第120話 デート(その1)

アリシアが私にくれたもの


未来、命、彼女のすべて


そんなアリシアに俺は何ができるというのだろう?


まだ、何も返せてなんていやしないのに


その機会は永遠に失われようとしている


だからせめて――


どうか、最後まで楽しい記憶を残せるように


終りの刻まで笑っていよう


……そう、決めたんだ




四月二日(日)


 朝――目覚めは不思議と穏やかで。


「おはようアリシア」


 一週間ぶりにするいつもの挨拶。


『――おはようごさいます、イクトさん』


 返ってきたアリシアの声に、俺は内心胸を撫で下ろす。


『今日はとってもいい天気ですね!』


「うん」


 やわらかな朝の日差しが窓から部屋に差し込んできて暖かい。

 絶好のデート日和だった。


『きっと、てるてる坊主のおかげですね』


 窓にぶら下がったそれに気づいたアリシアが言った。

 それは、昨晩優奈と二人で作ったてるてる坊主。

 昨日の天気予報では晴れるかどうか五分五分で、すがる思いで作ったものだった――本当に晴れて良かった。 


「おはよう、二人共」


 床に敷いた布団で寝ていた優奈が、目元を擦りながら挨拶する。

 昨日は優奈と別々に寝ていた。眠りに落ちるまでアリシアの事だけを考えていたかったからた。

 優奈は俺が眠れるかどうか心配していたけど、一晩くらいどうって事はないからと押し切った。

 案の定、いろいろと込み上げてきて殆ど眠れなかったけど、それでいい。

 欠伸を噛み殺している優奈もあまり眠れなかったようで、俺の我儘に巻き込んでしまって申し訳なく思う。


『おはようございます、優奈』


 念話を起動したタイミングで、アリシアが優奈に挨拶する。


「ん……」


 優奈は挨拶に応える代わりに、のそのそとベッドに上がって、俺をぎゅっと抱きしめてきた。

 私と同じシャンプーの匂いが一瞬ふわっと鼻孔をくすぐって、それから、甘い優奈の匂いで満たされる。

 俺はすっかりこの匂いで安心する体になってしまっていた。

 力を抜いて身を委ねる。

 両腕できゅっと強く抱きしめられて――俺を包み込む優奈は、少し震えているように思えた。


「晴れて良かったね……今日はいっぱい楽しんできてね」


「うん!」『はいっ!』


 俺達はふたり元気に返事をした。


 それから無言で互いの温もりを確認しあう。

 一分くらい、たっぷり抱きしめられてから離れる。


「デートに行くなら目一杯おめかししないとね! あたしがやったげるから、まずはぱぱーっとご飯食べちゃお!」


『ありがとう、ユウナ!』「う……」


 やる気溢れる様子に俺は少し引き気味になるけど、今日は優奈の好意を素直に受けておくことにする。

 今までの俺はあまり着飾る事に意識を向けて来なかったので、化粧の仕方も碌に知らなかったから。


 優奈と一緒に一階に降りる。

 リビングには、キッチンで料理している母さんと、ソファーに座ってテレビを流し見ながらノートパソコンを操作している父さんが居て、家族全員が揃う事になった。

 俺達は挨拶をして、並んでダイニングテーブルの椅子に腰を下ろす。


『うわぁー、美味しそうです!』


 並べられていた母さんの朝食は、いつもよりも少し気合いが入っていた。

 ご飯、お味噌汁、漬物皿、ソーセージ付きベーコンエッグ、サラダ、デザートのフルーツ。

 メニュー自体は普段出ている物と変わらずに、それぞれが少しずつ手が込んでいた。

 アリシアがいつも通りミンスティアへの感謝の祈りの言葉を捧げ終わるのを待ってから、


『「いただきます」』


 と唱和して、俺達は朝ご飯を食べ始めた。

 茶碗と箸を手に取って、一品づつゆっくりと味わって食べていく――味がアリシアに届くように祈りながら。


『……うん、美味しいです!』


 アリシアの上機嫌な声を引鉄にして会話が始まった。

 今日のデートの予定とか、着ていく服とか化粧とかいったそう言った話で盛り上がる。

 母さん……やたらフリフリな服を俺に着せようとするのは勘弁して欲しい。

 父さんは基本的には会話には入らず、ソファーで背中を向けたまま作業をしていて、たまに話が振られたら答える。

 これもいつも通りの光景だ。


『「ごちそうさまでした」』


 優奈より先に食べ終えた俺達は再び両手を合わせて言う。


