西側御一行様といっしょ 『路上で見つかる東ドイツ名物』

 西側に暮らす友人や夫の家族が、私たちを訪ねて東側にやってくることが多々あるので、その度に即席『東ドイツ案内人』を請け負っている。

 オルタナティブな雰囲気が充満する東側の町に憧れを持つ西側の若者が増えているなんて聞くけれど、確かに私たちの元を訪れる、特に芸術分野に携わるオシャレな人々は東側に対してそれぞれの憧憬を大なり小なり持っている。ベルリン、ライプツィヒ、ドレスデン、エアフルト、ワイマール、デッサウ、そして我が町ハレ。これらの町は芸術に造詣の深い人なら必ずどこかで耳にする都市で、すべて旧東ドイツ内に存在している。

 厳しい制限ばかりのイメージが付き纏う東ドイツだが、文化的なことに対する理解が深かったのもあり、芸術活動は大きく推奨されていた。西側文化がどんどん国際的に変化する中、東側では伝統文化の継承に力を入れていたので、今でもその流れを汲んだ独特の文化が花開いているのが魅力で、肩の力が抜けたセンスのよい手作りの店舗やカフェ、そしてギャラリーやアトリエの集まるアートコンプレックスがたくさんあり、西側からの移住者は年々増加傾向にある。特にヒッピー傾向のあるピースな人々が東側に流れているようである。

 もちろん客人たちはそんなファッションとしての側面だけではなく、一般的な『東ドイツ』イメージも存分に持ち合わせている。現在でも東側の失業率は高いし、平均所得は依然低い。自分たちの暮らす西側都市より今でも生活水準が低いイメージは拭えないようだし、そしてそれは間違っていない。

 近くて遠い、似ているけど違う。かつては主義を異にした外国であった。そんな西側から胸ときめかせてやって来る御一行様が東側でカルチャーショックを受けるポイントがほぼ固定化しているようなのでその幾つかを紹介する。



 西側御一行様が東側に到着してまず最初に驚くのは、一緒に我が家へと歩く道すがら。路上に堂々と犬の糞が『多数』放置されていることである。曰く「ここは少し民度の低いエリアなの?」いえ、一応ハレ隋一の高級住宅地であることを伝える。「え、でも……」解る。確かに落し物を片付けないのはマナーがなっていない。けれど、ここではこれが普通なのである。

 

 西側御一行様によると、犬の定番散歩コースである公園や川沿いには、犬の糞を捨てるための袋ディスペンサーが一定の間隔で設置されているらしい。さすがは西側。バイエルン州のミュンヘン民は、犬の糞を持ち帰らないのは罰金刑であると脅しに掛かってくる。ノルトラインヴェストファーレン州のデュッセルドルフ民、ヘッセン州のフランクフルト民も同じようなことを講釈しておられたが、犬を飼っていない極東人の私ではなく、東側の方々に是非教えてあげて欲しい。ライプツィヒのあるザクセン州、及びハレのあるザクセンアンハルト州には恐らく自由犬糞協定のようなものが秘密裏に制定されているのではないかと思われる。一応法律上では罰金刑があるらしいのだが実際に機能しているのかどうかは誰も知らない。


 そういえば娘がよちよちと外を歩き始めた頃は相当回数「そこ、うんち!」と叫んだものだった、けれど、東に入れば東に従え。いつの間にか私にも犬の糞レーダーが備わり、前を向いて歩いていたとしても、踏んづけるようなことはもうない。東側で生まれ育っている娘に至っては、敵をごく自然に避けて道路を走るという高等技術まで体得している。


 当然ながら西側御一行様にはレーダーが備わっていないので、こちらが「ほら、そこ!」と声を掛けないと、あわや着地寸前。歩道は常に綺麗なものという前提が甘えなのである。そしてクリーンに慣らされた御一行様としては、ゴミのポイ捨て量と、割れたビール瓶の破片が至る所でキラキラしているのも気になるとのこと。

 様子を見る限り、確かに東側住民はやや大雑把で、西側よりもルーズな気質があるような気がしている。モラルが低いんでしょ?と正論をぶつけてくる西側がとにかく整然と美しいのに対し、東側の自由なカオスぶりには目を見張るものがある。でもそれがここ独特のリラックスした空気を形作っているのも事実である。そして行政対応の差も大きいように思う。西側は本当に清掃員をよく見かける。実際のゴミのポイ捨て量にそこまでの差はないのではないかと私は密かに思ったりもしているのだが。

 しかし、まあ、この犬の糞問題の根深い所は、皆が皆、道路に犬の糞が落ちていることを前提に暮らしているのでなかなか解決しないところにある。要するに共存の道を選んだのだと解釈している。そういうわけで東側は一歩家を出れば対犬の糞との戦いである。


 次に、西側御一行様が東側にいると実感するのは、通りの向こうから歩いてくる、つるつる丸刈りで厳つい顔面の大男の存在であるらしい。

 しかしドイツ人男性は東西の別なく、テストステロンの悪戯により人生の早い段階で頭髪を失うという運命に晒されている。そして頭髪が寂しくなってくると一気に刈り上げる勇者が多い。中途半端に取り繕うような往生際の悪さはゲルマン男の風上にも置けないのである。ゆえに、これはドイツ全土でよくある光景だと思っていたのだが、西側御一行様は東側男性の丸刈り率は異常!だと言うのだ。そうかなあ。

