第119話 春の訪れ


 とてとて、とてとて、ハラッパはしる


 かあさまとイッショ、いっぱいあそぶ


 つかれたら、すわってちょっとオヤスミ


 そしたら、かあさまがジュースをくれた


 ゴクゴクのむ……おいしい


「……アリシアは将来何になりたいの?」


 キュウケイしてたら、かあさまがそういった


「およめさん!」


 わたしのコタエはきまっている


 おひめさまみたいなドレスをきて


 だいすきなひととケッコンする!


「相手も決まっているの!」


「あらあら、そうなの……? ――くん?」


 かあさまはオトモダチのおとこのこのなまえをいった


「ちがうの!」


 ふふん、わたしはそんなこどもにキョウミなんてないの


「ほんとはヒミツなんだけど……かあさまだけに教えてあげるね!」


「ふふ、ありがと……」


「ときどき男の人の夢をみるの。とても格好良くて素敵で……きっとわたしの運命の人!」


「そう、なんだ……」


 だけど、かあさまはわたしのハナシをきいてすこしかなしいかおをした


 わたしがケッコンしておうちをでていってしまうって、おもったのかしら


「心配しないで、かあさま……結婚するのは、わたしが大人になってからだから!」


 それまではかあさまのムスメでいるから


 だから、そんなカオをしないで、かあさま……


 かあさまがぎゅっとわたしをだきしめてきて


 わたしは、かあさまのせなかをよしよしとなでた


二月二十八日(火)


 三日前の夜、優奈に何も考えられないようにされて。

 一昨日の夜、ずるずると同じ事が続かないように俺は優奈の誘いを毅然と断った。

 だけど、闇の帳に包まれたベッドの中でじっとしていると、焦燥感と不安で頭が痛くなって体も震えてくる始末で、とてもじゃないけど眠れそうになくて。

 そんな状況から逃避するように、ちょっとだけならと声を殺して自分自身で慰めていたら、それが優奈にばれた。

 ……後はなし崩しだった。

 そして昨日の夜、当たり前のようにベッドに入ってくる優奈の事を俺は拒絶できなかった。

 今朝、目が覚めた俺の隣には当たり前のように一糸纏わぬ優奈が居て、俺の寝起きの顔を覗き込んでいた。


「おはようアリス……目、覚めた?」


「ん……おはよ……」


 昨晩の影響が残っていて体がだるい。

 ……でも、何か忘れてるような……?


『おはようございます、イクトさん』


 頭の中で声がして。


「あ、アリシア!?」


 そうだ、今日はアリシアと同調する日だった。

 昨晩優奈に触れられる前はその事を覚えていて、後始末をしてから寝なきゃって思っていたんだけど……

 幾度となくイかされているうちに、そのまま意識がトんでしまっていたようだ。

 二人共全裸の上、部屋の中は甘ったるい匂いが漂い昨日の行為の残滓が生々しい。おまけに腰の辺りが湿っていてひんやり冷たい。

 言い訳のしようもない状況に俺は狼狽する事しかできない。


『……イクトさん念話をお願いします』


 と、アリシアに言われて、俺は使うのを忘れていた念話を起動する。


『おはようございます、ユウナ』


「うん、おはようアリシア」


 何でもない風に普段通りの挨拶を交わす二人。

 今日の予定や放課後の予定の確認など事務的なやりとりをしている間に、優奈はベッドサイドに畳んで脱いであった衣類を身に着けていく。

 寝間着を着終わった優奈が自分の部屋に戻る頃になっても、俺は全裸で佇んだままで、


「アリス、そろそろ支度しないと学校に遅刻するわよ」


 と言われて我に返った俺は、わたふたと脱ぎ散らかされた服を拾い集めて着はじめるのだった。


 優奈が部屋を出ていってから、俺は着替えながらアリシアにおずおずと聞いた。


「あ、アリシアは怒ってないの……?」


『……え? いったい何を怒るんですか?』


 不思議そうに逆に俺に聞いてくるアリシア。

 それは、本気で怒っているからという訳では無さそうで。


「ゆ、優奈とのこと……その……俺……」


『ああ、夜のことですか。大丈夫ですよ、ユウナとは話をしてますから……むしろ、お願いしたくらいですから。イクトさんが夜中に一人で考えこんでしまって、後先考えない行動に出ないようにと』


「そ、そうだったんだ……」


『はい、そうですよ』


 目的の為には手段を選ばないアリシアに、俺は背筋がひんやりする思いだった。


三月三日(金)


