第89話 手を差し伸べたつもりでも

大分前の話になる。

俺がまだ罹患して間もないころだ。


会社に知らせる前に、個人的に職場の同期に、うつになったとメールした。

その際の同期の反応は様々だった。

「頑張らなくていいからね、早く良くなってね。」

「大変なのはお互い判ってたんだしさ、そんなになる前にちゃんと吐き出さないとダメだよ。」

「大丈夫?無理しないようにね。」

などだった。

また、疎遠になっていた友人がたまたま俺がうつになったことを知り、メールをくれた。

「何かあったら遠慮なく言ってね。」

そう書いてあった。


申し訳ないが、どれも心に届かなかった。

そして、同時にはっとしたことがある。

俺もかつて、とある友人にうつになったとのメールを貰ったとき、寄り添いたいと真剣に思いながら、似たようなことを書いていたことを思い出したのだ。


今だからこそ言えるのだが、当時は「それどころじゃなかった」

無理をしないとか頑張らないとか、もっと早く吐き出せとか、遠慮なく言えとか、それらにいちいちリアクションしている、そんな余裕は何処にもなかった。

だから、同期にも友人にも、返信はしなかった。

しなかったというより、出来なかったのが正解なのだが、あるいは無視されたと思われたかもしれない。


逆に、俺の見当ハズレな返信に、「ゴメン今それどころじゃない(意訳)」とうつになった友人がリアクションをくれたことに対し、意味を理解できなかったことを後悔したし、あのときの友人の気持ちはまさにこれだったのか、と思ったし、すごく頑張ってリアクションをくれたのだな、と今更ながらに感激した。


人によって違うかもしれないが、罹患当初は、本当に何もできなくなっていた。

メールで知らせてくれた友人も、何もできなくなっていたそうだ。

例えば、助けを求めることすらも。


SOSを出すには勇気と気力が要る。

何もできない状態のときに、そんなエネルギーはない。

また、差し伸べてくれた手を、つかむことも同じく出来ない。

その手が届かない限りは。

伸ばせば届く距離の手では、つかめないのだ。

伸ばすエネルギーがないから。

また、「伸ばせば届く距離の手」は、見えてない可能性も高い。

事実、俺にメールをくれた同期と友人の言葉は、当時の俺には「届かなかった」


だから、例えば誰かに手を差し出したとして。

それにリアクションがなかったとしても、どうか、差し伸べた手を振り払ったとは思わないでほしい。

気持ちすら届いていない可能性もあるし、単純に、リアクションをするエネルギーがない可能性もある。


だが、「届かない気持ち」は、決して無意味なわけじゃない。

ずっと後になってしまったとしても、届くこともあるからだ。


実際、俺はずっと後になった今頃になってやっと、同期や友人が励ましてくれていたことに気付いた。

個別にリアクションをするには今更過ぎるので、この場を使ってお礼を言いたい。

気にかけてくれて、ありがとう。

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