シヴァ・プロジェクト vanish

 けたたましいサイレン音が、リバール国中心区域の様々な店や露店が並ぶ地域に木霊する。そこにいる人々が一様に不安げな表情を浮かべ、急なブレーキ音に体をすくめる。


 止まった黒白で彩られた車体の扉が開き、ドンッと強く扉が閉められる。

 その中からは紺色に黄色の線が入ったスーツ形式の服を着込んだ筋骨隆々の男たちが出てくる。

 そのスーツ形式の服の右胸辺りには5枚の花弁を持つロロノアという、リバール国では平和の象徴という花言葉の花が刺繍ししゅうしてある。警吏の制服だ。

 黒光りする革靴が白レンガの路地をカツカツと鳴らしながら、keepoutと書かれた黄色のテープが張ってある裏路地へと繋がる道に足を踏み入れる。

 足を踏み入れた彫りの深い顔立ちの男に、元より現場にいた他の警吏が動きを止めて敬礼をする。

「スワ巡査っ!」

 そこに後ろからバタバタと駆け寄って来た、現場に到着した男の中では若く、細身──一般的に見れば筋肉質なのだが──は、彫りの深い顔立ちの男に叫ぶ。

 スワと呼ばれた男は怪訝そうな顔を向け、

「ミノワ。現場だぞ」

 と一蹴する。ミノワと呼ばれた男は俯き、シュンとする。

 だが、それは一瞬しか持たなかった。

 ミノワが顔を上げたことで声を上げたからだ。

「ぎゃあァァァ」

 警吏とは思えない情けない悲鳴にスワは顔をしかめる。

「お前はまがいなりにも警吏だろ」

 ため息混じりにそう言い放つとスワはミノワが見て悲鳴を上げた、それへと近寄った。

 紅い液体がドロドロと流れ出し、白レンガが染め上げているそれは間違いなく死体だった。

 スワは目を閉じ、その死体に対して合掌する。現場を見るにあたって黙祷を捧げるのだ。

「ほら、お前も」

 目を開けて、横目でミノワを見てからそう言い放ち、スワは腰を下ろして調査を始めた。

 死体は男性だ。体に余分な肉はなく、ガリガリという表現がピッタリで、纏っている衣服はみすぼらしい薄汚れた布切れのようなものだ。そして、その布切れに紅が滲み出している。

「巡査。ガイシャは密売人ホロロ・ホルルです。扱いは主に毒だったようです」

 ミノワは黙祷を止め、内ポケットからロロノアが中心に描かれた手帳を取り出し言葉を紡ぐ。

「そうか」

 スワは左右様々な方向からホロロ・ホルルを見回しながら上の空で返す。

「で、この足跡なのですが──」

 ミノワはホロロ・ホルルの死体から流れ出る血で象られた足跡を指さす。

「あぁ、それは俺も気になってた。犯人のか?」

 スワは渋く低い声で腰を上げながら聞き返す。

「あ、いえ。まだ犯人と断定出来てはいませんが、鑑識によると微々たる砂が付着していたようです」

 眉間にシワを寄せ、険しい表情を浮かべミノワは腰を上げたスワに告げる。

 スワは怪訝そうに聞き返す。

「砂?」

「はい。砂浜の砂です」

「じゃあ、北西区域のものか」

 リバール国は四方を海洋に囲まれた島国ではあるが、砂浜が存在するのは北西区域しか無いのだ。

 スワはそれから砂の出所を推測し、天を仰いだのであった。


***


 中心区域で襲撃にあい、金貨を恵んでくれたホロロ・ホルルの死体を見た刻三は、サイレン音を聞いて走ってその場を逃げた。

 出来るだけ遠く──。

 そう思い、方角など無視して思いのままに走った。

 中心区域にいる間はさして景色は変わらない。市場のような露店が並ぶ場所もあれば、高級そうな外観の店が並んでいる場所もある。

 ただそれだけの違いで、店が並んでいるという部分ではさほど違いはない。

「ゴホッ」

 走りながら先ほどのホロロ・ホルルが真っ青になって倒れているシーンが蘇り、喉の奥から異物が込み上げてくる。

 それにより咳き込む刻三を行き交う人々は、怪訝そうに見る。

 幾度か「おーい」と声をかけてくれる者もいた。しかし、刻三は止まることはせずに聞こえなかった振りをしていた。

 街の人からすれば態度の悪い糞ガキだろう。でも、それでも止まるわけにはいかなかった。

 ──俺はやってないのだから……。


***


 どれくらい走ったのだろうか。刻三は肺に殴るように酸素を入れ、それらを全て一息で吐き出しながら考える。

 目は疲れからチカチカとしているが、景色は変わっていることは何となく周りの色が緑になっていることで分かった。恐らく、中心区域からは外れたのだろう。

 足元に白レンガはなく、鬱蒼うっそうと生い茂るコケと山のように積もった枯葉がある。周りにはコケが生え登る、樹齢100歳は優に超えているであろう幹の太い木々が立ち並んでいる。──森だろうか。


 そして、ここに来てようやく音が耳に入った。コツコツとレンガを打つ音ではなく、ザクザクと枯葉を踏み荒らす音だ。

 刻三は走る速度を緩め、歩き出す。

 はぁー……、はぁー……と荒れる呼吸を整えながら、最小の音だけを立てて歩く。

 不意に刻三は動かす足を止めた。

 ──な、何だ?