 桃の節句。

 客間に飾られた雛人形を見て、アリシアは驚きの声をあげていた。我が家の雛人形は雛壇が七段ある立派なもので、先月に女三人で飾りつけたのだった。

 アリシアがこれを見るのは初めてで。


『綺麗……』


「優奈が産まれたときに父さんが気合入れて買ったのよね」 


 そのときはまだ狭い賃貸だったのに。

 と、母さんはそのときの事を思い出したのか苦笑気味に言った。


「それにしても、アリスとアリシアに無いのは不公平かしら?」


「……ごめんね、あたしばっかり」


 と二人に言われたけれど、別に雛人形なんて欲しくないから。

 それに、俺には鯉のぼりがある。

 これも長男の誕生に喜んだ父さんが奮発して買った物だ。

 今年も飾りたいな。

 ……もう、うちに男の子は居なくなったけど。


三月六日(月)


 今日は卒業式だ。

 三年生に交流の深い人は居ないので、それほど思い入れは無い。

 だけど、式を初めて経験するアリシアは感じ入るところがあるようで、ときおり溜息のような声をこぼしていた。


 ――アリシアは卒業を迎える事はできないのだろうか。


 そう考えてしまったら、途端に胸の奥からきゅーっとしたものがこみ上げて来て、涙がぼろぼろとこぼれ落ちて止まらなくなった。


 だけど、泣き崩れてしまうのは、ぐっと堪えて。

 アリシアと同調しているときにみっともない姿は見せられない。

 幸い他にも涙を流している娘はいたので、涙を流すくらいなら不審に思われる事はなかった。


 ……夜、次の同調は四日後になるとアリシアに告げられた。


三月十日(日)


 生理が始まっていて、体調は芳しくない。

 同調しているアリシアが心配で、負担を掛けていないか聞いてみたが、返答に時間差があり違和感を覚えた。


 まるで、アリシアは生理痛を感じてないかのような――


 ……気のせい、だろうか。

 次は五日後になる。


三月十五日(水)


 アリシアの口数は少なくなっていて、俺が心配して呼び掛けると何でもない風に取り繕った反応が返ってくる。


 授業中、俺はアリシアにいろいろと話し掛けた。


 優奈と放課後に行ったスイーツのお店。

 春用にちょっと奮発して買ったワンピース。

 初めて買った化粧品の話。

 アリシアが気に入っていた小説の新刊。


 ……話したい事は尽きない。


『ちゃんと授業聞かないとダメですよ?』


 と、アリシアはたしなめるけど、楽しそうに相槌を打って俺の話を聞いてくれていた。

 そんな事をしていたら、先生に名前を呼ばれて。

 慌てて返事して立ち上がると、アリシアが問いと答えを教えてくれて何とか事なきを得た。


『……ほら、だから言わんこっちゃないです』


 アリシアは苦笑しているみたいで。

 俺は笑ってごまかした。


 放課後、自宅にて。

 ……やっぱり、アリシアは五感のうちいくつか同調が切れてるようだった。


『甘くて美味しいですねぇ……わたしチョコレート大好きです!』


 こっそり用意しておいたカカオが殆どのチョコレートを食べたアリシアの反応がこれだった。

 この前に食べたときは、苦さで言葉に詰まっていたのに。

 だけど、日常を続けようとするアリシアの気持ちを無碍にしたくはなくて、俺は何も気が付かないふりをすることにした。


 ……チョコレートは本当に苦くて、少し涙が出た。


 ――次の同調も五日後。


三月二十日(月)


