第五八話 疲労困憊なお話

 結局、スポーツショップにいられたのは短い間だけだった。スポーツショップを見つけてから数日後、屋上の駐車場で見張りを行っていた僕は、西の方から感染者の集団がふらふらとやって来るのを双眼鏡越しに確認した。感染者がまだ遠くにいる内に僕らは荷物を纏めると、さっさとスポーツショップを離れた。


 見ただけで全てを倒すのは無理だとわかるほどの数だったし、仮に倒しても後からまた感染者たちがやって来てしまっては意味がない。スポーツショップにある物資は乏しく、僕らの手持ちの分と比べてもそれほど数に余裕があるわけでもない。何より海沿いということで見晴らしがよく、感染者の隙を突いて外に物資調達に出るということが出来そうにもなかった。



 いったい、いつまでこんな生活を送っていればいいのか。言葉にこそ出さなかったが、全員がそう思っているのを僕は感じ取っていた。

 スポーツショップを離れてからは、また以前のように車上生活に戻ってしまった。昼間は燃料切れや音を出さないように気をつけながらゆっくりと車を東に向けて走らせ、夜は交代で見張りながらどこか見晴らしのいい場所に車を停めて寝る。スポーツショップでテントと寝袋を調達したおかげで狭く肌寒い車内で不自由な姿勢で寝ることからは解放されたものの、心から安らいで休息を取ることは出来ない。


 疲労は日に日に増していっている。ナオミさんは運転中にうっかりアクセルを踏みすぎて壁に激突しそうになったし、結衣は焼いていた肉を黒焦げにした。愛菜ちゃんは夜中の見張りの時に、うとうとしていたのを僕が起こした。僕自身、気が付くと何も考えずにボーっとしている。


 いつまでこの当てのない逃避行は続くのだろうか。もしかしたらもう、僕ら以外に生きている人間はいないのではないか。そう思うことが何度もある。行く先々で生存者の痕跡を見つけたものの、生きている人間はどこにもいない。人類は絶滅する予定だったのに、まるで何かの手違いで僕らだけが生き残ってしまった。そんな勘違いすらしてしまいそうだ。


「……愛菜ちゃんはさ、まだ他にも生きている人がいると思う?」


 ふとそんな言葉が零れたのは、大都市の郊外にある道の駅で、休憩のために車を停めた時だった。結衣とナオミさんはトイレのために建物の中に入っており、僕と愛菜ちゃんは駐車場で外を警戒していた。


「他にって、私たち四人以外でってことですか?」


 小さな手にリボルバーを握り、車のドアに背を預けた愛菜ちゃんが答える。無言で頷くと、彼女は宙を仰いだ。


「わかりません。でもパパとママ、お兄ちゃんは生きているって私は信じてます。だから生きている人はいる、いてほしいです」


 その言葉で、彼女を見つけた中学校の光景が頭に浮かんだ。死体があちこちに転がる校庭に、血の海と化した体育館。そこで襲い掛かってきた、感染者と化した愛菜ちゃんの父親。彼女の家族が全滅した事は、未だに言えていない。

 そもそもなんで家族の死を彼女に隠しているのかすら、最近わからなくなってきていた。もう何もかもぶちまけてしまいたい気分だったが、それではさらに雰囲気を暗くするだけだとわかっているので黙っている。しかしストレスを感じるたびに、自分が知っていること全てを大声で喚きたい衝動に駆られた。


 大沢村で、何の罪もない老人と女性の3人を殺害したこと。戦車のあった街で、その気がないのに男を助けると言って結局見捨てたこと。そしてその妻の足を撃って、子供と共に置き去りにして囮にしたこと。

 これらを全て喋ってしまったら、彼女たちはどう思うだろうか? 許せないと憤慨するか、仕方ないと許容するか。前者の場合、最悪この4人組は解散だ。そして後者の場合、信頼関係が破綻するのは目に見えている。生き延びるために仲間を殺すかもしれないと彼女たちが思ったら、たとえ一緒に行動を続けるとしても、今まで通りの関係ではいられないだろう。