 そう思いながら刻三は頭を下げ、地面にひれ伏す。

 地面との距離が近くなったことにより、むさくるしい緑の匂いが鼻の奥にツーンと入ってくる。

 その匂いに思わずむせ返りそうになるが、口に手を当てグッと押し殺す。

「──だと!?」

「──シヴァ・プロジェクト……分かって……か?」

「……セキュリティは……したのだ?」

「分からない……れた」

 慌てた様子と怒りとか混在した男性2人の声がした。

 少し離れているために言葉は繋ぎ繋ぎにしか聞き取れないが、どうやらマズイ状態に陥っているらしい。

「あなたたち。ここは外よ?」

 そこに新たに女性の声がした。凛としたその声は離れていてもしっかりと刻三の耳に届いた。

 その声に対して大きな謝罪がして、その者たちは後ろへ向き歩き出すと姿を消した。

「──っ!?」

 あまりに唐突に消えたので刻三は驚愕を顔に刻み、声にならない声を洩らす。

 そして匍匐ほふく前進でその者たちがいた所へと進んだ。


 な、何なんだ──。

 目的の場所に着いた刻三の感想はそれだった。

 真緑に塗装された超弩級の建物がそこにあった。見上げてもテッペンが見えない、そんな大きな建物に刻三が呆気に取られている時──。

 ウィンっと先ほど3人の人物が消えたと思われる辺りから小さな音が漏れた。

 恐らく入口であろう。

 刻三は目を見開き、体を思い切り左に捻った。

「早く回収するわよ。アレがあると鹿だって復活させることが出来るのよ!?」

 刹那、建物の中から出てきた先ほど2人の男性を一蹴した、女性の悲鳴にも取れる声が木霊した。

 その後ろから先ほどの2人の男性が2つ折りに頭を下げ、平謝りをしていた。

 刻三はそれを横目で見ながら、そっと両手をひんやりと冷えた地面に手をつき、体を持ち上げる。

 そして目を凝らし、枯葉の少ない──出来るだけ音がならない──場所を選び早足でその場を去る。


 ──シヴァ。鹿王。これは1度調べないと……。

 そうすることで真犯人を見つけられるかもしれない……。


 刻三は適当な距離その謎の巨大な建物から離れたと感じると、中心区域を目指して思い切り駆け出した。



***


 ここは、リバール国有数の大貴族シャグノマ家。その豪邸の周囲には数え切れない程のパトカーが止まっている。

 玄関部分にはkeepoutと書かれた黄色のテープがしっかりと張られており、出入りできるのは警吏だけであった。

「すいませんね、これも仕事でして」

 警吏隊隊長であり、今回毒殺されたログモル・インテグラの父親でもあるログモル・サインは部屋にシャグノマ家にいる全員を集め、悲しそうに瞳を閉じながら告げる。

「いいえ」

 ツキノメの父であるシャグノマ・ココは小さくかぶりを振り、つぶやく。

 ココは苦しげな表情を浮かべているが、それ以上にサインは苦しんでいた。

 ココは重要参考人として娘であるツキノメが連れて行かれたが、死んではいない。しかし、サインはつい先ほど搬送された病院先から正式にインテグラが死亡したとの連絡を受けたのだ。

 親である以上、悲しみが無いはずがないのだ。

「ココさん。足りない人はいませんか?」

 鼻声ではあるが、厳かにサインは訊く。

 ココは顔を上げ、部屋にいる人々の顔を順番に見た。妻、メイド服を着た女中、執事服を纏う執事。

 総勢20人近くはいる人を丁寧に見ていき、最後にココは声を漏らした。

「どうなさいましたか?」

 片眉をクッと持ち上げサインは訊いた。

「いえ、女中が1人いないのです」

「1人……いない?」

「はい。リアナがいません」

 ココは何度か部屋の中にいる人物たちを見渡すもやはりその人物の姿は見当たらない。

「どんな容姿でしょうか?」

 怪訝そうな表情でサインは訊く。ココは黒目を上に向け、思い出すように探り探りで言葉を紡ぐ。

「青髪の子です。身長はだいたい150センチほどで、薄花桜うすはなざくら色の瞳をした女の子です」

 ふむふむ、と唸りを上げながらココは内ポケットから取り出したロロノアが中央に書かれた手帳にメモを取りながらそれを聞く。

 そして全てを聞き終えると、立ち上がり部屋の外に顔を出し、待機していたのかどうかは分からないが、その場にいた部下にココから聞いた情報を告げる。

「はっ!」

 部下から元気のある声が返ってき、ドタドタと廊下を走る音が響く。リアナという女中を探しに行ったのだろう。


 しかし、どれほど待っても情報は届かず、痺れを切らしたサインが遂にココたちに詫びを入れてから部屋を出た。

 時間にしておよそ45分ほどだろう。

 5分ほどして部屋に戻ってきたサインだったが、表情に色はなく、絶望を見ているかのようである。

「どうしたのですか?」

 ココは恐る恐る訊いた。瞳孔を開ききった状態のままのサインは声をふるわせながら小さく吐いた。

「消えました。我々の包囲網に触れることなく、透明人間の如く消えました」

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