第四五話 人を殺すお話

 厄介なことになった、それが偽らざる思いだった。三人の男女はおびえた目で僕を見つめ、さっきから一言も発していない。銃を持ち出して喋るなと脅したのだから当然だしありがたいのだが、まるで僕が犯罪者か何かのように思われていることには納得がいかなかった。

 だって先に仕掛けてきたのは彼らの方なのだ。僕は仕方なく応戦しただけで、本来ならこんな場所で彼らを脅すことだってなかったのだ。悪いのは全てこの村の人間であり、僕は無罪だ。


「ど、どうしてこの家に……私たちを人質にとるつもりなの?」


 ずっと部屋の中にいた、明美と呼ばれていた中年女性が口を開いた。黙れ、と言おうと思ったが、このままでは不安に駆られて彼らが何をしでかすかわからない。ここは彼らを落ち着かせるためにも、僕が悪い人間ではないと教えておく必要がある。


「あんたらがここにいたのは予想外だった、僕は守備隊の連中から隠れようとしていただけだ」

「なら、私たちが何もしなければ手を出さない?」

「当たり前だ、僕は殺人鬼じゃない」


 もっとも、この見た目で言ったところで説得力はないだろうが。何しろ今の僕は身体のあちこちが返り血で真っ赤に染まり、歩く武器庫が如く大量の銃器や刃物をぶら下げているのだ。


「今度はこっちが質問する番だ。なんであんたら3人はこの家にいる? 家族ってわけじゃなさそうだし、あんたらをあの地下壕で見かけた覚えもない」

「わしらは近所の住民だ。銃声が聞こえ始めて家から出るなと役場から連絡があったから、わしの家に集まっていたんだ」

「近くに他の住民は?」

「いない、この辺りにはわしら3人しか住んでいない。信じてくれ」


 その言葉が真実かどうか確かめる術は僕にはないが、多分本当だろうと思った。安全だと思っていた村の中でいきなりドンパチが始まったら、一人でいたいと思う人間はほとんどいないだろう。なるべく大勢で集まろうと考えるのが当然だ。

 どうやら彼らは村の北部の地下壕で行われていた、僕を感染者に食わせるという儀式には参加していなかったらしい。僕を逃がしてくれた青年は大和らが村人に罪の意識を植え付けてコントロールしやすくするため、感染者が人間を食い殺すところを見せ付けていたと言っていた。しかしあの地下壕に村人全員はどう考えても収容できない。きっと村の住民は幾つかグループ分けされていて、順番で避難民が感染者に食われるところを目撃していたのだろう。

 そして目の前の3人は、今日は地下壕にはいかず自宅のある村の南部に留まっていた。そこで僕が脱走し、拘束に訪れた守備隊員らをナオミさんが撃退した事から始まった騒ぎを聞きつけ、危険を感じ取り付近の住民を集めてこの家に篭もっていた。そこに運悪く僕が入り込んでしまった、ということらしい。


「ったく、何でこんなことに……」


 そう零さずにはいられなかった。どうしてこんなことになった、それが今の偽らざる思いだ。ようやく安全な土地を見つけたと思ったら、感染者と化した家族らを生かすために避難民を餌にするイカレポンチたちの巣窟だったなんて。運が悪いなんてもんじゃない。

 その上忍び込んだ家には住民がいた。何か彼らを拘束できるものは無いか探したが、薄暗い部屋の中にロープなどはなかった。第一、僕一人だけで3人を拘束するのは難しい。一人の両腕を縛っている間に残りの二人に反撃される恐れがある。かといって一人に残りの二人の拘束を命じたところで、敢えて手を抜いて拘束を緩くし、僕が油断した瞬間に一転攻勢に出てくるかもしれない。

 悔しいが、3人に勝てるわけがないのだ。今はこのまま3人を見張り続け、家の周りから守備隊員がいなくなるのを待つしかない。彼らの処遇はその後考えればいい。


「全部あんたらがいけないんだぞ。あんたらがあんないかれた男をリーダーとして仰いでいるからこんなことになったんだ」

「じゃあどうすればよかったのよ。大和さんがいなければとっくに私たちは全滅していただろうし、私だって子供を失いたくは無かった。これは仕方のないことなのよ!」


 さっき廊下で失禁していた、美智子と呼ばれた女性が突然声を張り上げた。


「わたしの息子はこの村で感染して、今はあの地下壕にいる。理性と正気を失ったとはいえ、健太(けんた)はまだ生きてるの! わたしは健太を死なせたくない、たとえ他の誰かが犠牲になったとしても」