 どちらにせよ、限界は近い。感染者が全滅するのが先か、それとも僕が身体的にも精神的にも壊れるのが先か。とんでもないチキンレースだ。




 道の駅での小休止を終えた後、今度は僕が車を運転することになった。ナオミさんは朝からずっと運転しっぱなしで疲れているし、僕も運転技術を磨いておきたいというのもあった。既に何度か車を運転して基本的な操作は覚えているが、それでも経験は重要だ。いつまでも全員一緒にいられるという保証がない以上、生き延びるための術は出来るだけ身に付けておきたい。


「次、そこ曲がって」


 助手席ではナオミさんが地図を広げ、ルートを指示している。カーナビなんてものはとっくに使えなくなっていた。起動しても電波が受信できないのだ。

 どうやら人工衛星を管理している人たちがいなくなったか、施設が破壊されてしまったために制御が出来なくなったらしい。あるいは戦争でも起きて人工衛星が片っ端から撃ち落とされてしまったか。

 テレビがまだ放送していた時に、外国では感染の拡大で戦争が勃発寸前だというニュースが流れていた。緊張関係にある国々がウイルスは相手国が作った生物兵器であると非難したり、隣国から大量の難民がやって来て治安が悪化し、その責任を求めたり。あるいは感染拡大を防止する為勝手に国境線の向こう側にある隣国の町を片っ端から砲爆撃して、住民を軒並み殺害したということも起きていたようだ。

 テレビが見れなくなってからは外国の情勢なんてこれっぽっちもわからないが、もしも戦争が起きていたら人工衛星を破壊してGPSを使えなくしようと考えた国があってもおかしくはない。いずれにせよ、僕らは昔ながらの方法で東を目指して車を走らせていた。


「さっきから何本目ですかね? 橋が落とされてるのは」

「さあ。この辺りは特に被害がひどかったんじゃない?」


 太平洋に面した街の北側を走っていた僕らだが、行く先々で片っ端から河に掛かった橋が爆破されており、迂回を余儀なくされていた。出来るだけ人里離れた場所を走りたいのだが、橋が破壊されてしまっていてはどうしようもない。仕方なく、南を目指して車を走らせることにした。南の方角には海に面した都市があり、地図を見る限り以前はかなりの人口を誇っていたように思える。


 もっとも、生きている人間が今もいるのかどうかは疑問だが。ライフラインが止まった大都市なんて、ただのコンクリートジャングルだ。畑もなければ水場もなく、生きていくのに不便であることこの上ない。消費する人間がいなくなったおかげで物資が豊富なのは利点だが、それ以外はデメリットしかない。人間が多かった場所には、感染者も多く存在するのだ。


「まあ、ここらでガソリンも補給しておく必要があったし……」


 燃料の残量を示すデジタルメーターがだいぶ「E」に近付いているのを見つつ、言い訳のようにそう呟く。予備のガソリンはトランクに放り込んだガソリン缶の中に入っているが、それでも補充できる時にして損は無い。いざという時は道路脇に乗り捨てられた車のタンクからホースで給油することも出来るが、それにしたって微々たる量だ。それに燃料を使い切ったために乗り捨てられたのか、それとも僕らの前に同じことをした連中がいたのか、ここ最近は放置車両から取れる燃料も少なくなってきている。


 ガソリンスタンドのポンプは電動なので使えないが、災害時に備えて手動のポンプを保有している店も多いと聞く。手作業では時間がかかるが、ガソリンスタンドからなら確実に燃料を調達できるだろう。地下タンクに貯蔵してあるガソリンの量は、車に入っている量と比べると桁外れに多い。



 ようやく無傷で残っている橋を見つけ、渡っていく。橋の向こうでは大火災でも起きたのか、住宅街が一面丸ごと黒焦げの瓦礫の山と化していた。焼け落ちた家々の向こうに、林立するビル群が見える。


