第136話 不安と焦燥

 家族同士の話し合いを終えて、俺達は家に帰ることにした。


「翡翠も家に来るの?」


 玄関まで俺達を送ってくれた翡翠は、そのまま靴を履いて一緒にくる様子だった。


「そりゃあ、アリスのことが心配だし……家にいてもすることなんてないもの」


 翡翠は心外だと言わんばかりの態度だった。


「蒼汰の悩みを聞いてあげたりとか」


「冗談」


 俺の提案は、ばっさりと翡翠に切り捨てられた。

 取り付く島のない態度に、少し蒼汰に同情してしまう。

 望まないセックスをするのは俺と一緒なのに、蒼汰だけなんでこんなに顧みられないのだろう。話し合いでも父さんが声をかけてたけど、意思の確認とかは無かったし。

 男の童貞喪失なんて、そんなものかと思わなくはないけれど。それでも、元男の親友とやるなんて普通に嫌だろうに……

 それに蒼汰には好きな人がいるのだ。

 愛が無くてもセックスできるのが男といっても無節操にできるような器用なやつじゃない。せめて普段はいつも通りにして、あいつの恋路の邪魔はしないように気をつけよう。


 それにしても、初体験っていうのは一生残る経験だよな。

 中には失敗してトラウマになる人もいると聞く。

 俺の都合で協力して貰うんだし、なるべく良い思い出にできるようにがんばろう。


 ……感じる演技とかした方がいいのかな?


 女のはじめては痛いって聞く。

 ……でもまぁ、魔王との戦いで腹に風穴を開けられたときよりはマシだろう。痛みに耐えて感じる演技をするのも、やってやれないことはないと思う……多分。


「……どうしたの? さっきから百面相して」


 そんなことを考えていると、心配した優奈に話し掛けられた。


「あ、いや……はじめてって、やっぱり痛いのかなぁって……」


「んー、そうだねぇ……人によるみたいよ? 体の相性とか大きさとかあるっぽい。だけどアリスは……その、大変そうね」


 俺の体をまじまじと見ながら優奈は難しい顔をする。


「うっ……」


 相性なんてものはわからない。

 だけど、全体的に人より体のつくりが小さい俺は、その部分も人より小さい可能性が高いだろう。


「蒼兄の方はどうなんだろうね? 体も大きいから、小さくはなさそうだけど……」


「あいつのは……でかいな」


「え? アリスは蒼兄の……見たことあるの?」


「そりゃあ、まぁ……以前は男同士だったし」


 一緒に温泉にでも行けば自然と目に入る。

 俺と蒼汰はお互いライバル視していて、なにかと競い合っていた。

 男のときは身長は蒼汰より高かった俺だったが、股間の大きさではわずかに蒼汰に負けていたことを心の中で悔しく思っていた。

 蒼汰もそのことを認識していたはずだが、勝利宣言されなかったのは武士の情けだろう。いろいろデリケートな部分なので。


 だけど、お互いに晒したのはあくまで平常時のモノだけだ。

 俺は膨張率に自信があったから、臨戦態勢であれば大きさは決して蒼汰に負けなかったはずだ。

 そもそも、男の価値はアソコの大きさで決まる訳じゃないし。


「って、何に言い訳してるんだろ……」


 俺は首を振って要らぬ考えを散らした。

 いずれにしろ、今はもうなくなってしまったモノだった。


「だけど、そうか。アレが私に……って、やっぱり無理じゃね?」


 かつての自分自身のモノを思い返してみても、アレがソレに入るとは到底思えない。赤ちゃんが出てくる場所なのだからそれと比べたら全然小さいはずだろうけど、実際は指一本すらきついくらいに窮屈なところなのだ。


「だ、大丈夫? 顔色青いよ……?」


「へ、平気だし……」


 優奈のはげましにも、俺は引きつった笑顔で強がりを言うことしかできなかった。

 翡翠はあきれたような表情で、そんな俺達を見守っていた。


   ※ ※ ※


「ただいまー」


 ともあれ、俺達は自宅に帰ってきた。

 父さんと母さんは二人でランチしてから帰るとメッセージが入っていたので家は無人である。


「それじゃあ、あたしお風呂の準備してくるね。アリスは着替えの準備ができたら降りてきてね」


 洗面所で手洗いうがいをして優奈と別れた俺は、翡翠と一緒に自分の部屋に移動した。


「ここが、アリスの部屋……」


 俺に続いて部屋に入った翡翠は、入り口で立ち止まって室内を見回していた。

 こういう反応は兄妹で似ているのが面白い。


「そう言えば、翡翠も私の部屋に来るのは二年ぶりくらいだっけ」


「二年……もうそんなにもなるのね」


 俺が幾人だった頃、俺と蒼汰は放課後、ほぼ毎日どちらかの家で集まって遊んでいた。優奈や翡翠も週に一、二回程度は一緒にゲームしたりしていたので、この部屋にもそれなりの頻度で来ていたのだ。


