第四七話 一転攻勢するお話

 撃たれた腕とブーツで蹴り飛ばされた腕の痛みにのた打ち回る暇もなく、ライフルや拳銃などの武器を全て取り上げられた僕は、大和に銃を突き付けられつつナオミさんたちの元へと歩かされた。3人は両腕を後ろ手に縛られ、猿轡を噛まされていたらしい。だからさっき身動き一つ取ることも、僕に警告を発することも出来なかったというわけだ。


「両手を頭の後ろに組んで、跪け」


 ぞっとするような冷たい声と共に、後頭部に硬い物が当たる。拳銃を突きつけられていては反撃することも出来ないし、何より腕を負傷していては満足に戦うことも出来ない。痛む左腕を無理矢理持ち上げて両腕を頭の後ろに組んだ僕は、ボロボロのアスファルトの上に膝をついた。

 反撃? 出来るわけがない、武器は全て取り上げられてしまった。仮に武器を隠し持っていても、二度も同じ手を食らうほど大和は馬鹿ではないだろう。奇襲は一度だけやるのだから効果があるのであって、二度も三度も同じことをやるのは愚かの極みだ。もしも僕が不審な動きを見せたら、大和は今すぐ僕の頭を撃ち抜くだろう。

 もっとも、おとなしくしていてもいずれは殺されるだろうが。何せ僕は大和の仲間たちを殺し、この村を滅茶苦茶にした。今さら彼の考えに賛同すると言ったところで、許してもらえるはずもない。今はひたすらチャンスを伺わなければならない。


「これで全員か、お前らを探し出すのに苦労した」


 勝ち誇ったようなその言葉と共に大和が5メートルほどの距離を取って、ようやく銃を下ろす。かといって、即座に飛びかかるほど僕も愚かじゃない。これだけ距離が離れていたら、僕が彼の身体に触れる前に銃口から火が噴く。


「鏑木、全部隊に連絡だ。住民を集めて、至急役場に集合せよとな」

「了解」


 そんな言葉と共に車の陰から姿を見せたのは、この村に来た最初の日に僕らを役場まで案内した鏑木という警官だった。拳銃を握った鏑木の背後には、もう一つ人影がある。それは地下壕に連れ戻されかけていた僕を助けてくれた、あの青年だった。


 青年が大和や鏑木と一緒にいることに、一瞬裏切られたという言葉が脳裏に走った。しかしもし彼が最初から僕のことを捕まえようとしていたのなら、地下壕の前で出会った時に捕まっているはずだ。だとすると、彼はまだ僕の味方だと考えていいだろう。

 それに拘束されている様子もないことから、彼のやろうとしていたことが大和にばれたわけでもなさそうだ。見れば青年が肩から吊っていた、たくさんのダイナマイトを収めていたリュックが消えている。どうやら青年は当初の計画通りダイナマイトを感染者が閉じ込められている地下壕に設置し、それから大和たちに合流したらしい。


 不安な僕の心中を察したのか、こちらを向いた青年の目が「心配するな」と言っているように見えた。もし彼が最初から僕らの敵だったら、わざわざ回りくどいことはしない。だから彼はまだ味方だと考えていいだろう。

 彼が僕らを助けてくれるために行動を起こすか、それともこのまま見捨てられるのか。後者を選ぶようなら青年がやろうとしていることを大声で叫ぶだけだ。そうすれば青年も僕らの仲間と見なされ、裏切り者として扱われる。そうならないためにも、彼は絶対僕らを助けてくれるはずだ。


「私の村で、好き勝手な真似をしてくれたな。おかげで何もかもが無茶苦茶だ」

「それは10割方あんたたちの責任だ、僕のせいじゃない。あんたらがさっさと感染者を殺していれば、こんなことにはならなかった。決断から逃げた責任を僕らに転嫁するな、僕らはただ生き延びようとしただけだ」

