第108話 誕生日(その6)

 どれだけ泣いたのかわからない。


「うう……ひっく……アリシア……」


 ひたすら泣いて、泣いて、泣き疲れて。視線を虚ろに彷徨わせるとアリシアとの思い出の品が目に入って、また泣いての繰り返し。


 クラスメイトと放課後に寄ったお店で購入した雑貨。

 アリシアと一緒に読んだ小説や漫画。

 温泉街で買った紫と水色の透明なブレスレット。

 ベッドで今も抱きついている大きいイルカのぬいぐるみ。

 クリスマスにプレゼントしたペアリング。


 アリシアとの楽しかった思い出が、今はただひたすら悲しくて、涙が止まらない。


「……ぐすっ……うぇぇ……」


 俺はあふれてくる衝動が抑えられずに泣きじゃくる。

 感情をコントロールすることができなくて、まるで小さな子供に戻ってしまったかのように。


「アリシアぁ……」


 悲しくて、辛くて、寂しくて、悔しくて。

 心が押し潰されてしまいそうだった。


   ※ ※ ※


「……外に行こう」


 俺はのっそりと体を起こして独りごちる。

 アリシアとの思い出があふれているこの部屋に居るのが辛かった。


 着替えようとクローゼットを開くと、目に入る服はアリシアと一緒に選んだもので。一着一着に思い入れがあって、次々にそれらが頭に浮かんできて、俺はその場でまた泣き崩れてしまった。


「……えぅ……アリシアぁ……」


 それでも、なんとか外出用の服に着替えた俺は、コートを羽織って家を出る。優奈が心配しないようにメッセージアプリで『散歩してくる』とだけ残しておいた。


 ――そして、結論から言うと外に出たら気が紛れるだろうなんていう俺の考えは浅はかだった。


『今日は何を買って食べるんですか? ラムネ? チョコ? アイスもいいですね!』


 学校の帰りに寄り道して食べるお菓子を楽しみにしていたコンビニ。


『焼きたてのパンってこんなに美味しいんですね! ……わたし感動しました!』


 初めて食べた焼きたてパンの美味しさに驚いていたパン屋。


『この箱に入れるだけで、世界中に手紙が届くんですねぇ……なんだか、すごいです……』


 郵便の制度にすごく感心していたポスト。


『……大丈夫ですよ。わたし達が必ず飼い主を探してあげますからね!』


 迷子の子猫を見つけ飼い主を探して奔走した街角。


「……うう……うぁ……」


 好奇心旺盛だったアリシアと一緒になって探検した思い出が、街のあちこちに残っていて、俺は涙があふれてくるのを堪える事ができなかった。

 だけど、こんな家の近くで泣きじゃくるなんてのは最悪だ。ご近所にどんな噂が出回るかわからない。


「うぅ……とにかく落ち着ける場所に行かないと……」


 俺は顔を伏せて目元を手の甲で拭いながら走った。


 自宅以外で落ち着ける場所なんて思い当たるのは一箇所しかなくて、俺は真っ直ぐそこに向かう。


 山の袂から神社へ続く石の階段を駆け上がって、境内を裏手に周り、社務所を兼ねる屋敷の縁側で靴を脱いで家に上がった。

 ノックもせずに襖を開けて無人の部屋に入り込むと、そのままうつ伏せにベッドへ倒れ込んだ。


 蒼汰の部屋。

 子供のころから通い慣れている勝手知ったる他人の家。ここにあるのは幾人としての思い出ばかりだった。


 荒い呼吸を整える為に深呼吸すると、ベッドに残る蒼汰の匂いが鼻をついた。それは決していい匂いではないけれど、不快ではなくて。深呼吸するにつれ、ざわついていた心が落ち着きを取り戻していくのを感じていた。