「ここをこのまままっすぐ行けば、ガソリンスタンドが一軒ある。近くにはドラッグストアとスーパーもあるみたいだし、そこで物資を調達しよう」

「焼けてないですかね?」

「大丈夫だと思うよ。ここから離れた場所にあるし」


 近場にはもう一軒ガソリンスタンドがあったようだが、そっちはどうも燃えてしまったようだ。仮に焼け残っていても、瓦礫を踏み越えて進むだけのパワーはこの車にはない。散らばった瓦礫の中の割れたガラスや釘でも踏んでパンクするのがオチだ。


 焼け落ちた住宅街を迂回して進んでいくと、徐々に無事な建物の姿が見えてきた。目的地であるガソリンスタンドまでは、町を南北に貫く国道を道なりに進んで行けばいい。

 国道の路肩にはやはり乗用車が乗り捨てられ、その向こうには楽器店やレンタルビデオショップが立ち並んでいた。中にはコンビニもあったが、そちらは既に略奪されたのか、割れた窓ガラス越しに見えた店内の棚は空っぽだった。

 この分ではスーパーも望み薄かもしれない。しかしガソリンは手に入るだろう。タンクローリーでも持ち出してこない限り、地下タンクに貯蔵されたガソリンを丸ごと持って行くことは出来ない。食糧にはまだ少しだけ余裕があるから、ガソリンさえ調達できればいい。



 そのまま車を走らせると、前方にガソリンスタンドの看板が見えてきた。黄色い貝殻の看板のガソリンスタンド、その道路を挟んだ反対側には、赤と緑の背景に白いハトで有名なスーパーの看板も見える。その奥には国道を一望できる位置に、高いマンションが建っていた。


「あそこですね」


 返事はなかった。どうやら疲れが溜まっているのか、助手席のナオミさんは小さな寝息を立てながら舟をこいでいる。

 時刻は既に4時を回っているから、早いところ今夜の寝床を見つけてまともな休息を取った方がいいかもしれない。あのマンションならスーパーやガソリンスタンドのすぐ傍だし、高さもあるから見張りにはうってつけだろう。あそこならいいかもしれない。


「ん?」


 そんなことを思いつつアクセルを踏むと、どこか周囲の光景に違和感を覚えた。道路の左右に立ち並ぶ店や住宅には、事故を起こしたらしい車が突っ込んで大破していた。そして道路上には死体がいくつも転がっている。今まさに、いくつか車の脇を通り過ぎていった。サイドミラーに映る死体が、見る見るうちに後方に遠ざかって行く。


 何かがおかしい。そんな気がした。

 感染者や人間の死体が道路上に放置されているのは珍しくない。だが、ここにあるのは少し数が多いように思える。中には折り重なるようにして倒れている死体など、その場でまとめて撃ち殺されたように思えるものもあった。


 事故を起こしたらしい車が多いのも気になった。一直線の幅が広い道路で、ハンドル操作を誤って道路脇に突っ込んで行く車はそんなに多いのだろうか? この国道は見通しもいいし、カーブもない。僕らは北から南へ向けて車を走らせているが、住宅や店に突っ込んだ車はどれも僕らと同じ方向から走ってきて事故を起こしたようだった。


 何かがおかしい。前方には一台のワゴン車が、道路上に停まったまま放置されていた。右車線に出て脇を通り過ぎたその一瞬、放置されたワゴン車のフロントガラスが蜘蛛の巣のようにひび割れ、内側から飛び散った血で真っ赤に染まっているのを僕は見た。頭の上半分が無くなった運転手の死体と、目が合った。


 自分の迂闊さを呪った時には、既に手遅れだった。スーパーの奥に建つマンションの中腹のベランダで、ちかちかと小さなオレンジ色の閃光が瞬く。次の瞬間、目の前のフロントガラスが音を立てて真っ白に割れた。

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