第一九話 僕は友達が少ないお話

 久しぶりに食べる焼き肉は、昔一度だけ食べた事がある霜降りの神戸牛よりも美味かった。肉がカラスだろうがハトだろうが関係ない、熱くてジューシーな肉は、久々に僕に文明的な食事というものを感じさせた。もっとも、焼き肉と缶詰だったら缶詰の方が文明的なのだろうけど。


「美味しい……!」


 結衣も愛菜ちゃんも感じるところは同じなのか、夢中で骨付きの肉にかぶりつく。カラスの肉はやや硬いが、普通の鶏の肉と変わりない。結衣が醤油をベースに作ってくれたタレがさらに旨みを増している。ナオミさんは料理に疎いらしく焼いたら塩を振っておしまいにしようとしていたので、結衣が手を加えてくれたのは本当にありがたかった。


「よかった、美味しいって言ってもらえて」

「なんせ三か月ぶりの焼き肉ですからね……ナオミさんはよく焼き鳥を食べてたんですか?」

「時々ね。屋上に残飯を置いて、カラスとかハトが寄ってきたところをバシュッと」


 そう言ってナオミさんは引金を引く動作をしてみせた。こんな美味い物を食べていたなんて羨ましい、僕らはずっと冷えた缶詰ばっかり食べていたのに。

 ただ、カラスやハトを仕留めるのも難しかったのだという。感染者に見つかる危険性があるから、狩場はマンションの屋上だけだ。そしてクロスボウの矢にも限りがあるから、外してしまうと矢は外に飛び出してしまい、回収できなくなる。もっともナオミさんは工作も得意らしく、鉄棒を使って矢を自作していたり、自転車のタイヤチューブを使ってスリングショットを作っては鳥を仕留めていたらしいが。


「僕何度か鳥を捕まえてみようとしたことがあるんですけど、ダメでした。罠なんか作れる頭はないし、ご飯を少し残して外に置いても鳥は寄ってこなかったし……」

「それは仕方ないな、外には死体エサがたくさん放置してあったんだ。私も最初の頃はカラスが降りてこなくて苦労したよ」

「ナオミさんはやっぱり、こういった狩りの方法って昔から知ってたんですか?」


 そこで一瞬、地雷を踏んだという気がした。このマンションに車で、昔のことを訊かないことが僕たち三人の暗黙の了解となっていたからだ。家族の行方が知れぬ今、余計な事を考えないようにとの配慮だったが、愛菜ちゃんと僕の両親の末路についてだけは僕が知っている。

 だけどナオミさんは特に何も気にしていない様子で答えた。


「私の生まれ故郷が保守的って話はしたよね? 銃なんかどの家庭にも最低一丁はあったし、町の子供たちは皆10歳になる前には銃を撃ってた。森と山に囲まれてて獲物には困らなかったし、自衛のためって面もあったから」

「日本じゃ考えらえれないわね……」

「まあ私の父さんが軍人だってことも関係してたのかも。当然と言っちゃ当然だけど、銃の扱いに関しては町で一番上手かったからね」

「へえ、お父さんは軍人だったんですか」


 そこで結衣が僕を横目で睨み、自分がさらにまずいことをしたのではないかということに気づいた。今の世の中、過去のことを掘り返されたくない人はいっぱいいるだろう。ましてや家族のことなど訊かれたくない人は、僕も含めて大いに違いない。久々の文明的な食事に気が緩み、つい気になっていたことを口走ってしまったのだ。


「……すいません、余計な事を訊きました」

「なんで謝るの? 別に悪い事をしたわけじゃないし」

「……え?」


 その反応はさすがに予想外だった。てっきり僕はナオミさんが家族のことを訊かれて黙り込むか、怒るかのどちらかだと思ったのに。


「どうやら君たちは相手のことを深く訊くことをタブーみたいに感じているようだけど、それは間違っていると思うよ? もし君たちが死んだ時、誰も自分のことを知ってくれていなかったら悲しいでしょ? 自分のことをよく知ってくれているのは家族だけど、その家族は今ここにはいない。自分がどんな人間か周りの人が知らないってことは、その人はいないも同然ってこと。そんな状態で君たちが死んだら、誰も君たちがどんな人間だったのか、他の人に教えることが出来ない。君たちの存在は、他の人の心の中にすらなくなってしまうんだよ?」


 誰も僕たちがどんな人間だったか知らないまま、死ぬ……?

