出た刻三は次なる行動を考えていた。

 辺りは徐々に茜色が帯び始めている。

 街中は仕事帰りの人たちの喧騒でまみれていた。足早に家へ帰るものもいれば、何人かの集団で今日はどこに飲みに行くか、と楽しげに話しているものたちもいる。

「あの、刻三様は先ほど何を見てらっしゃったのですか?」

 そんな中、自重したささやかな声音でリアナは訊く。

「怪人と呼ばれていたらしい鹿について調べてた」

「鹿王……ですか」

「あぁ。何か知ってるか?」

 刻三はこの土地の民でないが故に無知である。司書館では付け焼き刃程度の知識は付けたものの、現地民に聞くほど強力な情報源はない。

「因果関係はどうか分かりませんが……」

 そう前置きをしてからリアナは囁くような声音で告げた。

「東南東に鹿王がいた時代の遺跡群が残っています。ここはアメリカ連合にあるILOによって指定された重要文化財国でもありますから」

 アメリカ連合。それは旧アメリカ合衆国とカナダ、メキシコの北米大陸と呼ばれていた地域を全て呑み込んで作られ、世界第2位の国土を誇る国だ。そしてその国内に存在する世界遺産機構、通称ILO(international legacy organization)は各国に存在する重要文化財を保護する組織なのである。

「鹿王がいた時代の遺跡……か。行ってみる価値はありそうだ」

 そう独り言ちり、リアナに顔を向ける。

 急に顔を向けられ驚いたのか、リアナは顔を紅潮させる。

「その遺跡群まで案内してもらえるか?」

 リアナはこくんと首肯すると「こちらです」と案内を始めた。


 進むこと7分。周りの景色は建物の立ち並ぶ中心区域とは一転する。白レンガで舗装された道は既になく、砂利が敷かれた道だ。不自然なほど道なりに砂利が敷き詰められてることから、自然的ではなく人為的に巻かれたものだと分かるが大きさがバラバラのために歩きにくい。

