泣きたかった、1人遠征山行


K子と、7月に立山、9月に八方尾根と立て続けに北アルプスの山々を一緒に登り、飽きる事のない景色にすっかり魅了された。思いは北アルプスで溢れんばかり。K子は10月は予定がつかずに山行は一緒に行けない。

北アルプスの山は、11月にもなると、交通機関も登山口まで行くバス等なくなり、山小屋も閉鎖したりと、雪に備える期間になってしまう。私は、どうしても年内にもう一度北アルプスの山に行きたいという思いを抑える事が出来なかった。

2014年10月。岐阜県と長野県の県境にある標高2,455メートル、北アルプス唯一の活火山、日本百名山である「焼岳」へ1人山行に出た。

行こうと決めて、夜行バスの切符をとってから、不安で不安で仕方がなかった。バスを降りてから、新中野湯登山口まで少し距離を歩くのと、下山は上高地へ降りる予定だが、バスの時間もあるので間に合うか否かを何度も何度もコース見ながら、コースタイムを計算した。2時間の余裕はあったが、1人が不安を募らせた。何度も何度も、ザックの中を確認。1人で遠征する事はここまで不安にさせた。

いよいよ出発の日が。金曜日の夜、仕事が終わり、K子に「行ってくるね」の挨拶をして、夜行バス乗り場に1人で向かう。その間にまだ「やめるか、行くか」という言葉が頭の中を行き交う。不安で心細くて仕方がなかった。だけど登りたい思いも諦めきれない。

新宿のバスターミナルに着いた。同じように登山者が既に何人か待合室で待っていた。その姿を見て、

「焼岳に行くぞ。登るぞ」と何の迷いもなくなった。登山モードのスイッチが入った。

良く眠れないまま私の降りる中の湯バス停に朝5時に着いた。ほとんどの人が、上高地まで行く中、降りたのは私1人だけ。辺りはまだ真っ暗だった。街灯もなく本当に真っ暗だった。

「上高地にすれば良かったか」だいぶ後悔した。でも行くしかない。初めてのヘッドライトをつけ、余りにも真っ暗の中ただ1人、不安で、怖かった。だが、ここまで来て帰る訳にはいかない。登山口に向けて舗装道路を歩きだした。10分程、誰とも会わず歩いていると車が来た。私は思わず手を挙げた。この道であっているのか段々不安になり、もう何もかも不安だらけだった。

車が停まった。直ぐ運転席から男の人が降りてきた。登山者の服装だった。その姿を見て少しほっとした。

「すみません。バス停から歩いて来たのですが、新中野湯登山口はこの道であってますか?」

「あってますよ。もし良かったら私もそこから登るので、送って行きますよ。乗って下さい」

登山口の前に車が数台停められる駐車場がある。そこに車を停めて登られるとの事。私は、バス停で降りたのは私だけで、真っ暗の中不安でどうしようもなかった事を車中で話したら、段々気持ちが落ち着いてきた。あっと言う間に登山口に着いた。歩いたらまだまだかかる道程。本当に助かった。

「本当に有難うございました。不安で押し潰されそうでしたので、ちょっとお話し出来てホッとしました。有難うございました」

その方は、車中で準備と朝ご飯を食べてから登られるとの事で、駐車場で別れ、私は登山口から焼岳へ向けて登り始めた。

ここ数ヶ月ちょっと体調が余り良くなかったのだが、今回初めから登りがきついのもあり、息の上がり方が異常だった。体調が良ければここまで息は上がらないと思うのだが、悪いとこんなに上がりやすく、やたら疲れて何度も何度も立ち止まり呼吸を整える登山となった。


大きな広場に出たら、視界が開け「焼岳」の南峰の噴煙が見えた。「よし、頑張るぞ」自分に言い聞かせ、ここで一旦休憩、朝ご飯のパンを食べた。大分休憩して、息も整ったので、再び頂上目指し登山開始。が、やはり直ぐに息が上がり辛くて辛くて、頂上着く迄の間、何度「諦める」「引き返す」この言葉と葛藤した。途中、朝登山口迄の送って頂いた方とお会いし、暫くお話ししながら一緒に登った。追い越され、追い付きを何度か繰り返し、その方のお陰で何とか頂上まで諦めずに登頂する事が出来た。頂上に着いた時は、本当に感無量。元気の良い男の方が「お疲れ様です」と元気一杯に迎えてくれた。