『お母様、いつも美味しいご飯をありがとうございます。わたし、お母様のご飯大好きです』


「アリシア…………ありがとう、ね……」


 返事の声は震えていた。

 母さんは手で口元を押さえて、目尻に皺を寄せている。


「ご、ごめんなさい……お手洗いに行ってくるわね」


 そう言い残して、母さんはリビングから飛び出した。


 残されたリビングに不意に沈黙が訪れる。

 食器が立てる音と、テレビから流れるニュースの音声だけが、室内に聞こえていた。

 少し間を置いて、父さんが無言で立ち上がってリビングを出ていく。


 誰も何も言わない……言わなくてもわかっていた。

 もしあそこで母さんが泣き崩れていたら、取り繕うようにして作られた日常は壊れてしまっていただろう。

 そうならないように母さんは出ていったのだ。


 涙は今日という日に相応しくない。

 だって、今日は楽しいデートの日なのだから。


「ごちそうさま!」


 朝食を終えた優奈と一緒に食器を片付けてから、三人で会話を再開する。

 遊園地で何に乗りたいとか、どれから行く予定なのか、優奈が取り出したスマホでアトラクションの案内を見ながら、俺達はあれに乗りたいこれも良いと楽しく計画を立てた。


 そのうちに父さんが戻って来てソファーに座り、そしてまた少しして母さんが戻ってきた。


 母さんはそのまま台所で食器を洗っている。


「それじゃあ、出掛ける準備しましょ」


 と優奈に促されて、俺達はリビングを後にした。

 最初は洗面所。洗顔をしてから、化粧水と乳液をつける。

 それから、俺の部屋に戻って服を着替えた。

 姿見の前に立ってお澄まし顔で微笑んで、アリシアにお披露目する。


『この服とてもかわいいです!』


 白ベースに水色のチェック、そして白のカラーがついたセーラーワンピース。

 この前優奈と一緒に街に行ったときに買った服で、アリシアは初見になる。

 服のデザインがアリシアに良く見えるように鏡の前でくるくると回る。裾やカラーがふわっと翻るのがとても楽しい。


「……ふふっ、やっぱりそれ似合ってるわね」


 いつの間にか部屋に入って来た優奈が、俺の様子を見て言った。化粧品が入ったバッグを小脇に抱えている。


「うん、かわいいよね!」


 思わず私もテンションが高く応えた。

 これは、お店で一目惚れして買った服だった。

 アリシアもきっと気に入ってくれると思ってはいたけど、実際に反応して貰えるとやっぱり嬉しいものだ。

 ……結構いい値段したから、財布は少し寂しくなったけど。


 優奈が椅子を持ってきてくれて、そのまま姿見の前に座って化粧してもらう事になった。


「アリスも少しづつ化粧の仕方も覚えないとね」


 優奈の申し出はありがたいものだった。

 少しだけめんどくさいと思う気持ちもあるけれど、今後生きていく為には必要になる事だ。


「と言っても、あたし達の歳だと濃い化粧は逆に不自然になるからね。軽く自然に仕上げるだけだし、そんなに手間は掛からないわ」


 ヘアバンドで前髪が上げられて化粧が始まる。

 手慣れた優奈によってささっと整えられていく俺の顔。

 化粧なんて今の俺には要らないんじゃ……と正直思っていた。

 だけど、実際に施されてみたら、自然な雰囲気のままで印象が際立つようになっていて。

 可愛らしさが強調された見慣れぬ私にドキドキする。


「これが私……」


 鏡の中で、薄く紅が塗られた唇が動いて。

 なんとなく気恥ずかしくなって思わず視線を反らした。


『……素敵です』


「今日は最初だからあたしが全部やったけど、次からは一緒に練習しようね」


 優奈は俺のヘアバンドを外しながら満足そうに言った。


「次はヘアメイクだね」


 と言っても今日はいつものストレートヘアから変えるつもりはないので、整えて貰うだけだ。

 お出かけ着で化粧までした私が、椅子に座ったまま優奈に櫛で髪を梳かれている。

 姿見に映る光景は、まるで夢でも見ているかのように幻想的で――それが俺である事も忘れて思わず見入ってしまう程だ。

 櫛が入る度に春の日差しを受けてきらきら光る白銀の髪が、はらはらと落ちていく。

 心地よい感覚に俺は思わず目を細めた。


「うん……上々ね」


 鏡越しに見える満足げな優奈の表情。

 そして、鏡の中には頬を上気させた美少女が居た。

 心臓がトクンと跳ねる。


 俺はナルシストなのだろうか?

