第124話 デート(その5)

『学校に行きたいんです』


 帰りの電車の中でアリシアが言った。

 もちろん、俺に反対する理由なんてない。


 家の最寄り駅まで戻った俺達は学校に向かう。

 途中からはいつもの通学路になった。

 アリシアと学校に通ったのは半年ほどだったけど、いろんなことがあって、ふたりで思い返しながら話していると、あっという間に学校に到着する。


 俺は校門で立ち止まり、ぐるりと周囲を見渡した。


『うわぁ……!』


 アリシアの感嘆の声が聞こえてきて、俺は意図した反応が得られたことに満足する。

 校庭は年に一度の晴れの装いで、満開の桜が咲き誇っていた。


 少し大回りをして俺は桜の木の下を歩きながら校舎へ向かう。グラウンドには部活に励む生徒たちがいて、掛け声が聞こえている。


『これが、桜……』


 顔を上げると桜に視界を埋め尽くされた。

 手前側の桜は傾きかけた太陽に照らされて、燃えるように紅く輝いている。奥側の桜はまだ蒼さの残る空を圧倒的な白で覆い隠して、天然のモザイクを作り出していた。

 俺はその光景に足を止めて見入ってしまう。


「きれいだね」


『……ええ、本当に』


 アリシアが桜を見るのは初めてのことだ。


『桜のことはアニメや動画で知ってたつもりでしたけど、実際に見るのとは全然違いますね。こうやって木の下から見上げてると、まるで吸い込まれそうで……少し怖いくらい』


「今日はちょうど見頃だね。先週は殆ど咲いてなかったし、来週にはほとんど散ってしまってるだろうね」


『わたしは幸運です――また新しい体験をすることができました。それにしても、こんなきれいなのに直ぐに散ってしまうなんて、なんだか少し寂しいですね』


「そうだね。でも、桜の花が散った後は、すぐに青々とした葉っぱで一杯になるよ。それはとても生命力に溢れていて力強いんだ」


『そういえば、夏休みに初めてここへ見学に来たときは緑でいっぱいでしたっけ。そうやって夏に葉を着け、秋に紅葉し、冬に葉を落として……そして、また春に花を咲かせるのが桜なんですね』


 この国の人たちが桜に強い思い入れを持っている理由が少しわかった気がします、とアリシアは続けた。


 俺たちはゆっくりと桜の木の下を歩いていく。


『〜♪』


 ふいにアリシアが鼻歌を歌いだした。

 聞き覚えのあるメロディだ。


「……仰げば尊し?」


 俺がなんとはなしに呟くと、アリシアは鼻歌を中断した。


『この歌はそんな名前だったんですね。この前卒業式で聞いて、いい歌だなって思ったんです』


 定番の曲でもアリシアにとっては初めて聞く曲なんだ。アリシアと居る時間が当たり前すぎて、いまさら、そんな当たり前のことを思い出した。


『歌詞で少し意味がわからないところがあるんですけど、聞いても良いですか?』


「もちろん」


 アリシアが聞いてきたのは、幾年いくとせの意味だった。

 漢字を伝えるとアリシアは直ぐに得心がいったようだ。


『もうひとつ、思えば――の後のなんですけど、いととし……? いとおしいの聞き違いでしょうか?』


『愛おしいではなくて、いとし――って歌詞だね。振り返ってみると学校で過ごした時間はとても短かったっていう意味だよ』


『なるほど……その気持ち、よくわかります』


 アリシアは、意味を噛みしめるように『いと疾し』と繰り返し呟いた。


 そんなやり取りをしているうちに校舎前まで到着した。


「それで、アリシアどこに行きたい? 教室、体育館、それとも、部室?」


 俺たちの思い出深い場所を挙げてみる。

 だけど、アリシアの示した場所はそのどれでもなかった。


『ええと、屋上に行って貰ってもいいですか?』


「屋上? ……うん、わかった」


 屋上なんてクリスマス前に不良に襲われたときくらいしか、行ったことはないと思うんだけど。涼花とふたりで話したのも旧校舎の屋上だしなぁ……

 まあ、いいか。


 俺は昇降口で靴をを上履きに履き替える。

 私服のセーラーワンピースに学校指定の上履きというのはどうかと思ったけど、まだ裸足でいるのは辛いのでやむを得ないだろう。まあ、誰に見られる訳でもないし。


 春休みの校舎に人影は無くって。

 日差しが窓から廊下に差し込んでいて、校舎は夕日色に染められていた。

 歩く度にコツコツと足音がやけに大きく響く。

 階段に差し掛かる頃、アリシアが仰げば尊しを今度は歌詞入りで歌い出した。


『仰げば尊し、我が師の恩』


 校舎の階段を上がって行く。


おしえの庭にも、はや幾年いくとせ


 3階の廊下から屋上に続く階段は真っ暗で、俺はスマホを取り出して足下を照らしながら進んだ。


『思えばいとし、この年月としつき


 階段を登り切った先にある鉄のドアを押し開けた。

 ドアの隙間から差し込んでくる光の強さに、目を細めて一瞬立ち竦む。


『今こそ別れめ、いざさらば』


 アリシアが歌い終わるのとほぼ同じタイミングで、俺は紅く染まった屋上に足を踏み出した。


『……ありがとうございます、イクトさん』


 逆光で黒くなったビルの背後に重なった太陽は、下半分を隠しながらも存在をアピールするかのように強い光を放っていた。

 空は朱と蒼のグラデーションに、まばらに散らばった茜色の雲がアクセントとなって、思わず見惚れてしまうような景色を作り出していた。


 その光景に目を奪われながら歩を進める。

 日中優しかった日差しは弱まり、風は冷たさを増して、春物のワンピースでは肌寒く思えた。

 屋上の真ん中あたりで俺は立ち止まる。

 誰の気配もない黄昏時。

 遠く聞こえてくるブラスバンド部の演奏音と部活動の掛け声。


 そして、アリシアによって告げられる。


『それじゃあ、これからわたしの卒業式を始めます』


 ――終わりの始まりを。

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