 どうやら彼女の息子は大和を凶行に走らせた、村での感染拡大に巻き込まれて感染者と化したらしい。そして彼女は息子を殺すことが出来ず、あの地下壕に閉じ込めたようだ。

 まったく迷惑な話だった。


「仕方の無いことだ? ふざけんな、そんなに息子を愛しているならアンタが最初に食われてみせろよ。仕方なく、で殺される何の落ち度もない人間の心をあんたらは考えたことがあるのかよ」

「あなただってこの村の人を一杯殺したんでしょう! そんな血塗れになって、銃をいくつも持って、何人殺したのか言ってみなさいよ!」


 そう言われ、頭に血が上るのがわかった。僕が人を殺したのだって「仕方なく」だが、それはこの村の連中が僕を殺そうとしたからだ。僕は生き延びようと戦っただけ、最早人間ではなくなってしまった自分の家族を生かすために他人を殺し続けていたこいつらとは違う。

 思わずクロスボウを構えかけた時、突然ぐぐもった振動音が家の中に響き渡った。まるでドアをノックされているような――――――いや、実際ドアをノックしているのだろう。


「そこを動くなよ。一歩でも動いたり騒げば殺す」

 

 そう言ってクロスボウは3人に向けたまま、ソファーを回り込んで南側に面した窓に向かう。閉め切られた遮光カーテンをそっと開くと、数人の男が庭先にたむろしているのが見えた。そして手に手に散弾銃や拳銃を握りしめている様子が月明かりに照らされて映し出される。

 どうやら、守備隊が一軒一軒家を回って住民の安否を確かめているらしい。ソファーに座る3人が顔を見合わせるのがわかり、僕は舌打ちした。ドアをぶち破って突入してきていないということは、幸いなことに今の口論は外には聞こえなかったようだ。

 

 しかしこの家に住民がいることは守備隊員も把握しているだろうし、いつまでも返事が無ければ怪しんで押し入ってくるだろう。そうでなくとも住民がいない家には僕が隠れているかもしれないと思い、どの道押し入ってくる。流石にこの至近距離で銃を持った数人の男を倒す自身は、僕にはなかった。

 最善の道はこの中の誰かを守備隊員との応対に向かわせることだが、万一そいつが僕がここにいると漏らしてしまった場合、僕は袋の鼠となる。かといって住民が裏切らないよう、いつまでも近くで見張っているわけにもいかない。


「おじいさん、いますか? この辺りに物騒なガキがうろついているんで、家を回って住民の安否を確認しているんです! いるなら出て来てください、でないと勝手に入りますよ?」


 そんな声が玄関の方から聞こえてきては、もう迷っている暇などなかった。僕は老人にクロスボウを向けると、「行って来い」と指示する。


「人質にはわしがなる。他の二人を出させてはくれないか?」

「何を言ってるんだ。老い先短いあんたなんか、人質としての価値が低いんだよ。もしあんたが上手く連中を追い返してくれたら、この二人はまだまだ長生きできるだろう。だけどあんたが余計なことを喋ったり、守備隊員をこの家に招き入れた場合、僕は死ぬ前にこの二人を殺す。そうなった場合、あんたがこの二人を殺したことになるんだ」


 もしこの老人が僕の存在を守備隊員に知らせた場合、僕はたちまち連中に包囲されて殲滅されてしまうだろう。そうならないためにも、保険をかけておく必要があった。自分の行動如何でまだ若い二人の女性が殺されるかもしれないと知れば、老人も下手な真似は慎むはずだ。

 本気だと伝えるために、右手でクロスボウを老人に向けたまま、左手でベルトから拳銃を抜いてソファーの二人に突き付ける。利き腕は右だが、この至近距離ではさすがに外しようがない。


