20】事後の違和感 -1


「……」


 僕は、自分の家への帰路を歩いている。

 それは特段おかしいことでもない、だって要は自分の家に帰ってるだけなのだから。

 だから、この時点でおかしいのは僕ではなく。

 僕は横目で僕の隣にいる彼をちらりと見る。


 おかしいのは僕ではなく、僕の隣を黙ったまま歩く理塚くんだ。

 だって、なにしろ彼が自分のマンションへ帰るための曲がり角はずいぶんと前に通り過ぎているのだ。まあこの道も道である以上は帰られるわけだけど、そんな遠回りする時間でもないはずだ。


 ……まさか、このまま僕の家まで来て、夕ご飯でも食べて帰るつもりなのだろうか。でもそういう腹づもりであるなら僕としては非常に困る。なぜなら今日の夕ご飯のおかずは唐揚げなのだ。僕の母は居酒屋の厨房で働いていたのもあって、唐揚げがとにかく美味しい。熱の通し方が秀逸というか、中まで熱が届いているのに肉の柔らかさはそのまま残っている。衣も厚くも薄くもなく、そして固くも柔らかくもなく、噛めば衣はサクッという小気味よい音とともに砕けてくれて、その次にボリュームのある肉から逃げずにいた甘い脂の乗った肉汁が口いっぱいに広がる。そしてそれを追いかけるように母いわく秘伝のスパイスがピッと差し込んできて甘さと旨さを引き締めてくれる。そんな絶品の唐揚げを炊き立てふっくらの白ご飯でかきこんだらも

「織野、頼むからそのヨダレを拭いてくれ今すぐ」

「はっ!」


 恐るべきは母の唐揚げ、僕はどうやら想像だけで口腔内の分泌液が大変なことになっていたようだった。


「あ、危なかった……」


「……いや、オレにはすでに遅いようにしか見えんけどな」


 理塚くんとの意見の相違は主観と客観の差でしかないわけだけど、ただ、これで母の唐揚げがどれほど美味なのか分かってもらえたと思う。……あれ、いや焦点はそこじゃなかったな。そうだ、理塚くんが夕ご飯を食べに来たらその唐揚げの配当数が減ってしまう。……いやそこでもない。そうだ、理塚くんが自分のマンションへの道と違うこの道を歩いていることが焦点だった。話の焦点すらずらしてしまう僕の母の唐揚げ――いやまた逸れそうだからやめておこう。


 僕の中で僕自身が勝手にずらしてしまった話の焦点を、修正するきっかけを与えてくれた理塚くんへたずねることにする。


「ねえ、理塚くんのマンションてこっちじゃないよね」


 すると、眉間をきゅっとひそめた理塚くんが僕から目線を外しながらも「ああ」と小さく頷いた。


 ……どうしたんだろう。なにかを考えてる? 悩んでる? のは確かなのだろうけど。

 少し間を置いて、僕は尋ねてみる。


 すると。

 理塚くんが、ぱたと立ち止まった。


「? 理塚くん?」


 どうしたのだろう、さっきから理塚くんの態度がおかしい。なにがあったのだろう。

 僕は理塚くんのそばへ寄ろうとした。すると。

 うつむきがちの彼が、まっすぐ僕を見つめ返してきた。


「ちょっと話がある……いや聞きたいことがあるんだ。悪ぃけど、ちょっと寄り道、頼むわ」


 僕は――頷いた。声に出さず、うなずきだけを返した。理塚くんのここまで真剣な表情を僕は見たことがない、などと失礼なことを言いたくはない。けれど理塚くんの見せる真剣な表情には、ただそれだけでないなにかが含まれていて、僕は気圧されるように頷くしかなかった。

 僕たちが寄り道場所に選んだのは、小学校のそばにある小さな公園だった。夜が始まりだしたこの時間は、遊具が少ないこともあって誰もいず、遠くからの車のエンジン音以外に聞こえてこない。


「ここならいいか」


 植樹のそばに古ぼけたベンチがあって、それに腰かけた理塚くんが隣に座るよう手で誘ってくる。


「……もしかして、誘ってる?」


「? まあ、座ろうぜとは誘ってるけど。……あ! ち、違う、座ろうぜって誘ってんだ、他に意味あるわけねぇだろ!」


「だったらいいけど」


「いや分かるだろそれくらい!」


 それからはおとなしく僕が座ると、理塚くんが「あー」とか「うー」とか唸っている。「くそ、今ので調子が狂った」のが唸っている原因らしい。


「とにかくだ。話がある、というか聞きたいことがあんだよ」


「だろうね、さっきも聞いたね」


「……頼む、これ以上調子狂わさんでくれよ。とにかくだ!」


 さっきの真剣な顔つきを忘れた理塚くんが、声を貼るととに膝を強く叩いた。それが気持ちを入れ替える仕草なことは聞かなくても分かった。

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