 ……いや、これは仕方ないだろう。

 だって、鏡に映っているのは生まれて初めて俺が本気で好きになった女の子の姿なのだから。


 優奈に礼を言って立ち上がり、勉強机の前に立つ。

 引き出しから小箱を取り出して開け、中に入っているクリスマスに買ったツインのリングを摘んだ。

 左手を眼前に掲げて、アリシアに見えるように指輪を薬指に嵌める。

 そして最後に、セーラーワンピースと揃いで買ったお洒落な黒のラインが入った麦藁帽子(カンカン帽って言うらしい)を頭に乗っけて完成だ。


「……これで完璧っと」


「アリスーこっち向いてー?」


 振り返ると優奈がスマホのカメラを構えていた。


 しょうがないなぁ……


 俺は優奈の方を向いて、何枚か写真を撮って貰う。

 ちょっと調子に乗って、ファッションカタログで見るようなポーズを幾つか取ってみたりした。

 見せて貰った写真に写った私は、我ながらあざとかわいかった。


『イクトさん、とってもかわいいです!』


 いえいえ、それほどでも……あるかな?


 優奈は自分も着替えるとのことで、先に部屋を出て自分の部屋に戻った。

 俺は誕生日に母さんから貰ったお出かけ用の白い小さなバッグにスマホを入れて肩に掛けると先にリビングに降りる。

 両親は着飾った俺の姿を絶賛してくれて、何だかくすぐったく思う。

 やがて、普段着に着替えた優奈がリビングに降りて来て。

 顔を合わした早々に優奈が遠慮がちに聞いてきた。


「ねぇ、あたしは駅前に買い物に行こうって思ってるんだけど……よかったら駅まで一緒に行ってもいい?」


『はい、勿論です! 一緒に行きましょう』


「ありがとうアリシア。アリスもデートの邪魔しちゃってごめんね? ……その、駅前までだからさ」


 少しでも長くアリシアと一緒に居たい、だけどそれは俺達二人のデートを邪魔する事になる。

 そんな風に考えている優奈の気持ちが見て取れたから。


「気にしないで。私も優奈と一緒がいいよ」


 と言っておいた。

 そもそも俺は優奈にお世話になりっぱなしで、彼女を邪険にする選択肢なんて端っから無い。

 それに優奈はアリシアと最も一番親しい同性の友人であり家族でもあるから……


 出発にあたって、家族揃ってのお見送りになった。

 母さんは父さんに寄り掛かるようにして立ち、父さんは母さんの肩を抱いて静かに支えていた。


 二人の視線を受けながら靴を履く。

 アトラクションに乗る為、履くのは黒のローファーだ。


「……それじゃあ、行ってくるね」


 靴を履き終えた私は振り返って言う。


「行ってらっしゃい――私の大切な娘たち」


「楽しんでおいで」


 短く挨拶を交わす。

 最後まで、父さんと母さんは笑顔のまま。


『お父様、お母様、行ってきます――今までありがとうございました』


 アリシアの言葉に合わせて俺は丁寧に頭を下げる。

 体が自然に動いていた。

 礼から直るとき、両親と目を合わせてしまったら堪えなくなりそうで、俺はさっと振り返ると、そのまま玄関から家の外に駆け出した。

 後ろ手で締めたドアで、両親の姿は完全に見えなくなった。


 家の前の道では、先に出た優奈が待っていて。

 少し息の荒い俺を見ても何も聞かず、俺の手を取って両手で包み込んでくれた。


「大丈夫……?」


 優奈の手の柔らかさが、温もりが俺に安心感をもたらしてくれる。


「……ん、もう平気」


『ありがとうございます、ユウナ』


「それじゃあ、行こうか」


 最後にもう一度だけ振り返った後――

 我が家に背を向けて俺達は駅に向けて歩き出した。

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