第四六話 逆転するお話

 3人を殺害した後すぐに家を出たが、僕を追って来ていた守備隊員たちの姿は見当たらなかった。他の家の住民の避難を優先させたのか、それともここに僕は来ていないと判断して別の場所に向かったのかはわからないが、家を出た途端にドンパチをせずに済んだことは幸いだった。これ以上戦っていたら、次こそ本当に死にかねない。今まで僕が死なずに済んでいたのは、単に運が良かっただけなのだ。


『……こちら第五地区、火の勢いが弱まらない! もっと人手を寄越してくれ!』

『至急、至急、第3ゲートから各員。南側から多数の感染者が接近中、付近の隊員は第3ゲートに急行せよ。繰り返す……』


 周囲に誰もいないことを確認してトランシーバーに電源を入れると、途端に罵声とも悲鳴ともつかない声がスピーカーから流れ出す。どうやら僕が起こした火事は収まるどころか余計ひどくなりつつあるようで、そのせいで感染者もこの村の存在に気づいたようだった。

 北の方角を見ると地上の炎で空がオレンジ色に染まっているし、時々小さな爆発音も聞こえる。あれだけの騒ぎを起こしておいて、感染者に気づかれないでいるというのは無理がある。南側からは銃声も聞こえているし、あれがナオミさんたちを狙っているものでなければ、感染者は村のかなり近くまで接近しているようだ。


 まあ、僕としてはこの村がどうなろうと知ったことではない。友好的なふりをして疲れ果てた避難民をおびき寄せ、感染者のエサにする連中なんて死んでしまえばいいのだ。それに付き従っていた連中も同罪、僕らの敵だ。

 再び脳裏に浮かんだ老人たちの死に様を、頭を振って打ち消しながらトランシーバーのチャンネルを変える。今度こそ、青年に繋がればいいのだが。

 しかしチャンネルを青年が指定したものに合わせても、返事は返って来ない。流石にもう爆薬の設置を終えて地下壕から出ているはずだから、近くに他の守備隊員がいて応答出来ない状況なのだろうか。いずれにせよ、彼と連絡を取るのは諦めた方が良さそうだ。


 幸い、目的地である村役場まではそう遠くない。このまま村役場に行って、そこでナオミさんたちを待つ。彼女たちと連絡が取れないのがもどかしいが、それでも村役場に車が置きっ放しであることを考えると、絶対にナオミさんたちも役場を訪れるだろう。どう考えても歩いてこの村から脱出するのは不可能だ。

 となれば、村役場で彼女たちと合流できる可能性は高い。今はとにかく村役場まで行って、そこで合流できなければその時はその時だ。運がいいのか悪いのか、守備隊は村を察知した感染者たちを迎撃するのに手いっぱいらしい。万一僕がナオミさんたちに見つけてもらえるほど大暴れしても、即座に対処するのは難しいだろう。普段は恐ろしく、僕たち生存者の敵でしかない感染者たちだが、今だけはその存在に感謝していた。



 村役場の方角へ歩き始めると、途中で何度か車両に遭遇し、その度に物陰や用水路に隠れて事無きを得た。

 何度かすれ違った車両はどれもトラックやワゴンといった大人数を載せるタイプで、車内や荷台には多くの人影が見えた。守備隊員にしては数が多かったし、それに人影が武器を持っている様子もない。恐らく非戦闘員をどこかに避難させているのだろうと僕は推測した。火事に感染者、そして連中からしてみれば凶悪犯である僕らが村の中をうろついている今、非戦闘員は一か所に集めておいた方が守りやすい。

 それはつまり、この先僕がどこかの家に隠れても、先程のように家主と遭遇せずに済むということだ。仕方なくとはいえ、殺しなんて好き好んでしたいと思うほど、僕はサイコパスではない。



 その後もライフル銃を構えつつ歩き続けた僕は、つい数時間前まで暮らしていた家に戻ってきていた。付近に点々と立ち並ぶ民家に人気は無く、ここしばらく住み続けて見慣れたはずの日本家屋はまるで幽霊屋敷のように見えた。

