第66話 神代翡翠(夜の始まり)

 内線で夕食の準備が出来たとの知らせが入った。数分後、部屋のドアがノックされて、叔母さんともう一人女性の中居さんが料理を持って俺達の部屋に入って来る。


 部屋の中央のテーブルに手際よく次々と料理が並べられていく。晩秋の山の幸をふんだんに使った懐石料理だ。


 メインディッシュは地元和牛のステーキ。

 見るからに霜降りが鮮やかな状態のものが三切、付け合せの野菜と一緒になってミニ鉄板に載っている。

 仲居さんが鉄板の下の固形燃料に火を着けると直ぐに肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってきて食欲を刺激する。

 最後に今日の料理の献立表の紙を渡されて、簡単な料理の説明を受けた。


「お食事が終わりましたら、インターホンで伝えて下さいね。片付けて、お布団を敷きますから。うちの料理長自慢の料理だから、楽しんでいってね。それじゃあ、ごゆっくり」


 叔母さんたちが部屋から出て行ってから、3人でいただきますをして食事を開始する。


『自然の素材をなるだけ活かしながら、必要最小限手が加えられて調理されています。これが、職人の技なのですね……和食奥深いです』


 出された料理はどれも美味しかった。元々俺は好き嫌いは少ない方だったが、アリスになって薄めの味を好むようになっていて、丁度良い塩梅だった。野菜がメインだけど、ステーキとか天ぷらとかで油っ気もある程度あり、バランスが良い献立だった。

 最初並べられたときはこんな量を食べられるのか疑問だったけれど、気がついたら完食していた。一品一品の量が少なめだったのも良かったのかもしれない。


   ※ ※ ※


 部屋と内湯の間にある縁側に、小さいテーブルと揃いの椅子が置いてある。そのひとつに俺は腰掛けて考え事をしていた。


 アリシアは俺に好きな人が出来たら身を引くと言う。

 誰よりも近くに居るのに触れ合うことの出来ない関係というのに先行きが不安になってしまっているのだと思う。

 言葉で否定することは簡単だけど、それでアリシアが安心出来るかというと難しい。普段の言動でアリシアの信用を得ることしかないだろう。


『アリシア、俺頑張るから』


『え? あ、はい。ええと……?』


 俺は一方的に宣言する。アリシアは良く解ってない様子だった。


「お客様お待たせしました」


 部屋の中から声が掛かる。今まで部屋の中では仲居さん達が食事の片付けと布団敷きをしてくれていた。


 縁側と部屋の間の襖を開けて俺は部屋に戻る。先ほどまでの料理やテーブルは片付けられていて、綺麗な布団が二組間を開けて並んで敷かれていた。

 俺は立ち去る仲居さん達に礼を言って、気配が無くなる頃合い待つ。


「とーう!」


 入り口のドアの閉まる音を聞いた瞬間全身で布団にダイブした。

 心地よいふかふかの感触と清潔なシーツの匂いが俺を包み込む。


「布団は幸せだぁ……」


「……アリス、あなた何やってるのよ」


 俺が布団で丸まって左右にゴロゴロとしていると脱衣所から翡翠が出てきたようで、俺を呆れた視線で見下ろしていた。

 彼女はご飯が終わって温泉に入り直していたのだった。

 トレードマークのポニーテールは今は降ろされていて、いつもと違う雰囲気に一瞬ドキッとしてしまい――


「ゴロゴロ虫ごっこ?」


 と何とも言えない微妙な返答を返してしまった。


「……何よ、その適当なネーミング。あーもう、変な風に暴れるから浴衣がぐちゃぐちゃじゃない。ほら、立って?」


「じ、自分で直せるから」


「こんなことで照れるところじゃないでしょ。ほら、早く」


 諦めて素直に翡翠の前に立つ。翡翠は手馴れた様子で、俺の乱れた浴衣の形を整えていく。あっという間にきっちりした状態に復活した。


「おー、ありがとー翡翠」


「どういたしまして」


「といっても、後はもう寝るだけなんだけどね」


 と、俺は布団に腰を降ろして足を投げ出した。


「アリスはもう温泉に入らないんだ?」


 俺の横に並ぶようにして翡翠が座って聞く。……距離が近い気がする。


「早朝から朝に掛けて後一、二回は入りたいかなぁ……出来るなら大浴場の方も行ってみたいし」


「今からは行かないの?」


「人が多い時間には行くのはまだ抵抗があるよ。何せ、まともに女の人の裸を見たのも、家族以外だと今日の翡翠が初めてだったくらいだし」


 その事を聞いた翡翠が表情をかえて、ニヤリといった風に微笑んだ。


「そう、私が初めてだったのね……どうだった? 私の体は」


 誰かに聞かれたら勘違いされそうな聞き方はやめて欲しいなぁ。


「ど、どうって言われても、まともに見たのは翡翠が温泉に入ってきたときの一瞬くらいだったし……よくは見てないよ」


 胸が凄かった。


「あら、そうなの? ……じゃあ、今からもっと見てみる? アリスが望むなら、いいわよ?」


 翡翠が浴衣の合わさった部分を指で弛めて、谷間をちら見せしてくる。


「だ、だめだよ! 俺と翡翠は恋人じゃないんだから、そういうのは無し!」


「あら、それは残念」


 いきなり、アリシアの信頼を裏切る事態になるところだった。

 危ない危ない、と、一息ついていたら、いきなり視界が反転してひっくり返る。

 気がついたら、俺は翡翠に押し倒されていた。


「……でもね、アリス。思い出を貰う約束は果たして貰うわよ?」

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