 アリシアの希望で今日は久しぶりに部活に出た。

 部室には部員が全員勢揃いしていて、アリシアと他の部員総当りで対戦する事になった。

 アリシアはカードを動かせないので、どのカードを使用するかを念話で指示してもらい、実際のカードのプレイは俺が行うことになる。

 完全記憶能力に加えて、戦闘で培われた状況判断力のあるアリシアは、ウィソが恐ろしく強かった。


「それじゃあ、まずはあたしだね!」


 最初の対戦相手は優奈とだった。

 学校での優奈は以前と変わらずで。

 ややスキンシップが多いかな? くらいだった。

 夜は毎日肌を重ねていた。

 ……そう、毎日である。

 生理のときですら、優しく丁寧に俺の全身に触れて俺の不安を解消してくれていた。

 だけど、優奈はあくまで俺の事を気持ちよくしてくれるだけで。俺が優奈に触ろうとしたら、その行動は優奈に制止された。

 だけど、正直俺はほっとしていた。

 俺は優奈と対等な立場でしているのではなく、優奈が求めるがままに応えているという体裁でいられたから。

 後で思い返してみると、この頃の俺は優奈に完全に甘えていた。


 優奈は気に入ったカードを軸にした自作デッキを好んで使う。今使っているのは銀髪天使のカードが主力の天使ちゃんデッキ(命名:優奈)だった。

 正直デッキとしてはやや弱いけれど、優奈自身とても楽しんでプレイするので勝っても負けても気持ちいいゲームになる。


「さすがアリシア、強いね!」


 ゲームはアリシアの勝利に終わった。

 続いて、対戦相手の席に座ったのは翡翠だ。


「アリシア、今日は負けないわよ?」


 ……思えば翡翠には助けられてばかりだ。


 翡翠は毎日俺の教室に来てはアリシアの魂の様子を教えてくれている。日々悪化する状況を淡々と告げられるのは辛かったが、それでも知らないでいるよりかは全然マシだった。


 翡翠が使うのは対戦相手によって変幻自在にプレイスタイルが替わるミッドレンジデッキだ。

 アリシアが使うのは完全受け身なコントロールデッキの為、翡翠が攻め手となった。


「……負けたわ」


 翡翠は悔しそうに投了の言葉を告げる。

 ゲームは、翡翠の攻勢をアリシアはぎりぎりのところで捌き切って勝利した。

 次に少し居心地が悪そうにして俺の前に座ったのは蒼汰だった。


「……よぉ」


 蒼汰とは、俺が危険を冒してエイモックに会ったとアリシアがみんなに話して以来、なんだかぎくしゃくするようになっていた。

 相談なしに身勝手な事をした俺に腹を立てたんだろう、自業自得だし仕方ない。

 そんな蒼汰であったが、ウィソで対戦しているうちに少しぎくしゃくが薄れてきた気がして嬉しかった。


 蒼汰との対決は、相手の行動を受けて行動するコントロールデッキ同士がぶつかることになった。時がくるまで静かに動き、戦端が開くと一気にカードの応酬が始まった。


「……俺の負けだな。また今度やろうぜ、次は負けないから」


 ゲームが長引いて取れる選択肢が増える程、適確なプレイが即座に導き出せるアリシアが徐々に有利を取っていき蒼汰に勝利した。


 続いて、ふわっとした雰囲気のお嬢様である涼花が次の対戦相手だ。


「お手柔らかにお願いしますわ」


 蒼汰とは逆に涼花とは最近親しく付き合うようになった。

 あれから何度か涼花の家にお邪魔させて貰っている。

 彼女が蒼汰を諦めてから逆に落ち着きが増したように感じて、以前よりもさらに魅力的になっている気がする。

 蒼汰は随分惜しい事をしたんじゃないかと今でも思ってる。


 ……そんな事を言っても仕方の無い事だろうけどさ。


 ゲームは速攻デッキを使う涼花による猛攻をアリシアががっつりと受け止める展開になる。


「……負けましたわ」


 ぎりぎりのところで凌いだアリシアが、なんとか勝利をもぎ取った。


 ゲームを終えて、部員全員でハンバーガーショップで買い食いをして帰った。

 みんな最後まで笑顔だった。


 ――次は六日後。


三月二十六日(日)


 随分と暖かい日だった。

 折角の日曜日だったので、どこかに行かないかと提案したが、今日は一日一緒にお家でのんびり過ごしたいです、というアリシアの希望で家にいる事になった。


 俺達はいろんな話をした。


 異世界でのこと。

 この世界でのこと。


 俺がアリシアの事をどう思っていたのか。

 アリシアが俺の事をどう思っていたのか。


 ときどき、アリシアの事をエッチな視線で見てしまっていた事が、思いっきり本人にバレバレだったのはショックだった。

 しかも、迫られたら拒絶するつもりは無かったとか……


 他の娘に迫られている俺を見て、ずっと側にいる自分が手を出されないのには何か原因があるのか悩んだ事もあったと聞いて、必至に我慢してきた俺の努力はなんだったのかと残念な気持ちになったりもした。

 わたしも素直になっていれば良かったです、とアリシアも残念そうに言った。


『イクトさん、来週は遊園地ってところに行ってみたいです……デート、しませんか?』


 アリシアから、控えめに切り出されたお誘いの言葉に、俺は一も二もなく了承の返事をした。


 彼女は何も言わなかったけど、わかってしまった。

 これが最期のデートになるということ。


 ……もう、アリシアは限界なんだって。

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