「……わかった。上手く彼らを追い返せば、美智子さんたちには手を出さないんだな?」

「おう、考えてやるよ」


 ソファーに座る女性たちと僕の顔を見比べた後、老人は廊下に出て玄関へ向かっていった。フローリングの板が軋む音がだんだん小さくなっていくのを聞きながら、ベルトに拳銃を戻し二人にクロスボウの照準を向ける。


「……君、今からでも遅くないから守備隊の人たちに投降したら? こんなの間違ってるよ?」

「もう何人も殺したんだ、今さら降伏しますって言っても通じないさ。それにこの場で死ぬことは免れられても、あんたらが飼ってる感染者たちのエサにされるじゃどの道同じだ」


 僕に投降という選択肢はないのだ。あるのはこの村の住民全てを敵に回して戦い続け、生きて脱出するか。それとも諦めて守備隊に殺されるか、感染者のエサになるかの二者択一の選択肢だけだ。そして当然、僕は前者を選ぶ。

 今頃感染者が蠢く地下壕には青年が爆薬を仕掛けて回っているのだろうが、もし僕が守備隊に捕えられてしまったら全てがおじゃんだ。それにナオミさんたちは多分、僕のことを待っていてくれるだろう。僕との合流が遅れれば遅れるほど、この村から脱出出来るチャンスも失われる。僕がここで殺されれば、ナオミさんたちはきっと手遅れになるまで、来るはずのない僕が合流するのを待つに違いない。


 だからここで捕えられたり、死ぬわけにはいかないのだ。たとえどんなことをしてでも、僕は生きて3人と合流しなければならない。

 玄関からは老人と守備隊員らしき男たちの話し声が聞こえてくる。守備隊員は老人に避難するよう勧めているようだが、老人は外は危険だし護衛の人手も少ないから家に留まっていると答えている。老人の説得を続ける男の困った声に混じって、すぐ傍で震える声が響いた。


「助けてください、神様……」


 ずっとリビングにいた明美という女性が、両手を組んで祈っているようだった。

 僕は今まで神なんか信じたことはなかったし、多分これからも信じることはないだろう。もし神がいるのなら、どうしてこんな世界を作る? 神は獣と分けて人間を作ったようだが、その人間が今では獣同然に理性を襲い、まだ感染していない人間を襲っている。こんな世界が許されるのなら、神もへったくれもない。


 多分この村の人々は、目の前の女性たちやさっきの老人も、あの大和を含めて全員が善人だったのだろう。誰もが家族を何よりも大切に思っている善人。平時ならそれこそホームドラマのいい題材になった人々が大勢いたに違いない。

 だけど今のこの世界じゃ、家族や大切な人なんて重しにしかならない。この村の人々は家族を大切に思うあまり、人の形をした獣に成り下がった感染者を殺すことが出来なかった。だから地下壕に閉じ込め、避難民を餌として与える蛮行に及んでいるのだ。

 悔しいことだけど、今の僕は両親が死んだことに感謝していた。父が死に母を自ら手に掛けたからこそ、僕はこの村に流れる狂った空気に侵されずに済んでいる。もしも両親がまだ死んでおらず、行方不明の状態だったら、きっと僕も彼らの行為に賛同してしまっていただろう。




 やがてドアが閉まる音と共に、板張りの廊下を軋ませる足音が聞こえてきた。数は一つ、どうやら上手く守備隊員らを追い返してくれたらしい。カーテンを捲ると、家に背中を向けて去っていくいくつかの人影が見えた。


「どうにか、彼らにはここを離れてもらったよ。一緒に農協の事務所に来るよう言われたが、護衛が少ない状態で外を出歩くのは危険だと断った。彼らは住民を事務所に避難させているようだ、人手を集めたらすぐに戻ると言っていた」

「ええ……?」


 それはつまり、護衛のための守備隊員を集めたら再びこの家に戻ってくるということか。

 何をやってくれたんだというのが素直な感想だった。単に追い返してくれるだけでよかったのに、余計なことをしてくれた。もし僕がこのままこの家に留まっていたら、次はもっと多くの守備隊員に囲まれる羽目になる。仮に彼らを拘束してこの家に残したとしても、守備隊員らが戻ってきたら老人らは僕がこの家にいたことを喋るだろう。


