第144話 爆弾処理

 蒼汰にされたことを話している間、翡翠はずっと無言だった。そして、俺が話し終えると同時にすっと立ち上がった。


「ひ、翡翠、落ち着いて!?」


 俺は慌てて翡翠を押しとどめる。

 漏れ出ている殺気だけで蒼汰が三回くらい死にそうな雰囲気がある。


「……お手洗いに行くだけよ」


 そんな俺を一瞥した翡翠は、それだけ言うとお店の奥へと消えていった。


「はあぁぁぁ……」


 翡翠が居なくなり、張り詰めていた空気が一気にゆるんで全身の力が抜けた。

 嫌な汗がいっぱい吹き出していて気持ち悪い。


 このままじゃいけない。

 そう思った俺は念話を優奈と二人の会話に切り替えて相談することにした。


『どうしよう、優奈』


『そうねぇ……』


 優奈は人差し指を口元にあてて、真剣な表情になって考えているようだった。やがて静かに口を開く。


『何回かしたら蒼兄も余裕が出てくるんじゃないかな。そうしたら、アリスのことも気持ちよくしてくれるようにお願いしてみるとか……?』


『そんなことは心配してないから!?』


 思わず念話の声を荒げてしまった。


『じゃあ、何だってのよ?』


『翡翠のことに決まってるでしょ! このままだと蒼汰は翡翠に刺されるかもしれないよ?』


 俺が懸念を伝えても、優奈の反応は微妙だった。


『別にほっといて平気だと思うけど……そんなに心配なら、この後、翡翠姉を家に誘ってみたら?』


『……家に?』


『そう、一日お泊まりして時間を置けば、翡翠姉も落ち着くんじゃないかな』


 確かにそれは良い案に思えた。だけど、ひとつだけ優奈が知らないことがある。


『でも……翡翠は今生理なんだ』


『……だから?』


 優奈は首を傾げてそう聞き返してくる。


『その……エッチできないのにお泊まりに誘うのってどうなのかなって』


『はぁ……?』


 優奈は何を言っているんだという顔になる。


『だ、だって……恋人同士でお泊まりって言ったら、普通そういうことじゃないの?』


『なんでそんな風に思うかなぁ……好きな人の家にお泊まりして一緒に居られるだけで嬉しいものよ。むしろ、心も体もしんどいときだからこそ、側に居て欲しいって思うんだよ』


『そうなんだ……』


『エッチしないと満足できないなんて、男子みたいな考えはやめてよね』


『う……』


 優奈に言われてショックを受ける。

 ……無意識に私は期待していたのだろうか。


 もしかして、私って人よりエッチなのかな……?

 普通……だよね? ……多分。


『でも、あたしが一番心配なのはアリスのことなんだからね? きっと翡翠姉もそう。だから、アリスには自分自身を一番に考えて欲しいって思うよ』


『わかった。ありがとう……』


『……それと、ね。もし、エッチなことしたいんだったら、あたしだったらしてあげられるよ?』


『な、何を言ってるんだよ!? そんなの駄目に決まってるだろ? 翡翠という恋人がいるのにそんなこと――』


『あたしがアリスにするのは姉妹のスキンシップみたいなものだから大丈夫。それに翡翠姉はあたしたちのことも知ってるよ?』


『え……そうなの……?』


 それは、初耳だった。


『エッチした後、アリスとあたしの間で雰囲気が変わったことに翡翠姉は直ぐに気づいたみたい。それで、翡翠姉からそのことを聞かれてあたしは答えたの』


『そ、そうなんだ……』


『別に後ろめたいことはなかったからね。アリスのことは大切な妹だって思ってるし。そして、それは誰と付き合うようになってもかわらないよ。だから、アリスがしたいなら遠慮しなくていいよ? もし、心配なら翡翠姉には秘密にしておくから』


 優奈は人差し指を口の前に立てていたずらっぽくウインクする。平然とそんなことを言う優奈が少し怖いと思った。


 優奈の柔らかさや匂い、指の感触が想起されて。

 体の奥がきゅんと反応してしまう。


 ……そう言えば、今日は結局一回もイけてない。

 優奈には散々焦らされて、蒼汰とはあれだけしたのに。


『…………だ、だめだよ』


 俺は大きく首を振って、湧き上がってきたもやもやを打ち消した。

 いくら翡翠が承知していたとしても、それは俺が翡翠の恋人になる前の話だ。翡翠と恋人になった今、蒼汰はともかく優奈ともって言うのはあまりに不誠実だと思う。


『ふふっ……わかったよ』


 ……ふぅ、危ないところだった。


 そして、あらためて今俺がどうしたいのかを考える。

 俺自身については正直よくわからない。

 翡翠のためにと考えているのも、そうすることで自分のことを考えないように逃避しているだけかもしれない。

 だけど、翡翠が辛い思いをしているのは俺のことを大切に想ってくれているからというのは事実で。そんな翡翠にできることがあるならしてあげたいとも思うのだ。

 それは、俺のエゴかもしれないけど……その結果として翡翠が喜ぶのならそれでいいんじゃないだろうか。


『私、翡翠を誘ってみるよ。翡翠とは恋人になったのにゆっくり話もできていないし、ちょうど良い機会だと思うから』


『うん……アリスがそうしたいなら、それでいいんじゃないかな』


 優奈はそう言って優しく微笑むと、そっと手を伸ばして俺の頭を撫でてくれた。


 翡翠が戻ってきたのは、相談が終わって、ウエイトレスさんが俺の分の食器を片付けた後だった。

 体調か機嫌が悪いのか、それとも両方なのか、翡翠は普段よりも二割増しで仏頂面になっていた。


「あ、あの……翡翠?」


「どうしたの、アリス。あいつに復讐したいのなら協力は惜しまないわよ」


 翡翠からは黒いオーラが漏れ出ていて背筋がぞくぞくする。

 俺は慌てて両手を目の前で振った。


「いや、そういうのじゃなくて……今日なんだけど、この後、家でお泊まり会とかどうかなって。せっかく恋人になったんだから、翡翠と二人でゆっくりお話しできないかなって」


「アリスの家に……お泊まり……!?」


「あ、迷惑だったら大丈夫だからね? 突然の誘いだし、翡翠は昨晩は遅かっただろうし……」


「迷惑だなんてそんなことあり得ない! 是非お伺いさせてもらうわ!」


 前のめりに俺の両手を包み込んで承諾の返事をする翡翠。

 一瞬でテンションが爆上がりしていた。

 その表情がきらきらと輝いている。


「う、うん……」


 俺はその勢いに圧倒されながら、早まったかなと少しだけ後悔していた。

 まぁ、元気がでたみたいだから良かった……かな?

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