 そしてナオミさんたちが守備隊員たちを相手に大暴れしたのも本当のようで、玄関先には赤黒い血だまりがいくつか出来ている。玄関付近の窓もいくつか割れていて、状況から考えるにナオミさんは拘束に来た守備隊員を殺害して武器を奪い、応戦しながら外へと脱出したということだろう。


 誰もいないだろうし、実際人気は感じられないが、もしかしたらナオミさんたちが戻ってきているかもしれない。守備隊もまさか逃げ出した連中が元の場所に戻ってくるなんて考えていないようで、家の周囲に守備隊員たちの姿は見えなかった。

 ライフルを肩から吊り、拳銃を構えつつ門を開く。門から首を突っ込んで敷地内を見回したが、やはり人影は見えない。そのままガラスが割れたドアを開けて家の中に土足で踏み込んだが、やはり誰もいなかった。僕を待ち構えている守備隊員らの姿も、ナオミさんたちの姿もどこにもない。


「となると、後は役場か……」


 ふと思い出し居間に行ってみると、テーブルの上には花火のパッケージが置かれたままになっていた。僕たちが見つけ、今夜こっそりやってしまおうと言っていた線香花火。それよりも派手で汚い花火なら、僕がガソリンスタンドで起こしたのだけど。

 つい数時間前まで、僕はこんなことになるなんて思ってすらいなかった。感染者が皆餓死し、政府が再建されて事態が収束するまでのんびりこの村で暮らす。そんな希望は幻想にすぎなかった。

 どれもこれも、あの大和のせいだ。この落とし前はきっちりつけてやる。そう決意した僕は、今度は役場を目指して歩き出した。



 食事の配給を受け取りに行く時だけは外出が許可されていたので、暗闇の中でも役場までの道程ははっきりとわかった。役場まで行く途中にはいくつか民家があり、そこには住民がいたはずなのに、今は物音一つ聞こえない。家の中にも人気は感じられないし、恐らく先ほど見たようなトラックでどこかに避難したのかもしれない。

 以前は村の中で感染が広まったということだが、今回は外部から感染者が襲ってきている。付近の感染者が全滅するまで村への襲撃は続くだろうし、それがいつまで続くかもわからない。もしかしたらいつまで経っても襲ってくる感染者の波が止むことはないかもしれない。以前の感染爆発パンデミックでは村の中で発生した感染者を一掃し、地下壕へと閉じ込めることで事態は解決した。しかし今回限りは、そんな手は使えまい。


 とすると、さっきのトラックやワゴン車は僕らから住民を守るためだけでなく、住民そのものをこの村の外へと脱出させるためのものかもしれない。弾薬が尽きれば守備隊は村の出入り口を守りきることが出来ず、感染者がなだれ込んでくるだろう。そうなったら後に待っているのは文字通りの血祭だ。村の住民は一人残らず感染者に殺される。

 いっそのことそうなってしまった方が何もかもすっきりするのだろうが、僕はそこまで鬼畜な考え方をする人間ではない。彼らが逃げてくれれば、その分僕も余計な戦闘をせずに済む。それに感染者と化した家族を捨ててこの村を去れば、彼らもいずれ正常な思考を取り戻すだろう。


「ま、脱出がクソ面倒くさいことになりそうだけどね……」


 万一村の出入り口であるゲートが突破された場合、脱出が遅れれば遅れるほど僕らが相手にしなければならない感染者も増えていく。ナオミさんたちと合流出来たけど、感染者に囲まれてしまいました、なんて事態は避けたい。

 月明かりの下、それだけは豪勢な3階建ての村役場の建物が西の方角に覗いていた。役場には自家発電装置が備え付けられているのだろう、民家の屋根越しに見える役場の窓からは光が溢れていた。もしも役場の機能がまだ生きているのなら、ナオミさんたちはわざわざ人が集まっていそうな役場へと向かうだろうか?