 一瞬ナオミさんの言っていることが理解できなかった。だけどよくよく考えてみると、その意味がわかる。僕らは皆、一人ぼっちなのだ。

 皆自分のことをよく知ってくれている親や兄弟と別れ、今こうやって生きている。僕と結衣と愛菜ちゃんは出会ってから生き延びるために一緒に行動していたけど、お互いに相手と深く関わろうとはしていなかった。友情や仲間意識こそ芽生えていたけど、本当は相手のことなどほとんど知らないのだ。


 僕がどこで生まれどのように育ち、どんな人たちに囲まれて育ったのか結衣と愛菜ちゃんは知らない。同様に、僕も彼女たちのことをほとんど知らない。どこから逃げてきたのかとかは聞いたけど、嫌な事を思い出させるかもしれないということで、それ以外のことはあまり訊こうとはしなかった。どんな友達がいたのか、好きな人はいたのか、将来は何になりたかったのか。僕は結衣や愛菜ちゃんがどんな風に生きてきたのかを知らない。


 皆は僕のことをほとんど知らない。そんな状況で僕が死んだらどうなるだろうか?

 おそらく皆は僕という人間がいた事を語り継いでくれるだろう。だけど僕がどんな人間だったかと問われたら、返事に詰まるはずだ。何せ彼女たちは自分と出会ってからの僕しか知らないんだから。

 僕の両親は既にこの世にいない。僕が自分の手で、感染者となった彼らを殺してしまった。友達も避難所で大勢殺され、生きているかどうかすら定かですらない。僕のことを知っている人間は、僕一人しかいなくなってしまったのだ。

 僕が死んだら、僕という人間を知る人間がいなくなってしまう。人は死んでも心の中で生き続けているとは映画でよく聞くフレーズだが、僕のことをよく知らない人間が、僕という存在をいつまでも心に留めておいてくれるだろうか?


 答えはノーだろう。僕だって、今まで僕の目の前で死んだ大勢の人たちについて知ることはほとんどない。可哀想と思っても、故人のことをもっと知ろうという気にはならない。他人の死を悼むには、死者は多すぎる。

 僕という人間が死んだら、誰かが僕のことを調べて僕がどんな人間だったか覚えておこうとしてくれるだろうか? 答えはこれまたノーだ。たとえ僕の死体を見つけたところでそれは既に背景の一部、道端に転がる石ころと同じ。石ころに関心を向ける人はいない……。


 そこまで考えたところで恐ろしくなった。自分を知る人はなく、自分に関心を向けてくれる人もいない。いつまでも僕を覚えてくれる人がいないのなら、僕の存在は無に帰すのではないか?

 これが一年前だったら話は別だ。僕たちは故人を悼み、墓を作ったり遺影を掲げてその人のことを忘れないようにしていた。誰かが覚えていてくれる限り、その人は本当に死んだことにはならないというセリフはドラマや映画で何十回と聞いたことがあるだろう。だけどそれは、誰も死者のことを覚えていなかったら、死者は本当に無の存在となってしまうのだ。

 僕はそれが恐ろしかった。誰も僕のことを覚えていてくれない。僕が死んでも誰も弔うこともせず、死体はゴミのように処理される。自分という存在が無に帰すということを、僕は今まで深く考えていなかった。


「だから、さ。もっとお互いのことを知り合おうよ? 私は君たちのことを信頼しているけど、これから一緒に行動する以上、もっと相手のことを知っておきたいじゃん? ……それにさ」


 ナオミさんの顔が暗くなり、声のトーンも下がる。


「もし自分たちの誰かが死んでも、相手のことを知っていれば、家族や親しい人にその死を告げられるでしょう? 私は自分が死んだら、家族や親しい人にその死を悼んでほしい。少なくとも、一緒にいた人たちには私という人間が確かに生きていたことを覚えていてほしいと思ってる。そうすれば私は誰かの心の中で生きていられるから」


 いつの間にか皆黙り込んでいた。行方不明の自分たちの家族を思い出したのか、結衣と愛菜ちゃんの目には涙が光っている。だけど僕は知っている、僕の家族は一足先にあの世へ旅立ってしまったことを。

 そして何より、愛菜ちゃんがまだ生きていると確信している彼女の家族は、僕が一人残さず撲殺してしまったことを。

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