 少し落ち着いた俺は、コートを脱いでベッドの横の壁に吊ってあるハンガーに掛ける。そして、再びベッドに戻って布団に潜り込んだ。

 行儀が悪いかなとも思ったが、二月の室内は冷え込んでいて凍えそうなのでやむを得ないだろう。家主に断りもなく勝手にエアコンを使うのは気が引けた。

 そのままの状態で布団にくるまっていると、ようやく落ち着ける環境と、体に溜まった疲労とが相まって、眠気がやってきた。俺はそのまま眠気に任せて意識を手放した。


   ※ ※ ※


 夢を見ることのない静かな眠りは久しぶりだった。


「ん……」


 ぼんやりと戻ってきた意識の中で、室内に気配を感じた俺は視線を動かす。


「おっ……起きたか?」


 勉強机に座って宿題をしていたらしい蒼汰が椅子を回してこちらを振り向いた。


「ああ、蒼汰。おはよう……」


「おはようじゃねーよ。もう夕方だぞ?」


 そう言う蒼汰は、少し呆れた口調だった。


「ん……私、寝てた……」


 俺はぼんやりした頭で応える。

 そして、寝起きの習慣になってしまったアリシアへの呼び掛けを心の中で行った。返答は相変わらず無い。

 俺はため息をこぼした。


「……大丈夫か? また何か大変な事に巻き込まれてるのか?」


 目を覚ましたかと思ったら急に黙り込んで落ち込む俺を見て蒼汰が心配そうに聞いてきた。


「蒼汰は、優奈から何か聞いてる?」


 俺は蒼汰の質問に質問で返した。蒼汰は首を振る。


「いや、俺は何も聞いてない。だけど、お前昨日から学校休んでるみたいだし、誕生日パーティーも延期になるって聞いて、それっきりだったからさ……」


「そう……」


 それを聞いて少しだけ迷う。関係の無い蒼汰にアリシアの事を相談するのは迷惑じゃないだろうか。


「何かあったなら話を聞かせてくれよ。そりゃ、俺には何も出来ないかもしれないけどさ……ひとりで悩んでないで俺も一緒に悩ませてくれよ。水臭いぞ」


「……ありがとう、蒼汰」


 俺は素直に蒼汰の言葉に甘えさせて貰うことにした。自分で抱えこむのにいっぱいいっぱいになっていたから、蒼汰の申し出は嬉しかった。


「それじゃあ、話したいからこっちに来てくれる?」


 俺は座っているベッドの横をぽんぽんと叩いて、蒼汰を隣に呼んだ。


「……ええと、そっちに行かないと駄目なのか?」


「うん」


 俺が自信を持って言い切ると、蒼汰は戸惑いながら立ち上がって、おずおずと俺の隣に座った。


「後ろ向いて貰ってもいい?」


「お、おう……」


 蒼汰は俺に背中を向けてベッドに胡座をかいて座る。


「ありがと、蒼汰」


 ……これでよし。


 こうすれば俺の顔を見られることはない。事情を説明するのに俺は泣かずにいられる自信かなかった。


「おおぅ!?」


 俺は蒼汰の背中に両手をついて、よりかかるように、ぴたっとくっついた。


「な、何してんだよ!?」


「くっついてるだけだよ……男同士なんだから別にいいだろ」


「いや、男同士でべたべたしていたら気持ち悪いだろう……常識で考えて」


 そう言われてみればそうかもしれない。

 この体になってからスキンシップをする機会が随分と増えた気がする……まあ、相手は女の子ばかりだったけど。

 だから、癖になってしまったのだろうか?

 男の頃の俺は蒼汰にくっつきたいなんて思った事はなかった。

 だけど今は人肌が恋しい。


「……だったら、今は男と女なんだから問題ないだろ?」


「いや、問題しか無いだろ……」


 蒼汰とは家族のような関係だし、以前の俺と優奈がスキンシップしてたのと大差ないと思うんだけど……


「今ちょっと弱っててさ。このままがいいんだけど……嫌か?」


「嫌、じゃない……お前が構わないならこのままでいい」


「……ありがとう、蒼汰」


 がっしりした蒼汰の背中はごつごつと硬くて、今まで俺が触れ合って来た女の子とは全然違っていた。


「蒼汰の背中こんなに広かったんだね……」


 俺もこんな感じだったんだろうか?