 

 ドイツ+丸刈りといえば、ネオナチやスキンヘッドなどの極右勢力を連想するのは当然な流れで、彼らは実際に反社会体制の象徴として頭髪を全部剃っている。そしてドイツ全土に無数に散らばるネオナチネットワークの中でも、東側は特に支持者が多い。統一後の東西格差の歪みから極右に傾倒する者が急増したというのは定説である。ゆえに、西側御一行様は東側で厳つい丸刈りを見掛けると、ああやっぱり東側って犬も歩けばネオナチに当たるのね的な反応になる。

 東側男性の多くはマッチョにこだわる美学があるようで、岩のような体つきの男性が多い。ちなみにマッチョな男性なことをなんともかわいらしくムッキーと呼ぶ。ムッキーたちの筋肉を隆々に押し上げたテストステロンはもれなく頭髪を奪う副作用があり、基本的に丸刈りとの抱き合わせ販売となっている。ゆえに威圧感がすごい。


 実際の所、ネオナチ、スキンヘッド、一般人を見分けるのは昨今難しくなっているようだ。ドイツ人である西側御一行様とは違い、実害を被る危険性がある極東人の私には、これまたネオナチレーダーが確証はないものの備わっている。判断材料は目つき。本気の人々はこちらを見る目に悪意や憎悪がある。

 かつてはユニフォームのように判りやすい御用達ブランドや着こなしがあったネオナチだが最近はそうとも限らない。ドクターマーチンは必須アイテムだったらしいが、それは私の常用お気に入りブーツである。そもそも頭髪ふさふさのネオナチだって当然ながら多数存在するのだから選別が大変難しい。

 引っ越しや、重量のある物や家具の配達時には、結構な割合で例の強面丸刈りムッキーが登場するのだが、厳つい見た目とぶっきらぼうな口調に反して物凄くシャイだったり感じの良い人が多い。西側御一行様の目にはネオナチ風情に映ったとしても、私には気は優しくて力持ちなお兄ちゃんにしか見えないのである。


 余談だが、日本では頭髪を全部剃った状態をスキンヘッドと呼ぶが、これは日本お得意の和製英語で、正解はBald もしくはShaved headである。Skin headというのは反社会的集団に属するという意味一点張りなので、「うちの父ちゃんスキンヘッドー(ハゲ)」は誤用である。但し父ちゃんがやくざな方であれば、それで正解。

 

 

 最後に、これぞ東ドイツの名残だわ、と西側御一行様が思わずカメラを構える景観に、『突然現れる廃墟』を挙げたい。美しい住宅地の真ん中に突如お化け屋敷のような今にも崩れそうな建物が、ごく自然にお出ましする。確かに西側でこのような廃墟をみたことは一度もない。

 

 これらの殆どは、グリュンダーツァイトと呼ばれる空前の好景気に沸いた19世紀末から20世紀初頭に建てられたユーゲントシュティルという大変豪奢な建築で、いかんせんこの美しい彫刻を施したヴィラの修復には莫大なコストが掛かる。余裕のなかった東ドイツ時代には荒れ放題となり、住みたがる人もないのでますます荒廃し置き去りにされた。そしてその廃墟が並ぶグレーな雰囲気が東ドイツの色味のない空気を形作っていたのは間違いないと思う。

 元来階級の高い人が暮らしたこのユーゲントシュティル建築は、統一後のインフラ整備により次々に修復され、今ではアルトバウと呼ばれ大人気の物件となっている。ライプツィヒとハレは先の大戦による被害が少なかったため、ドイツ国内屈指の美しいユーゲントシュティル建築の宝庫であり、私も有難いことにそのひとつである大変美しいアパートに暮らしている。

 

 激しい本土空襲を受けた西側の都市は多くの美しい建築物を失い、更には戦後復興のスピードが早く、どんどん簡素な建物を増やしたことにより、現在の町並みは正直こちらほど美しくはない。西側御一行様は、東側の美しい建築群と彼らの居住地とは比にならない家賃の安さに驚愕する。ゴージャスな住居に低額で暮らせるのは間違いなく東側の魅力だが、東側がここまで回復、発展するまでに西側の人が援助し続けているという背景も忘れてはならない。統一後26年になろうとする今日も、まだ廃墟はあちらこちらに存在する。

 かつて何らかの工場であったと思われる朽ちきった建物が風にさらされているなんて東側ではどこにでもある光景で、大勢の人が利用する駅の真横が堂々の廃墟だったりもして、まだまだ日常の一部である。

 ちなみに大空襲のあった東側の大都市ベルリンとドレスデンは市民の尽力や世界中からの寄付によって、かつての美しい姿と威厳を取り戻しているが、住居としての建築群は大部分が失われたことにより、見ようによっては西側の大都市のように映ることもある。けれど道路を見れば一目瞭然、そこは犬の糞がこれみよがしに鎮座する、間違いなく旧東ドイツなのである。

 

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