裏路地の罠 corpse
刻三は見知らぬ爺さん──ホロロ・ホルルから貰った金貨4枚──ニホン円にして約8万円を右手に握り、一番近くにある服屋を目指した。
理由は単純だ。濡れ衣だと言っても刻三は護送中のパトカーの中から逃走した張本人だからだ。
***
刻三は一番近くにあった外見が薄汚れたアパートのような建物に入った。今にも崩れ落ちてきそうなハッピークローズ、と書かれた服の形をした看板が掲げられている。更に拍車をかけるように窓ガラスには、婦人服50%OFFという貼り紙がある。
どうやら目的の服屋のようだ。
建物の外見から中が不安になるも一刻も早く変装をしたい刻三は意を決して自動ドアの前に立った。
自動ドアは刻三を感知すると無音で開き、中から暖気と軽快なメロディーを漏らさせた。
中に入ると布や防虫剤の匂いと篭った空気の臭さが鼻腔に飛び込んできて、思わず顔をしかめる。
店内は外見とは違い、思った以上にしっかりと服屋だった。
物干し竿のような銀色の棒に数え切れない数のハンガーとそれにぶら下がる多色の服がある。
刻三は怪しまれないように自然体を装いながら、アスファルト仕様の冷たさを含む床を踏みしめる。
それほど広くはない店内をゆっくりとした足取りで見回しながら動く。女性物から男性物、更にカツラやサングラスといった物まで取り揃えてあり、変装を目的とした刻三にとってはもってこいの店だ。
「──、これにするか」
刻三はサングラスが揃えてある一角で足を止め、海外アーティストなどが掛ける少し両グラスが垂れ下がったような印象を受けるサングラスを手に取り呟いた。
縦に長い箱に2つ穴が空いており、そしてその中央にはブリッジを引っ掛けるでっぱりがあるそれを見直して、薄い黒のサングラスを手に取る。
「こっちもいいんだけどな……」
眼前に置かれた手鏡よりふたまわりほど大きな鏡に自分の姿を写し呟く。
「どうされましたか」
「うぎゃぁ!」
静寂な店内に響いた突然の声に刻三は驚き、だらしない声を上げた。恐らく表情は強ばって敵対心剥き出しのものだっただろう。
「すみません。驚かせてしまいましたか?」
白眼三に短く切り揃えた銀色の髪を逆立ている。更に分厚い胸板にゴツい腕は厳つさしか感じない。その肉体美の上から青と白の縦縞柄、というどこかのコンビニ店員を連想させるカッターシャツを着て、男性は外見とは対称的な優しげな表情を浮かべている。
「あ、いえ。俺の方もすみません」
刻三はそのギャップに面を喰らいながらも、会釈程度に頭を下げる。
「サングラスをお探しですか?」
男性は柔和な表情に丁寧な口調でそう告げる。
刻三は真剣な表情で視線をサングラスの方へと向けて頷く。
「お客様が今お持ちのそちらは──お客様に似合っておりません」
男性は刻三が心の中で「これだな」と思っていた海外アーティスト風のサングラスと刻三の顔を見てきっぱりと断言する。
「えっ……?」
あまりに唐突できっぱりと言われたため、刻三は返す言葉が見つからずにただ間抜け顔で声を漏らすしか出来なかった。
「お客様にはこちらがお似合いです」
そう言って手渡されたのはサングラスというよりメガネに近いそれだった。
戸惑う刻三に男性は商業的な笑みを浮かべながら、刻三がそれを掛けるのを待つ。
怖いくらいの笑顔の男性に気圧され、刻三はそのメガネもどきのサングラスを掛けた。
ブリッジが鼻に掛かると同時にカチャっと小さな音を立て、モダンを耳にかける。
つけた感じの違和感はなく、刻三は鏡を覗き込んだ。
「おぉ──」
それをつけた自分を見て、刻三は感嘆を洩らした。先ほどまではサングラスの格好だけで選び、自分が掛けてどうってのは考えてなかった。しかし、こうやって自分に似合うそれに出会うと嬉しくなるものだ。
こうして商売を繁盛させるのだろう。
「よくお似合いですよ」
顔に微笑みを刻み、そう告げる男性に刻三は
「これ買うよ」
と宣言した。
***
「ぼったくられた──」
今の刻三の気持ちはそれだけだった。自分に似合うサングラスを見つけた所までは良かった……。だが、そこからは完全に刻三のミスだった。
あの時、もし値段を確認していたらなら──。焦らず、もう一巡でもしていたら──。
考え出すと
それは購入したサングラスが1つ銀貨1枚──ニホン円にして約1万円もする高級サングラスだったからだ。
しかも、どうどうと宣言しただけありレジでやっぱりなし、と言えるはずもなくなけなしで今目にかかっているそのメガネもどきのサングラスを買った。
サングラス1つで、真昼間の明るい世界も薄暗いものになる。
行き交う人も前を向いて歩いているのだが、サングラス越しにみると何故か少し落ち込んだ雰囲気に取れる。
白レンガ舗装の路地を何気なく歩く。旗から見ればスーツ姿にサングラスを掛けた、ハンターのような姿だ。だが、スーツに着せられている感じがするのでハンターとまでもいかないだろう。
そんな格好をした刻三の鼻腔に魚を焼く臭いが訪れた。
それが引き金となり、ぐぅーと地響きのような空腹を示す音が鳴った。サングラスを掛けていたため刻三の恥ずかしさを表した顔は誰かに見つかることはなかったが、人々の視線は集めた。
刻三は乾いた笑みをサングラスの奥に浮かべ、右手の中に残った金貨3枚と銀貨1枚に視線を落とす。
「買うか」