「それにしても、随分とかわいい部屋になったのね」


「……そうかなぁ?」


 翡翠にも言われてしまった。ぬいぐるみ以外は小物やアクセが増えた程度で家具類は男だったときのをそのまま使ってるから、そんなに違いはないと思うんだけど……


「それじゃあ、私は準備するから、適当にくつろいでて」


 翡翠は室内に入ってくると、いつも座っていたベッドに腰を下ろした。俺は構わず着替えの準備を始める。翡翠が部屋にいるのは慣れているので、二人きりでも居心地の悪さを感じたりとかはない。


 俺はベッドの前に置いてあるプラスチックの三段収納ケースから、下着が入っている段を引き出した。箱の中にはきちんと畳まれたショーツとブラがきれいに並んでいる。


「蒼汰が好きなのは、やっぱり白なんだろうな……」


 俺はその中から白い下着を選んで取り出してみた。

 といってもほとんどが色や柄付きのものだったので、俺が持っていたのは2枚だけ。

 ひとつは、無地でフロントに赤いリボンがついてるシンプルな綿のショーツ。この体になってすぐ母さんに買って貰ったものだ。これに合わせるなら、ブラもシンプルなものが無難だろう。

 もうひとつは、サテン地でツヤツヤしてて繊細なレースが施されているショーツとブラのセット。優奈と一緒に下着専門店で買ったものだ。

 俺は両方をベッドに並べてみる。


「うーん……」


 普通考えたらこっちの勝負下着レースつきのなんだろうけど、気合いを入れて選んだって思われるのも恥ずかしいんだよな……買ったときに着てみたけど、ちょっと背伸びをしてるような感じだったし。