 守備隊員らが戻ってくるまで5分か、10分か。どちらにせよ僕に残された時間は短い。今すぐ決断しなければ、僕は今度こそ袋の鼠だ。

 縛って転がしておく? いや、さっきも考えた通りそれでは僕に隙が出来てしまう。一人を縛っている間に他の二人に襲われたらどうしようもない。誰かに縛るのを任せたとしても、わざと拘束を緩くして脱出や反撃の機会を作ろうとするだろう。

 仮に彼らが反撃してこなくても、僕がこの家を出た直後に守備隊員らに僕の存在を伝えてしまったら、その時点でこの家に隠れた意味がなくなってしまう。守備隊員らは近くに僕がいると知り、人員を集めてさらに捜索を行うだろう。そうなれば逃げるのはますます難しくなる。


 この場にいる3人に反撃の機会を与えず、さらに脱出の機会をも与えない手段。僕の貧弱な頭脳では、解決策は一つしか浮かび上がってこなかった。


「さあ、もう彼らは行った。早くここを出て、村から脱出するんだ」

「もういいでしょ? 私たちを解放して」

「君がここにいたことは、絶対誰にも喋らないから」


 3人は代わる代わる口を開いたが、持ち上げたクロスボウがその答えだった。


「事情が変わった」


 その言葉と共に、ドアのすぐそばに立っていた老人向けて引き金を引く。放たれた矢は老人の胸を射抜き、彼の身体が倒れるより素早く僕は腰のホルダーから斧を引き抜く。そして二人の女性が悲鳴を上げる前に、ソファーに座っていた明美という女性に思いきり斧を振り下ろした。

 斜め上から振り下ろされた斧は、深々と彼女の首に突き刺さった。一人残った美智子が目を見開き、その口が悲鳴を上げようと開かれる。だがその瞬間に僕はテーブルの上にあった灰皿を手に取ると、彼女の頭目掛けて投げつけていた。

 頑丈で重いステンレス製の灰皿は、回転しながら彼女の顔面に直撃した。ごっ、という鈍い音と共にその顔が歪み、潰れた鼻から血が垂れる。


「な、なんで……?」

「さっきあんたが言ったことだ。これは仕方のないことだってな。だから……」


 僕は脇にぶら下がるクロスボウのホルダーから矢を引き抜くと、床に倒れた彼女に馬乗りになり、その喉へと勢いよく矢を突き立てた。女性はまるで陸に上がった魚のように口をぱくぱく開けていたが、喉に穴が開いていては息も出来ない。鮮血で真っ赤に染まった喉とは対照的に、見る見るうちに青ざめていく顔を見ながら、僕は続けた。


「ここであんたらを殺さなきゃ、すぐに僕が殺されるかもしれない。これは仕方の無いことだ、悪いな」


 もっとも、その言葉を彼女が聞いていたかどうかは怪しかったが。白目を剥いて動かなくなった彼女はもう、あの世に旅立ってしまったのかもしれない。そうでなくとも老人を避難させるために守備隊が戻る前には、きっと死んでいるだろう。


 これで少なくとも背を向けた瞬間3人が襲って来たり、僕が家を出た直後に彼らが守備隊に通報する可能性は潰えた。死体を見て守備隊員らは僕がこの家にいたことを知るだろうが、その前にこの辺りを離れるだけの時間は稼げる。また追いかけっこが始まるかもしれないが、その前にナオミさんたちと合流できるだろうか。


 ソファーに座ったままこと切れた女性の首から斧を引き抜き、老人の胸に刺さった矢を回収する。来た道を戻り勝手口から外に出たが、家の周囲に守備隊員らの姿は見当たらなかった。余所の家を回っているのか、それとも護衛の人手を確保に戻ったのか。どちらにせよ、これでしばらくドンパチせずに済む。


 不意にさっき殺した3人の顔が脳裏に浮かんだ。3人とも武器を持たず、僕を襲いもしなかった非戦闘員だ。彼らを殺したことは本当に「仕方のないこと」だったのか?


 いや、考えるのはよそう。彼らはこの村の住民であり、僕を殺そうとした連中の仲間だ。3人を殺した理由はそれで十分だ。

 しかし自分にそう言い聞かせても、3人の死に顔が脳裏から消えることは無かった。

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