「君もいずれ子を持てばわかるさ。何を犠牲にしてでも、どんな状態であっても自分の子供には生きていて欲しい。それが親ってもんだ」


 地下壕の中で行ったのと同じやり取りが繰り返された。僕はまだ親じゃないから彼の気持ちはわからないし、世界がこんな有様じゃ親になるまで生きていられるかどうかもわからない。だが子供である以前に一人の人間として、自分が自分でなくなり誰かを殺して回るような存在になるのなら、その前に殺してほしいとは思う。記憶と理性を失い、殺人衝動と飢えに駆られて人を食って回る。そんな連中の仲間入りはしたくはないし、自分が自分でなくなってしまうのだとしたら、それは僕が死んだも同然だと言っていい。


「あんたの言う子供の身としちゃ、それは間違ってると思うけどね」


 左腕の痛みを堪えつつ、そう呟いた。幸い銃弾は腕を掠めただけのようで、激痛が走るとはいえ左腕はきちんと動くし出血も収まってきている。これならば銃を撃つことも出来るだろうが、生憎手元には武器の一つも残されてはいない。


「私には君と議論を繰り広げている暇はないんでね、さっさと村の治安を回復させなければならない。君らが引っ掻き回してくれたおかげでこの有様だ」


 北の空はガソリンスタンドの火災でオレンジ色に染まり、南からは激しい銃声が聞こえてくる。


「この村を捨てたほうがいいんじゃないか? どうせもう終わりだ」

「そうかもしれない、だけど娘たちを置いていくわけにはいかないだろう? 私は誰が何と言おうとこの村に残る、逃げようとする奴らは許さん」


 もうあんたの仲間は逃げ出す準備をしているが。途中ですれ違った何両ものバンやトラックの存在を思い出してそんな言葉が喉元まで出掛かったが、言うのを止めた。言ったら大和はますます激昂するかもしれない。

 それにしても、この男がそこまで頑固だとは思わなかった。最初に会った時は僕の警察官のイメージをそのまま具現化したような、優しくて頼りがいがある人だと思っていたのに。


 いや、実際優しくて頼りがいがあった人なんだろう。それは彼がこの村を今まで存続させていたことからも伺える。そんな大和を変えてしまったのは、多分娘の死だ。事情をよく知らない僕があれこれ言う立場ではないのかもしれないが、もし大和の娘が今も生きていたら、彼はこんなトチ狂った人間にはなっていなかったに違いない。村はちゃんとした避難所になっていて、人々は感染者の恐怖に怯えつつも、いつか平和な時代に戻ると希望を持って生きていけたはずだ。


「こいつらを連れて地下壕に戻るぞ。中村、このガキを縛って4人ともトラックに乗せろ」

「ちょ、ちょっと待って下さい。なんで地下壕へ戻るんです?」

「決まってるだろ、亜紀たちにやるんだよ。もう二週間以上喰っていないから、早くしないと死んでしまう」


 そんな物騒な会話で顔を上げると、青年が困惑した表情で大和を見つめていた。大和の口から出た中村というのは目の前の青年の名前で、亜紀というのは大和の娘らしい。そこで今まで青年の名前を一度も聞いていなかったことを思いだしたが、いまはそんな事よりも僕らを地下壕に連れて行く云々という話の方が重要だった。大和は村がこんな状況になってもなお、感染者と化した娘を生かし続けることにこだわっているのか?


「大和さん、残念ですけどその少年の言う通りだと思います。もうこの村は終わりです、そしてあなたのやろうとしていることも間違っている。いい加減、亜紀ちゃんを眠りにつかせてあげましょうよ。あれはあなたの娘の形をした、ただのバケモノです」

「私に逆らおうってのか? 誰がお前を助けたのか、忘れたわけじゃないよな?」

「もちろんです。そして助けてもらったからこそ、あなたのために何かをしたいんです」


 どうやら青年も僕と同じ気持らしい。あちこちで火災が発生し、今も感染者と守備隊が戦いを繰り広げているというのに娘に僕らを食わせることしか考えていない大和は、きっと正気を失ってしまっている。

 部下が反抗したことが気にくわないのだろう、大和の表情が歪んだ。


「……もう一度言う、こいつらをトラックに乗せろ」

「申し訳ありませんが、承諾できません」


 言うが早いか青年は、手にした散弾銃の銃口を大和に向けていた。僕に銃口を向けていた大和はとっさの事態に対応出来なかったようで、拳銃を青年に向けかけた姿勢のまま固まるしかなかった。


