第139話 準備(その3)

 準備を終えた私は優奈と二人で家を出て駅前まで歩いた。

 新しくできたスイーツのお店とか、クラスメイトの恋愛事情とか、そんないつも通りの他愛もない雑談をしながら。

 メモに書いてあった建物の前で優奈と別れた。

 別れ際、優奈は何も言わずにぎゅっと抱きしめてくれて、私のことを心配に思う気持ちが痛いほど伝わってきた。


 そのマンションは、建物の前まで到着してやっと『ああ、ここか』と思ったくらいに記憶に残らない無個性なビルだった。

 エントランスに入ると、ずらりと並んだ集合ポストは整然としていて、古い建物だけど管理はちゃんとされているようだった。


 奥にあるエレベータのボタンを押して少し待つと、ドアが開く。中に入り、メモを見ながら、書かれてある部屋号数の頭と同じ数字のボタンを押す。

 ガタンと音を立ててドアがしまり、エレベータが動き出した。


 2、3、4、5……


 くるくると表示盤の数字が変わっていく。

 6が表示されると同時にピーンと音がしてドアが開いた。


 部屋号数の表示と手元のメモをにらめっこしながら廊下を歩く。目的の部屋はすぐに見つかった。

 表札は出ていない――と言っても他の部屋も殆ど出ていなかったけど。

 これからどうするか少しだけ迷った後、バッグから鍵を取り出してドアにある鍵穴に挿し込んだ。鍵は抵抗なく回ってロックが外れた。建物や部屋を間違えていなかったことがわかって、少しほっとした。


「……おじゃましまーす」


 私はドアノブを掴んで、少し重い鉄のドアを恐る恐る引いていく。

 ドアの先には小さな玄関があって、その向こうは廊下と台所を兼ねたスペースになっていた。

 正面には奥の部屋に続くドアが開いていて、部屋の奥に人影が見えた。様子を見ていると人影が動いて、蒼汰がひょっこりと顔を出した。


「……よ、よう」


「やあ、蒼汰。さっきぶり」


 私は小さく手を振ってから玄関に入る。

 手を離したドアがゆっくり閉まった。

 振り返って、一度深呼吸をして。

 ドアノブのつまみを回し、カチャリと鍵を閉めた。


「……ごめん、待たせちゃったよね?」


 再び振り返って、ミュールを脱ぎながら蒼汰に話しかける。

 いろいろあったせいで、余裕をみて設定していた約束の時間も少し過ぎてしまっていた。


「大丈夫だ。それにしても、随分と時間掛かったんだ、な……」


 私は室内に足を踏み入れる。

 そこは私の自室よりも少し広いくらいの一人暮らし用の部屋だった。

 まず目につくのは、正面に置かれた室内の三分の一くらいを占めているベッド。そして、他にはスチールの事務机にテレビとキャビネットがあるくらいで、生活感の無いビジネスホテルのような部屋だと思った。


「……ん? どうしたの、蒼汰」


 私が部屋を見回している間、ベッドに座った蒼汰は、少し前屈みでスマホを両手で持った体勢のまま固まっていた。


「いや、その……着替えたんだな」


 そう言う蒼汰はさっき別れたときと同じ服装だった。


「あ、うん……変じゃない、かな?」


 自分だけ気合い入れているように思えて少し恥ずかしい。


「そんなことねぇよ。ただ、お前がそんな服を着たところなんて見たことなかったから、その……びっくりしただけだ」


「そっかぁ……」


 そういえば、蒼汰の前でこんな風におしゃれしたのはじめてだったかな?

 いつも学校の制服かラフな普段着だったように思う。学園祭のときにしたメイドコスは少し方向性が違う気もするし。


「……に、似合ってるぜ」


「へ……?」


 意外な言葉に私は呆気にとられてしまう。


「……蒼汰から、女性の服装を褒める言葉が出てくるなんて」


「お前なぁ……俺をなんだと思ってるんだ」


「んー……だって、蒼汰は蒼汰じゃない」


「なんだよそれ」


 だけど、なんで突然そんなことを言い出したのか、なんとなく理由を察せてしまった。

 私を待っている間、時間を持て余した蒼汰はスマホでハウトゥーや体験談を必死に調べていたのだろう。その中にパートナーを褒めろとか、そういうアドバイスが書いてあったに違いない。


「……なに笑ってるんだよ」


 不器用さは相変わらずだなと安心していると、蒼汰は拗ねたようにそう言った。


「ううん、なんでもない……ありがとね、蒼汰」


「お、おう……」


 慣れないことをして褒められたことが恥ずかしいのか、蒼汰は顔をそらしてしまう。


「……それに、話し方も違うんだな。ここ最近二人っきりのとき、お前は男言葉を使ってたから調子が狂うぜ」


「そりゃあ、これからすることを考えたら、ね……私だって気ぐらい使うよ。大丈夫、半年間ずっと被ってきた猫だから、そうそうボロはでないと思うよ」


「そ、そうか……」


 複雑そうな表情をする蒼汰。


 ……さて。

 このまま立ちぼうけていても仕方ないよね。

 私は肩掛けバッグを事務机に置いて、ブラウスを壁に掛かっていたハンガーに吊るす。

 そんな私の一挙一動を蒼汰がじーっと見ていて、少しやり辛い。準備中の女の子をあまりジロジロ見るものじゃないってハウトゥーに書いてなかったのかな?

 ……まぁ、いいけどね。


 白いワンピース姿になった私は、蒼汰が座っているベッドの横に並んで腰を下ろした。すぐ側に座るかどうか少し迷って、結局、いつもの距離を開けた。


 そして、訪れたのは、いつもと違う気まずい沈黙。

 蒼汰は私が近づくと同時に顔を背けてしまっていた。

 じーっと見たり、視線を反らしたり忙しいやつだ。


 ……さて、なんて声を掛けたらいいのかな?


 蒼汰も多分私と同じ気持ちなのだと思う。

 ぎくしゃくとした中で沈黙を破ったのは蒼汰だった。


「……なぁ、本当にするのか?」


 それは、昨日と今日で何度も繰り返された問いだった。

 最後の意思確認というやつだろう。


「……覚悟はできてる」


 短く返事をする――迷いはない。

 これがアリシアと一緒に生きるため取れる唯一の手段だから。


「……わかった」


 蒼汰は私の顔を見て、真剣な表情でそれだけ言った。

 こんどは、私が蒼汰を見返しても視線をそらさない。

 だけど、顔が見る見るうちに真っ赤になってしまい、蒼汰が緊張していることが丸わかりだった。


 そんな様子を見て、私は少しだけ安心する。

 緊張してるのは私だけじゃないってわかったから。

 不器用だけど、親友のためになんでもしてくれる蒼汰の真っ直ぐさが、今はとてもありがたく思えた。


「えっと、それじゃあ……よろしくお願いします」

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