誰に言うわけでもなく呟き、刻三は店頭で魚を焼いている店へと回れ右をして向かう。
歩数にして6歩。だが、行き交う人もいるため、すんなりとそこまで辿り着くことは出来ず何度も立ち止まる羽目になった。それによって10歩ほど歩くことになったが、別段何とも思わず刻三は店にいる人物に声をかける。
店番をしているのか、くりっと大きなキャラメル色の双眸をもつ齢7、8歳の小柄の少女は、刻三の声にアタフタする。
──こりゃあ店をミスったか。
そう思った所に背後からパタパタと忙しくなる足音と共に慌てたような声がかけられた。
「はいはい、ごめんねー」
ふくよかな体型のその女性は店番をしていた少女と同じキャラメル色の双眸に申し訳ないを滲ませながら露店の店側に回る。
「ウチの子、ミロークはまだまだヒヨッコでね。許してあげてください」
店員と母親の顔を混在させながら言うミロークの母親に、刻三は気の抜けた返事をしてから
「2つ。もらえますか?」
と訊いた。
母親はニコッとしてから「少々お待ちください」と告げる。
そして、焼き魚が並ぶ斜面台の裏側に置いてあった七輪の上に少し焦げ目のついた金網が被せてあり、その上に水色のクーラーボックスから取り出した2匹の新鮮そうな青魚を置く。
瞬間にして魚が焼ける独特の匂いが空腹を
ジューという音が立つのを聞いて母親は魚を裏返す。裏返した魚の膜のような薄い皮は焦げ目がつき、所々破れている。
そこから僅かに覗く、白身は食欲をそそりヨダレが口内に広がる。
これに醤油を垂らしてかぶりついたら最高だろうな。なんて思考を過ぎらせながらぼーっと焼けていく魚を見つめていた。
「お兄ちゃん、お腹減ってるの?」
すると店番をしていたミロークが母親の背中から顔だけを覗かせて訊いてきた。刻三はミロークと視線を合わせるために腰を折り、柔和な笑顔を浮かべる。
「すっごいお腹減ってるよ」
「そうなんだ」
そう告げてミロークはさっと母親の背中に隠れる。刻三はそれを見て小さく笑い、立ち上がろうとするとミロークが店を回って、刻三の前まで駆けてきた。
「あげるっ!」
そう言ってミロークが差し出したのは白米を丸く握って、それに黒く潮の香りがする海苔が巻かれた『おにぎり』だった。
刻三は戻しかけた腰を再度折り、ミロークと視線を合わせる。
「いいの?」
ミロークに訊く。ミロークは真剣な表情を浮かべ、こくんと頷く。
刻三は本当にいいのかと確認を取るために母親に目をやると、母親は焼いている魚を真剣に見つめながらも優しく答える。
「貰ったげて」
「有り難うございます。じゃあ、貰うね。頂きます」
母親とミロークに謝礼を述べてから、刻三は受け取ったおにぎりにかぶりついた。
程よい塩加減の白米が空腹の胃にずっしりと入り、本能のままにそれにがっついた。
無くなるまではほんの一瞬だった。最後に口の周りについた1粒の白米を左手で取って、口の中へ入れる。
「ごちそうさまでした。とっても美味しかったよ」
正直にそう告げるとミロークは照れた様に俯き、店の方へと駆けて戻った。
それと同じくして上から声がかけられた。
「焼けたよ」
母親はクレープの如く、白い扇形の紙の中に2匹の焼き魚を入れたものを渡す。
「有り難うございます」
左手でそれを受け取り、刻三は値段を訊く。
「銅貨3枚だよ」
刻三は右手に握った通貨の中から銀貨1枚を選び出し、母親に渡す。
「ありがとね。お釣りの銅貨7枚ね」
母親は両手でお釣りを返し、刻三はそれを右手で受け取った。
***
刻三は焼き魚をペロッと食べ終えた。
ちょうどここはリバール国中央区域の中でも昼間の人口が格別に少ない、夜の街言わばオトナの街である。そのため、様々な所に裏路地へと繋がる細い通路がある。
そして、白レンガの路地はどの裏路地まで繋がっており、どこまで張り巡らせてあるんだ、と思いながら手に持つ油付きの白い紙を捨てるべくゴミ箱を探して歩いていた。
刹那、刻三の耳に微かな銃声が届いた。刻三は考えるより先に体が動き、すぐ側にあった裏路地へと入った。
ボロアパートと錆び付いた納屋のような建物の間に体を潜める。
──な、何なんだ……?
不思議に思いながらも、こうなることは心のどこかで分かっており、頭は冷静だった。
大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着けてから、ボロアパートの方に体を預けながら顔だけを表路地の方へのぞかせる。
そこへタイミングを合わせたかのように黒い銃弾が飛んでくる。
刻三は目を見開き、慌てて顔を引っ込め、逃げるが勝ちだ、と判断した裏路地を進むために1歩を踏み出した。
ペチャ……。
液体を踏みしめる音がした。刻三は一瞬にして嫌な予感が全身を駆け巡り、両手が震えた。
恐る恐るといった風に視線を落とす。するとそこには、真っ赤な液体が流れ出してきていた。その元を辿るべく、視線を動かすとそこには見たことのある人物が顔色を無くして横たわっていた。
刻三は思わず涙がこみ上げ、同時に吐き気も襲ってきた。
しかし、そこで立ち止まることは許されなかった。
──サイレンの音がしたのだ。
溢れる涙と吐き気を押し殺し、心中で「ごめんなさい」と幾度も唱えてから刻三は、その場から逃げ出した。
そこに血で
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