「もう、こんなこと止めましょうよ。何人も殺し続けて、それで娘さんはどうなるんです? 将来感染者を元に戻す薬でも開発される、なんて甘いことを考えているわけじゃないでしょう?」

「私は亜紀に生きていてもらいたい、それだけだ」

「違います、あなたは自分の手で娘さんを殺すことを恐れているだけです。本当はわかっているんでしょう? もう亜紀ちゃんが元に戻らないことは」


 青年はそう言うと、片手でショットガンを保持しつつ左腕の腕時計を一瞥した。


「俺たちに出来ることは、これ以上彼女たちが誰かを殺さないように引導を渡す事だけです。もう十分です、亜紀ちゃんを眠らせてあげましょう」

「誰にも亜紀を殺させない。邪魔をするなら、誰であれ殺す。中村、お前であってもな」


 両者がにらみ合う中、鏑木は感情の篭もっていない顔で二人の様子を伺うだけで、割って入ってどちらかを手助けしようとする気配は感じられない。これは反抗するチャンスかと思いきや、大和の銃口はまだ僕の頭を向いている。大和が激昂してつい引き金を引かないよう祈る僕の目の前で、青年は再び腕時計に目をやった。


「もう、手遅れです」

「なに――――――」


 次の瞬間、北に広がる山の麓で閃光が走った。数秒の後、火災のそれとは違う大きな爆発音が空気を震わせ、続いて何かが崩れる音が響いてくる。爆発が起きた北の山の麓には、感染者たちを閉じ込めていた地下壕があったはずだ。

 どうやら青年は目標を達成したらしい。銃を構えつつもどこか満足げな表情の青年と、それとは打って変わって呆然と地下壕のある北を見つめる大和。月明かりの下もうもうと立ち上る土煙が、ここからでもはっきりと見える。

 旧日本軍が本土決戦に備えて構築したというあの地下壕は、今頃天井が崩落して土の下だろう。中にいた感染者たちも当然、生き埋めだ。それどころか重い岩の下敷きになって即死しているかもしれない。仮に生きていたにせよ、今のこの村には大量の土砂の下敷きになった人間を救い出す装備も人手もない。そしてレスキュー隊が来ることもない。


 あの地下壕に閉じ込められていた感染者たちは、全員死んだと見て間違いないだろう。ようやく何が起きたのか理解したのか、大和の身体から力が抜け、その場に膝から崩れ落ちる。銃口がようやく外れたので慌てて大和から離れた僕は、急いで脇に転がされているナオミさんたちの元へとにじり寄った。


「ナオミさん、無事ですか!? こいつらに何か変なこととかされてませんか!?」

「私たちは何ともない。君も無事そうで何よりだよ。それより、一体何が起きたの?」

「あの人が感染者を閉じ込めている地下壕に爆弾を仕掛けて吹っ飛ばしたんですよ。感染者になったこの大和の娘もその中にいた」


 猿轡を外した途端、ナオミさんの元気な声が聞こえてきて僕はほっとした。ナイフが無いので彼女たちを後ろ手に縛っているロープを切ることは諦め、続いて結衣の猿轡を外そうとした時、地面に膝をついた大和の嗚咽が僕の耳に届いた。


「そんな……そんな……嘘だろ、亜紀……!」


 その言葉と共に、絶叫が大和の口から迸った。天を仰ぎ、涙を流しながら吼える大和の横顔を見た僕は、そこに母さんを殺した時の自分を重ねてしまっていたことに気づく。

 家族が感染者と化した時、僕は母さんを殺し、大和は感染者になってもなお娘を生かすことを選択した。だけどもしかしたら逆の選択をしていたことだって有り得るのだ。

 僕は両親を大切に思っていたし、大和も娘を愛していただろう。僕らが誰かを大切に思っていたことだけは間違いない。異なったのは決断だけだ。だけどもし母さんがほとんど普通の人間と変わらないような状態で感染者と化していたら、それでも僕は母さんを殺すことが出来ていただろうか?


 そう思うと、今まで何十人も殺してきた目の前の男が、少しだけ哀れに見えた。

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