第105話 誕生日(その3)

 トントンと。

 定期的に繰り返される音がする。

 それは、遠慮がちにノックされる俺の部屋のドアで。


「――っ!? アリシア!?」


 意識が覚醒すると同時に俺は彼女の名前を呼んだ。


 ……だけど、返事はない。


 定期的なお休みの日で精神同調を切ったのが昨日。今日一日学校を休んで眠っていたのに、アリシアとの精神同調はまだ戻らなかった。


「いったい、どうしたんだよ。アリシア……」


 目を閉じて俺は自分の手を胸元にあてる。こうしていると、俺の中にアリシアの存在を感じる事ができた。

 俺の中から消えた訳じゃないとわかって俺はほっと胸を撫で下ろす。


「アリス、大丈夫!? アリシアになにかあったの!? ねえ、アリス!」


 俺の叫び声を聞いたのだろう、外に居る優奈がノックを激しくして俺を呼んでいた。返事する気力も無くて、だけど、そのままにする訳にもいかなくて体を起こす。

 俺は重い体を引きずるように部屋の入り口まで移動して、鍵を外してドアを開けた。

 そこには心配そうな優奈が立っていて。


「アリス……大丈夫?」


「……アリシアが、戻って来ないんだ」


 淡々と優奈に状況を告げると、優奈は沈痛な表情をする。


 ――次の瞬間、俺は抱きしめられていた。


「アリシアは本当にお寝坊さんだね……大丈夫、きっとすぐに戻ってくるよ」


 身長差で俺は優奈の胸の中にすっかり収まってしまう。


「でも、今晩はアリシアも楽しみにしてたパーティなのに……」


「延期すればいいわよ。もともとあなた達の誕生日は明日なんだし、あたしは気にしないから」


 柔らかい胸元から優奈の匂いがして、俺は体の力を抜いて目を閉じて優奈に身を任せた。


「うん……」


「みんなにはあたしから連絡いれとくね」


 アリシア不在でパーティをしても楽しめる気なんてしないから優奈の申し出は正直ありがたい。


 ……だけど、本当に明日アリシアは戻ってくるのだろうか?


「そうだ、お風呂湧いてるから入ってきなよ。今のアリスはリラックスして気持ちをリセットした方がいいと思うわ」


「うん……」


 正直なところあまり気乗りはしなかった。

 寝起きで体がだるくて何もする気がおきない。ベッドでずっと横になっていたかった。

 だけど、優奈の言うことも一理ある気がする。


「仕方ないわねぇ……それじゃあ、久しぶりにあたしが一緒に入ってあげる」


 そんな俺を見かねたのか、優奈はそんな事を言う。


「い、いいよ、そんなの!?」


「ほら、いいからいいから!」


 優奈は部屋に押し入ると、タンスの中から俺の下着の替えを取り出してお風呂の準備を整えていった。そのままの勢いに押し切られるようにして、俺は優奈に連行された。


 優奈と一緒にお風呂に入るのは昨年肌を重ねてから初めての事だった。戸惑う俺に構わず、優奈は思い切りの良い脱ぎっぷりで早々と全裸になる。

 相変わらずスタイルの良い、確実に男子生徒の夢想の対象になっているであろう肢体が惜しげもなく晒された。


 ……また胸が大きくなっている気がする。


「ほら、アリスも……あたしが脱がせてあげるね」


 そう言って優奈の手が俺のパジャマに手を掛けてきて。


「じ、自分でできるから!」


 体を逸して優奈の手をかわす。そして、自分でパジャマを脱ごうとして、ふと今のまま脱ぐのは問題があった事を思い出した。


「ちょっとトイレ!」


 慌てて優奈に断って、俺は脱衣所を飛び出した。


 ……ナプキンを処理しないと。


 下着につけたそれは寝る前にした行為でぐっしょり重くなってしまっている。

 そういえば、さっきは行為の余韻のままに寝てしまっていたけど、優奈にばれなかっただろうか?


「匂いとか大丈夫だったかな……?」


 俺は腕を鼻にやって自分自身を嗅いでみるがよくわからない。


「……まあ、いいか」


 優奈には俺の恥ずかしいところをいくつも見られてしまってる。それがひとつ増えたところでいまさらだった。


 トイレでナプキンの処理をして、俺はお風呂場に戻った。

 浴室の曇りガラス越しにシャワーの音と優奈の気配がする。どうやら先に入って体を洗っているようだ。


「……別にやましいことなんて無いから」


 姉妹でお風呂に入るだけだ。今までも何度も一緒に入っていたんだし、特別変なことじゃない。


 そう自分に言い聞かせながら、俺はパジャマのボタンをひとつっつ外していった。


「アリスちょうど良かった……おいで?」


 一言声を掛けて浴室に入ると、優奈は手早く体を洗い終えていたみたいで、髪をタオルで頭にくるりと巻いた状態で、俺に洗い場を譲ってくれる。

 俺は優奈に導かれるままに洗い場の椅子に腰を下ろした。


「今日はあたしが洗ってあげるね」


 背中から両手を俺の肩において鏡越しに視線を合わせて優奈が宣言する。


「ん……ありがと……」


 俺は素直にその好意に甘えることにした。

 優奈がスキンシップを求めるのは、俺を心配してのことだろうから。

 それに、優奈自身の不安もあるのだと思う。俺を気遣ってあまり態度には出していないけど、俺の次にアリシアと親しくしている優奈が、アリシアの事を心配していない筈が無かった。