「大丈夫か?」

 刻三は案内をするために前を歩くリアナに声をかける。刻三はスーツに合わせた革靴を履いている。慣れないといっても靴に変わりはない。しかし、リアナはどうだろうか。

 普段から履いており、慣れているのかもしれないが流石にヒールでこの道を歩くのは……と考えたのだ。

「何がですか?」

 しかし、リアナは振り返り、不思議そうに首を傾げる。

「いや、ヒールだし。歩きにくくないかなって思って」

 刻三は自分がおかしいことを言っているのか、と感じながらごにょごにょと告げる。するとリアナは表情を一転させ、ニコッと笑う。

「全然大丈夫ですよ。ご心配ありがとうございます、刻三様」

「あ、あのさ……」

 そう言われた刻三は頬を掻き、横目でリアナを見る。

「何でしょうか?」

 リアナはまた表情を変える。眉間に少量のシワを集め、口先を少し尖らせる。何かを考えている様にも見える表情だ。

「その……刻三様って呼ぶのやめてくれないかな? こそばゆいんだけど」

 刻三はどのタイミングでそれを言い出そうかと悩んでいたそれを口に出した。

「えっ?」

 リアナは驚きを隠せないようで、目を見開く。

 ──ほんと、コロコロと表情が変わる人だな。

 そう思いリアナを見ていると、今度はセミロングほどある銀色の髪を左耳に掛けてから薄花桜色の瞳で刻三を見据えている。

 儚くも力のこもった瞳で、刻三は思わず背筋を伸ばしてしまう。

「では、なんと呼べば良いのでしょうか?」

 真剣な表情で告げられた言葉がそれで刻三は、芸人よろしくこけかける。

「刻三でいいよ」

「ですが……、仮にもツキノメお嬢様の彼氏様ですので……」

 困惑顔で言い淀むリアナに刻三はこの騒動で忘れていたリバール国に来た理由を思い出した。

 そして思わず嘲笑を浮かべる。リアナは少し焦った様子で刻三に近寄る。

 壊れたとでも思ったのだろうか。刻三は近寄ってくるリアナに右手を広げて大丈夫だ、と合図する。

「俺さ、実はツキノメとそんな関係じゃないんだよ」

 刻三は事実を吐露した。

「歩きながら話そうか」

 そう提言し、リアナと並んで歩き出す。

「そんな関係じゃないってどういう事ですか?」

 リアナは怪訝そうな表情で隣から刻三を覗き込む。

「そのままの意味だよ。ツキノメがニホンにいたことは知ってるよな?」

「はい。ある日、突然飛び出して行かれたのです」

 ──突然って……。やっぱり俺を殺すためだったのかな。

 そんなことが脳裏によぎるが、小さくかぶりを振り、それを打ち消す。

「それでまぁ、色々とあって俺と出会ったわけだ」

 流石に能力アーカイブのことを言う気にはなれず、そこは誤魔化して話す。

「そして仲良くなったんだけど、そこで届いたのが縁談をするって書かれた手紙だったんだ」

「お父様がお書きになったあれですね」

 リアナは真剣な表情で小さく頷きながら刻三の話を聞いている。

 それを横目で確認してから刻三は言葉を紡ぐ。

「ああ、そうだ。でも、ツキノメは嫌だったらしいんだ。今回の縁談が」

「──えっ!?」

 リアナは声を裏返し、ただでさえ大きな瞳を更に見開き驚きを露わにする。

「何故ですか?」

 リアナは刻三にぐいっと近づき詰問するように訊く。

「し、知らない。てか、近いっ」

 刻三は体をのけ反らせながら早口でそう言うと、自分と刻三との距離の近さに気づいたリアナが一気に頬を赤らめ、刻三から離れる。

「す、すみません……」

「い、いや。いいけど」

 互いにそっぽを向いて小声で話す。半分沈みかけている夕焼けが追い討ちをかけ、両者の顔はこれでもかという程に赤くなっている。

「そ、それで、彼氏を連れていけばってツキノメが言い出したんだよ。それでツキノメの男の知り合いが俺しかいなかったらしくて、俺に白羽の矢が立ったってわけだ」

 刻三は恥ずかしさを誤魔化すべく、まくしたてるように言う。

「そ、そうだったのですね。でも、傍から見てれば本物のカップルに見えましたよ?」

 先ほどまでより早口になったリアナは刻三とツキノメとの事実に狼狽しながらも、最後は茶化すように告げる。

「ンなことねぇーよ」

 落ち着きを取り戻した刻三は何言ってんだよ、と言わんばかりにそう告げる。

「そうですね。あっ、見えて来ましたよ、刻三」

「えっ、あっ、おう」

 呼んでくれと言ったものの、いきなり呼び方が変わり驚きを隠せず、あたふたしてしまう。

「どうかなさいましたか?」

 刻三の狼狽えを感じ取ったリアナは不思議そうな瞳を浮かべる。

 刻三はそれを真正面から受けとめ、一瞬言葉を失ってしまう。

 潤いのある薄花桜色の瞳は、澄んだ海洋の如くで見ているだけで魅了され呑み込まれてしまいそうになる。

「──、い、いや。急に呼び方が変わったらから戸惑っただけだ」

「でも、そう呼べと仰ったのは刻三ですよ?」

 試すように口角を釣り上げるリアナ。

「それを言われると返す言葉が見当たらねぇーよ」

 刻三は力なく笑う。それを見たリアナは肩を震わせて小さく笑った。


***


 高床式の家々が並び、藁を束ねた作った如何にも雨漏りしそうな家があり、ニホンでいうところの弥生時代のそれに酷似している。

「ここがそうなのか?」

 夕焼と夜とが混沌のした時間帯だと言うのに、客足が減りそうにない遺跡を見渡しながら刻三はぽつりと訊く。

「そうよ。ユリアネ遺跡よ」

「ユリアネ──遺跡」

 刻三は移籍名を呟きながら高さおよそ3メートルほどある物見やぐらに視線をやる。

 細いが頑丈の柱となっている木々が何本も地上より3メートルほど上がったところにある、屋根のついた小屋のような建物を支えている。

「ここの旧名がユリアネって言うの」

 感慨深く眺める刻三にそう告げるとリアナは、小さな歩幅で歩き始めた。