「着いた、着いた、着いた~」南峰は噴煙が上がっているため立ち入り禁止なので、北峰に登頂。硫黄の臭いが漂ってくる。元気一杯な男の方に、焼岳北峰の碑で記念写真撮って貰った。そして座り込んだ。暫くはもう動きたくなかった。動けなかった。それだけ身体の疲労が激しかった。

山頂からの眺めは、穂高、間ノ岳、槍ケ岳…大パノラマで、穂高連峰圧巻でした。

「この景色を見る事が出来て良かった。頂上に来れて良かった」ただただ純粋にこの言葉しかなかった。葛藤しながら登って来たが、「どうしても北アルプスの景色が見たい」と思い、初めから不安の連発で始まったこの登山、ここまで奮い立たせた熱いものが、私をここまで連れてきた。

30分間、頂上で呆然と景色を眺めた。頭の中は空っぽみたいに何も考えない。

早く上高地まで下山して、ゆっくりと余韻浸りながらバスの時間を待ちたかったので、休憩を終え、送って頂いた方に、山頂でお礼を言ってお別れした。

浮石が多く、怪我した右膝の事があるので滑らないように注意に注意を時間をかけてゆっくり降りる。降りる途中休憩しよう思っていた「焼岳小屋」が見えた。見えたがそこまで長かった。本来なら、下山は息が上がらないのに下山でも息が上がり、こんな事は今迄で初めてで、余程体調が悪く身体が思った以上に疲れていたのだ。途中何度も立ち止まり、呼吸整え、休憩し何とか「焼岳小屋」迄着いた。水を買い、ベンチに腰掛け水を飲むんだ。実は、水をバスの網カゴの中に置き忘れてしまい、途中水を買える場所もなく、水がなくここまで来た。それもプラスし、いつも以上に疲労が激しかった。水を飲んでホッとした。生き返った。その話を小屋のご主人と話し、もう、雪に備えて山小屋を閉鎖する準備をしているとの事だった。本当に冬山にはいるギリギリ前に来たのだ。この先、これも来週には梯子が撤去されてしまうのだが、有名な長梯子が待っている。ほぼ垂直に設置された10メートル近くの長梯子。この梯子が終われば、私の中でもう緊張する箇所がないので早くそこを通過したかった。

来ました。上から見たら本当に垂直で、長い。高い所が大丈夫な私でも一瞬ためらいが。でも頑丈に設置されていたので、一歩一歩足場を確認しながら慎重に降りていく。無事に通。ホッと胸をなでおろした。段々と気持ちのゆとりは出てきた。時間も予想よりはかかってしまったが、このまま行けば、バスの時間まで休憩する時間はある。黙々と下山する。今回は下山時に同じく1人で山行されている方何人かに話しかけられ、情報交換などしてお話しする機会があり、ほんちょっとした会話が私を元気にさせてくれた。

何とか、穂高橋まで戻ってきた。今度は下山して穂高連峰を眺めた。

「着いた、もう歩けない」

何処でも良いから座り込みたい程、私は体力の限界にあった。それと携帯食を今回余り持って来なかったので、空腹で、下山出来て力が抜けてしまい、力が入らない。とにかくご飯出来る場所

を確認した。バスターミナルまで行けば食堂があると聞き、更に25分程、気力を振り絞って歩いた。

食堂に着いた。窓に向いたカウンター席で、目の前の窓ガラス越しに見えるのは「穂高連峰」「涸沢カール」

「眺め最高!」

靴紐を緩め、頼んだカレーとアイスコーヒーが運ばれてきた。まずはアイスコーヒーを一口。

「美味しい」

次にカレーを一口。

「美味しい」

本当に、本日の山行が終わったと思った瞬間だった。

目の前の絶景を眺めながら、焼岳を登ってきた不安、辛さ、苦しさを思い出したが、もうだいぶ前の事のように感じた。この眺めのせいだろう。全てを忘れさせてくれる、迫力ある綺麗な景色のせい。


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