 優奈はシャワーヘッドを手に取って、お湯で俺の髪を濡らしながら、手に持った櫛で髪を梳いてくれた。


「本当にアリスの髪はさらさらで綺麗ね」


「うん、そうでしょ」


 この体になって俺は髪に手間暇を掛けるようになり、この綺麗な長い銀髪に愛着が湧いてきていた。髪を切るのにも千円カットの数倍の費用を掛けて美容院に通っている。

 最初は戸惑っていた他人に髪を触られる感覚にも今はもう慣れたものだ。


「……気持ちいい」


 わしゃわしゃと頭皮をマッサージされるように洗われて俺は心地よさに目を細めた。


「それじゃあ、次は体を洗うね」


 髪を洗い流した後、優奈はポンプを押してボディソープを手に出した。


「か、体は自分で洗えるよ」


 今まで一緒にお風呂に入っていたときでも、体は洗って貰った事が無かった。最初に一緒にお風呂に入ったときに自分で触るのが怖くて、あそこを洗って貰った事はあるけどそれっきりだ。


「今日はあたしに任せなさいって」


「ひゃっ!」


 背中から脇腹にかけてぬるっとした感触がして俺は小さく悲鳴をあげた。ボディソープのついた優奈の手が体を這い回ってくる。


「優奈、ちょ、ダメだって……くすぐったいよ」


 柔らかい優奈の手で丁寧に体を洗われる。


 こ、こんなのムリ! 耐えられない!?


「大丈夫よ、優しくキレイにしてあげるから」


「んんっ! んんんー!?」


 優奈は事務的に体を洗っているだけなのに、体は敏感に反応してしまって、変な声が出そうになるのを必至に堪える。

 それはまるで、天国のような地獄だった。

 背中に押し当てられる柔らかい肌の感触に、なんだかいけないことをしているような錯覚すらおぼえてしまう。


 確かにスキンシップは良いんじゃないかって思ったけど、これはやりすぎじゃないかな!?


 そんな事を考えながら耐えていたら、優奈の手が止まった。

 ようやく、開放されるのかと思ったら、優奈はクスッて笑って、


「ここも洗わないとね」


 ……って!?


「も、もう私は自分で洗えるから!」


 と、体を捻って逃げ出そうとするけど、後ろから優奈にがっちり包み込まれいる状態ではそれも難しくて。


「ひゃあっ!?」


「……アリス、パパとママが居るから声は抑えて」


 そう、優奈に耳元で囁かれて、慌てて俺は両手で自分の口を塞いだ。


「んんーーーっ!?」


 優奈の手がわきわきと蠢く。

 それは明らかに体を洗う手つきとは違っていて――


「大丈夫、アリスの体を洗ってあげるだけだから、ね」


 優しい声で優奈がそう言って蛇口を捻る。


「だ、だめだって……優奈ぁ……んっ……」


 俺の吐息はシャワーの音に掻き消されていく。

 長い銀の髪から水が滴り落ちて、ボディソープの泡と混じって排水溝に流れていった。

 やがて、流れる水に泡が無くなっても、優奈は俺の体を洗い続けていて。

 俺はただひたすら声を噛み殺してそれに耐えるのだった。


  ※ ※ ※


「ごめんね、最初は本当に体を洗うだけのつもりだったんだけどど、我慢してるアリスを見てたら、もっとしてあげたくなっちゃって……」


 そう優奈は謝罪する。

 俺達は浴槽に二人一緒に優奈に抱きかかえられるようにして入っていた。力尽きた俺は優奈の胸を枕にして体を預けている。

 優奈の胸は後頭部をふんわりと受け止めていて、実にけしからん柔らかさだった。


「……怒ってる?」


「別に怒ってはないけど……」


 気持ちよかったし。

 だけど、どうして優奈は突然あんな事をしたのだろうか。

 最近の優奈は不必要にくっついたりとか、一緒にお風呂に入ったりする事は無くなっていたのに。


「落ちこんでいる男の人を元気づけるのには、えっちするといいって聞いたことがあるんだけど、どうだったかな?」


 毎度この妹はどこからそんな知識を仕入れてくるのか。


「……今の私は女だけど」


 しかも、妹が相手っていうのはどうなんだ。

 なんだかいろいろ間違っている気がした。


「……効果無かった?」


「それは……あった、かな……」


 こうして肌が触れ合っていると安心するのは確かだった。

 眠りから覚めたときから感じていた不安や焦燥感も幾分落ち着いている。


 目を閉じるとアリシアの存在を感じられる。居なくなった訳じゃない。だから、きっと大丈夫。


「待つことしかできないってしんどいよね……」


 その言葉には重みがある。優奈は一年も俺のことを待っていてくれたのだ。


「アリシア、早く戻ってくるといいね」


「うん……」


 優奈の両腕が俺の体に回されて、ぎゅーって抱きしめられた。

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