「こりゃ、ミスったかな……?」


 とはいえ、ナオミさんたちがいないか一応は確認しなければならない。せっかく追手から逃れたのに、今度はナオミさんたちを探して当てもなく村の中を彷徨わなければならないなんて。携帯電話がいかに便利な道具であったかを痛感する。もし携帯電話が使えたのなら、一発で連絡を取ってどこかで待ち合わせることが出来ただろう。


 ライフル銃を構えつつ、敵を警戒して物陰から物陰へと移動し、徐々に役場との距離を詰めていく。明かりが灯っているから役場には守備隊員らが集結しているのではと思ったのだが、いくら近づいても人の声どころか車のエンジン音すら聞こえてこない。皆逃げだしてしまったのではないかと思うほど、辺りは静まり返っていた。

 だからといって、警戒を怠るわけにはいかなかった。そのせいで既に何度も痛い目を見ている、もう二度と油断して命の危険に陥りたくはない。そのため僕は少しでも何かが動けばその方向へ銃を向け、移動する時も油断なく周囲を警戒していた。



 そしてとうとう、村役場へとたどり着く。役場の前に広がる駐車場は、来た初日とは違いあちこちに車が停められていた。しかしそのどれもがエンジンを切られていて、排気ガスの臭いもほとんど漂っていない。少なくとも、ここ数分の間に役場にやって来た車はないということだろう。

 外から伺う限り、役場の中にも人気は無い。僕が大和と話をしたのはこの村役場で、その時には何人も役場に人がいた。せっかく役場には自家発電装置があるのに、彼らはどこへ行ったんだ? 大和はまだここに留まっているのか? それとも――――――。


「――――――!」


 もっとよく様子を伺おうと身を乗り出した時、放置された車両の隙間から何かが見えた。地面に転がる4つの物体。一瞬中身が詰まったゴミ袋でも捨てられているのかと思ったが、月明かりを受けて輝く金色の髪が、その物体が人間であることを示していた。そして僕の知る限り、今この村にいる人間の中で、金髪の人は一人しかいない――――――。


「ナオミさん!」


 だとすれば、その両脇に倒れているのも結衣と愛菜ちゃんだろう。それを認識した時、僕は思わず駆け出していた。あれほど探していた3人が目の前で倒れている。その光景に僕の冷静な思考は吹っ飛んでしまっていた。ついさっき油断しないと誓ったばかりなのに、一瞬でそれを翻してしまった。

 あちこち剥がれたアスファルトの上に横たわる3人は、わずかに動いているように見えた。俯せになり、両腕を後ろ手に縛られている。


 ……両腕を縛られて……?



 罠だ。そう直感した時には既に遅かった。俯せの3人の近くに放置されていた車両の陰から何かが出てきたと思った途端、その手から閃光が迸る。その人影に向かって銃を構える間もなく、僕の左腕に激痛が走った。二の腕がまるで焼け火箸でも押し付けられたかのように熱く、生温かい液体が腕を伝うのがわかった。


「痛ってえええええ!」


 ナオミさんと出会う直前、窓ガラスに腕を突っ込んだ時も怪我をしたが、あの時とは比べ物にならないほどの痛みだった。単にガラスで切ったのと、人を簡単に殺せる銃で撃たれたのとでは訳が違う。腕が暑く、激痛で何も考えられない。

 腕を押さえてのた打ち回っていると、アスファルトの地面が垂直になった視界の中、スーツに包まれた足がこちらに近付いてきているのが見えた。そのまま視界を上に向けると、僕らを殺そうとした張本人である大和の顔が、僕を見下していた。


「ふざけんな……!」


 左腕の焼けるような痛みを無視し、右手でベルトに挟んだ拳銃を引き抜いて大和に向ける。が、それより一瞬早く放たれていた回し蹴りが、僕の右手の甲を打ち据えていた。ブーツの踵がめり込み、骨が折れたのではないかと思うほどの激痛が走る。思わず手から力が抜け、手の中からすっぽ抜けたリボルバーが乾いた音を立ててアスファルトの上を滑って行く。


「また会ったな」


 ぞっとするような冷たい声と共に、拳銃の撃鉄を起こす金属音が響いた。


「さんざん好きに暴れてくれたようだな……だが、このツケは払ってもらうぞ。あまり大人を舐めない方がいい」


 詰んだ? その3語が僕の脳内で渦巻いていた。

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