 刻三はそれに気づきゆっくりとあとを付ける。


「あっ」

 少し歩いた先にある物を目にして刻三は声を漏らした。

 ぐちゃぐちゃに破壊された物見やぐらに高床式の家が完璧に保存してあった。

「再現……とかじゃないのか?」

 刻三は喘ぐようにして隣で哀切の表情を浮かべているリアナに訊く。リアナは小さくかぶりを振り、

「太古より保存されてきた、紛れもなく本物です」

 と厳かな声で告げた。

「な、何なんだよ、一体……」

 刻三の脳内では微かにこれが何なのかを理解していた。でも、それを認めたくなかった。その理由はわからない。ただ怯えているだけなのかもしれない。

「伝説では──鹿王の怒りに触れたことによる厄災となっています」

 刻三は頭がクラクラっとした。聞きたくなかった事実を目の当たりにし、目眩までおこる。

 そしてココに来て始めて実感した。

 ──とんでもないことに巻き込まれている。と。


 刹那、最初にみた物見やぐらから燐光が放たれた。

 一瞬、姿を現した月光かと思ったが瞬時にそれは違うと判断した。

 その光が緑色だったからだ。

 刻三は隣で悲しみに浸っているリアナに覆いかぶさるようにして飛んだ。

「きゃっ!」

 女の子らしい甲高い声が上げる。その声は刻三の鼓膜で幾度か反射するが、地面にぶつかり、それは「うげっ」というものに変化する。

 刻三は右手をリアナの後頭部に回し、頭を打たないようにした。それが功をなし、リアナをすくうことに成功した。

 飛んだ先に尖った石があったのだ。

 刻三の右手の甲にそれが刺さり、じわっと生暖かい血が流れだす。

「うっ……」

 思ったより痛く、顔を歪める。しかし、瞬間また同じ物見やぐらが緑の閃光を放った。

 ——よけれない。

 そう思い、刻三はリアナに覆いかぶさった。


 ドンっ!!

 轟音とともに大地が揺れ、辺り一面に砂埃が舞う。しかし、鮮血はほとばしっていないことより攻撃が逸れたことが分かる。

「大丈夫か?」

 刻三は自分の下にいるリアナに顔を顰めながら訊く。リアナは小さく数回咳をしてから

「大丈……夫です」

 と途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

 刹那、ようやく状況を呑み込むことのできた観光客たちが断末魔に近い悲鳴を上げて、逃げ惑う。辺りが粉塵で支配され、視界が定まれないことにより、人と人とが衝突することもしばしばあるが、それでも痛みを訴えることなく客たちは逃げた。

 そして、粉塵が収まるころには観光客は1人もいなくなり、辺りは完全に闇がはびこる時間帯となった。

「逃げなくていいんですか?」

 リアナは逃げようともせずその場から動かなかった刻三に不安げな表情で訊く。

 決して怯えて逃げられなかったわけではない。むしろ常に冷静でいられたほどである。今まで何度も襲撃されてきており、これほどでは驚かなくなってしまったのだ。

「リアナは逃げてもいいぞ」

 刻三は攻撃が放たれた物見やぐらから視線を外すことなく、優しく告げる。

 リアナは小さくかぶりを振った。

「刻三がいるなら、私もいます」

 強い意志のこもったその言葉に刻三は「そうか」と告げた。


「よく逃げなかったな」

 どこからとも無く声がした。刻三は声のする方へ顔を向けるもそこに人の姿はない。

 刻三は焦り、キョロキョロとするも誰もいない。

 刹那、腹部に強烈な一撃が入る。

「グハッ」

 刻三は肺から逆流してきた空気を喘ぐように吐き出し、体がふたつ折りになる。

 額や背中からは変な汗がどっと溢れ出る。

 垂れ流しになる唾液を地に吐き捨て顔をあげるも、誰かが居るようには感じさせない。

 しかし、リアナは体をヒラヒラと舞うように動かしている。恐らく攻撃を交わしているのだろう。

「見えるのか?」

 吐息混じりに声を上げる。リアナは大きく首肯するだけで言葉を放つことはない。

 それだけでリアナが追い込まれていると理解するに足りた。

 刻三は大地を蹴り、リアナの元へ駆ける。

「来ちゃダメッ!!」

 一瞬誰の言葉か分からないほど割れた声が飛ぶ。そして、それがリアナのだと理解した時には透明人間に一撃を貰っていた。

 宙で螺旋状に回転しながら刻三は、並んでいる高床式の家々の中へ突っ込んだ。

 触れた瞬間からそれらは崩れ落ちる。

 スカスカになった木々の上に額から零れる鮮血を落しながら、刻三は立ち上がる。

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ」

 喉が張り裂けそうな程の悲鳴が上がる。

 そしてガシャン、と大きな音が上がり少しの砂埃があがる。

 刻三は霞む視界で音のした方を見ると、藁を束ねた作った家が崩壊していた。

 その中から右足を引きずりながらリアナが出てくるのが見えた。

「リアナっ!」

 額から流れる血が左目に入り、視界が赤く染まった刻三が声を張り上げる。

 リアナは虚ろになった薄花桜色の瞳を刻三に向ける。

 ──ヤバいな。

 刻三は瞬間的にそう判断し、軽く痙攣している脚にムチを打ってリアナの元へいく。

 刹那、微かにサイレン音がした。

「チッ。運のいいヤツらめ」

 姿は見えないが、怒りが込められた声だけはっきりと刻三の耳に届いた。


「早く……ここから……離れるぞ……」

 普段ならすんなりと行ける距離にかなりの時間を掛けてリアナの元までたどり着くと、刻三は歪めた表情のまま喘ぐように告げた。

 リアナから返事は返ってこない。それ程までに疲弊しているのだろう。

 刻三はリアナの左側から右側へ手を回し、リアナの手を自分の左肩へと回して互いに支え合うような形で歩き出した。


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