 シンプルな方も年相応で悪くないと思うけど、初体験に臨むにしては飾り気がなさすぎるようにも思える……悩ましいところだ。


「随分と熱心に選んでいるのね」


 翡翠が背中から覗き込んできて言う。


「やっぱり、見られるって思うとね……それに――っ!?」


 俺は言い終えることができなかった。

 翡翠に背後からのしかかられてひっくり返されたからだ。

 気がつくと俺は翡翠に馬乗りに押し倒されていた。


「ど、どうしたの翡翠……?」


「別に……アリスがあの男のために下着を選んでいることにイラっとした――なんてことはないわ」


 ……どう考えてもそれが原因だよね。


「……ええと、怒ってる?」


 翡翠の指が俺の頬に触れて。


「怒ってなんてないわよ。ただ、アリスのはじめてがあいつに奪われるって思うと少し面白くないだけ……」


 俺は翡翠の恋人で婚約者にもなっている。

 そんな俺が蒼汰に抱かれるのは、翡翠にとって気分が良いはずもない。

 翡翠と肌を重ねたのは温泉旅行のときの一回だけで、そのときも処女を奪わないように配慮してくれていた。

 その後も優奈と肌を重ねたりもしたけれど、一応俺はまだ処女のままだった。そして、このままだと蒼汰を相手に処女喪失することになるだろう。


「ええと……いまから私とする?」


 蒼汰とすることはやむを得ないにしても、せめてはじめてくらいは翡翠に捧げるべきじゃないのかと思い俺はそう口にした。

 だけど、翡翠は残念そうに首を振った。


「私、今生理なの」


「そうなんだ……」


「本当、くやしいわ……」


 翡翠の人差し指が俺の頬に押し付けられて、ふにふにと弄ばれた。少しの間そうやって戯れた後、不意に指の動きがピタッと止まる。


「いっそ、このまま指で奪ってしまおうかしら」


 少しサディスティックなその声に、思わず俺はびくっと竦みあがってしまう。だけど、俺は怯みそうになる心を抑えて、きゅっと目をつむってこたえた。


「……いいよ。翡翠がそうしたいなら」


 他に今の私が翡翠にしてあげられることを思いつかなかったから。翡翠が望むことは、なるべく叶えてあげたい。


「……冗談よ。ただでさえ蒼汰に抱かれるアリスの負担は大きいわ。余計な負担をあなたに掛けたくなんてないもの……」


 俺は息を吐いて脱力した。

 翡翠とのエッチは気持ちいいのか苦しいのかわからないくらいにぐちゃぐちゃにされた記憶が、自分の中で若干トラウマ気味になっているらしい。

 そんな思いが自分の中にあるのが少し後ろめたくもあり、俺は翡翠に謝罪することにした。


「婚約者が他の男に抱かれるのって嫌だよね。翡翠の気持ちを考えてなくて……ごめんね」


 俺が謝ると何故か翡翠は困惑して視線を彷徨わせた。


「なんで……謝るの? アリスは何も悪くなんてないじゃない。今の状況を招いたのは私……そう、全部私自身が望んだことなのに」


 翡翠の表情が悲痛に歪んで――

 瞳から涙がこぼれだす。


「蒼汰ならまだ我慢できるかもって思ったけど、やっぱり無理だった。だけど、私よりアリスの方がずっと辛いはずだから……辛くてもアリスと二人なら我慢できる。だから、私がアリスを支えなきゃって、そう思ってたのに……!」


「翡翠……」


「なんで、アリスはそうやって人に気をつかっていられるの? 私だけじゃなくて蒼汰まで。あなたはこれから望まない相手に抱かれるのよ。なのに、どうして……っ!」


 ポタポタと俺の胸に翡翠の涙が落ちてくる。


「うぅ……ぁ……最悪だ、私。こんな八つ当たり……アリスの支えになるって大口叩いておいて、こんな……」


「大丈夫、大丈夫だから……」


 俺は翡翠が安心できるように頭を抱きしめて胸元に抱き寄せた。後頭部をあやすように撫でる。

 しばらくの間、翡翠が落ち着くまでそうしていた。


「……ごめんなさい」


 やがて、謝罪の言葉を翡翠はこぼす。


「ごめんなさい、アリス。私こんなこと言うつもりなんてなかったのに……」


「俺は気にしてないから大丈夫だよ。正直、辛いっていう感情はあんまりないんだ……むしろ嬉しいとさえ思ってる。今の俺はアリシアのためにできることがあるんだから」


「幾人……」


 異世界で俺はいろいろな経験をした。

 出会いと別れ。生と死。

 だから、俺が大変な思いをすると言っても、命が失われない分御の字だと思ってる。

 ……それに、誰かが俺のために犠牲になることと比べたら万倍もマシだ。


「翡翠には本当に感謝しているんだ。だから、俺も翡翠のことを大切にしたいって思ってる。しばらくは子作りで辛い思いをさせてしまうと思うけど……俺の恋人は翡翠だから」


 俺は翡翠の涙を指で拭って、唇を重ねた。

 彼女とのはじめてのキス。

 角度と場所を変えて啄むように唇を重ねていく。


「ん……んんっ!?」


 キスを終わろうとすると、今度は翡翠の方から唇を重ねてきた。頭を両手で包み込まれ、強引に求めてくる激しい口づけ。


「ふっ……んっ……!」


 唇を舌先でこじ開けられて。

 翡翠の舌が俺の口内を蹂躙してくる。

 俺も翡翠に応えようとなんとか舌を突き出すと、絡め取るように翡翠の舌が巻きついてきた。


「んんっ……ふぅ……ぁ……」


 そのまま一心不乱に舌を絡ませ合う。

 いやらしい水音が口の中から脳内に直接響いてきて、思考かがとろけそうだ。

 粘膜がぐちゃぐちゃに交わって、二人の境界を曖昧にしていく。俺達はただひたすらに舌を絡め合うだけの生き物になっていた。


 それが、どれだけ続いたのかわからない。

 気がついたら翡翠の顔が離れていていた。

 思考はどろどろで、酸素を求める息は荒い。


「こっちのはじめてはもらったから」


 不敵に微笑んで翡翠は言う。

 でも……


「えっと、ごめん……キスははじめてじゃ……」


 訂正しようとする俺の唇に翡翠の人差し指が押し付けられた。


「恋人同士のキスははじめてなんでしょ?」


「う、うん……」


「だったらいいわ」


 翡翠は綺麗に微笑むと、ベッドから降りて立ち上がった。


「それじゃあ、私家に帰るわね」


「ん……わかった」


「……ありがと、幾人」


 翡翠は小さく手を振って、俺の部屋から出ていった。

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