 自分の背中なんてほとんど見ることなんてなかったから、わからないな。


 少し間をおいて、頭の中を整理してから、俺はぽつぽつと話し始めた。


 昨日、アリシアが戻ってこなかったこと。

 今日、アリシアの魂がやがて消えてしまうと家族から聞かされたこと。

 そして、アリシアはもうこのまま戻ってこない可能性もあるということ。


 やっぱり涙を堪えられなくて、俺は蒼汰の背中にすがって嗚咽しながら話をした。

 蒼汰は背中をむけたまま、そんな俺の話に相槌を打ちながら静かに聞いてくれた。俺は途切れ途切れになりながら、なんとか話し終えた。


「……そうか。アリシアさんが……」


「まだ、私は何もアリシアに言えてないのに、もう帰ってこないかもって……うぅ……この体はアリシアのものなのに……アリシアが消えて私だけ残るなんて……」


 俺は蒼汰の背中に触れている手をぎゅっと握り込んだ。


「みんな私に秘密にしてた……私だけ何も知らなかったんだ……」


「……お前はそのことで家族を恨んでいるのか?」


「ううん、今はそれはない……かな。最初は裏切られたって思ったけど、もし、実際に打ち明けられていたら、私はアリシアに自然に接する事なんて出来なかったと思う」


 そもそも、ここ半年の俺はアリシアの体になった自分自身の事で精一杯で、事実を打ち明けられていたとしても、ちゃんと受け入れられたかどうか自信がなかった。


「それに、黙っている方だって辛かったと思うから……」


「……そうだな」


 特に俺とアリシアに一番近い場所に居た優奈。

 いつも付きっきりで甲斐甲斐しく俺達の世話をしながら、優奈はどんな事を思っていたのだろうか?


「何も知らなかった能天気な自分が許せなくて……私は知らないうちにいっぱいアリシアを傷つける事を言ってたと思う」


「だけどそれは、アリシアさんが自ら望んだ結果だろう? その事でお前が自分を責めるのはアリシアさんも望んでいないと思うぞ」


「……そうだね」


 多分蒼汰の言う通りだろう。


 ……アリシアに会いたい。

 声が聞きたいよアリシア。


「辛かったんだな……」


 蒼汰の言葉がやさしくて、また涙がこぼれてしまう。

 感情が落ち着いて涙が止まるまで、俺は蒼汰に背中を借りた。


   ※ ※ ※


「ごめん、蒼汰。シャツ汚しちゃって……」


 顔を押し付けた事で、涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった蒼汰の背中を、枕元に置いてあるティッシュでおずおずと拭く。


 冷静になった今、蒼汰の背中で子供のように泣きじゃくってしまった事が、とても決まりが悪く恥ずかしい。


「気にするな。これくらいどうってことないさ」


 蒼汰が振り返って、俺の頭にぽんっと手を置いて言う。それもまた子供扱いされた風に感じて、いたたまれなかった。


「うー……」


 俺は口の中で小さく唸る。

 そんな俺を見て蒼汰は優しく笑った。


「……それで、お前はどうするつもりなんだ?」


「……?」


 蒼汰がまっすぐに俺の目を見て聞いてくる。


「このまま、何もせずに諦めるつもりなのかって聞いてるんだ。お前はそんなに往生際の良い奴じゃ無いだろう?」


「……!」


 蒼汰に言われてはっとする。

 今も俺の中にはアリシアが居る。

 終わってしまった訳じゃない……いや、始まってすらいない。

 俺はまだ何もしていないじゃないか……!


「……嫌だ。諦めたくない」


「それじゃあ、助け出す方法を探さないとな……お前の大切な人なんだろ? アリシアさんは」


「……うん!」


 俺は異世界で勇者と呼ばれていた。

 勇者ってのは世の理不尽に抗って覆す存在だと言われた事がある。だったら、俺は勇者として徹底的にこの理不尽な運命に抗ってやる。


「俺にできることがあるなら言ってくれ。なんだって協力するから」


「ありがとう、蒼汰!」


 俺は蒼汰に飛びついて、腕を回して抱き締めた。


「……ちょ、ちょぉっ!?」


 抱きつかれた蒼汰が慌てるのがおかしくて、俺はくすりと笑った。


 そうだ、魔法でも奇跡でもいい、絶対にアリシアを救う方法を見つけてやる。

 アリシアは俺が助けるんだ。

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