第十八話 武器よさらばなお話

 今まで戦い徹し、逃げ徹しだった僕らの生活も、マンションという要塞を得て一時の安らぎを得ることが出来た。マンションの最上階で暮らしていれば感染者からは見つからないし、音を出しても気づかれない。今までのように息を潜め、夜中も耳を澄ませていなければならない生活が嘘のようだ。


 それに加え、食料の貯蔵が充分にあるというのもありがたかった。結依と愛菜ちゃんを加えてからの生活では、人数が増えた分発見される確率も高まったせいで、どこか一か所に拠点を設けて暮らすことが困難になっていた。そのせいで僕たちは常に移動し続ける羽目になり、必然的に持てる物資の量も制限されてしまっていた。これがハイキングか何かだったらギリギリまで荷物を持てたのだが、生憎僕らの背後からは感染者たちがオリンピック選手のような速さで迫ってくる。逃げる時に身軽でいるためにもあまり多くの物資は持てず、そのため行く先々で食糧を調達しなければならなかった。


 しかしナオミさんが大量の食糧を保存していたおかげで、一々感染者に見つかる可能性に怯えながら、誰か潜んでいるかもしれないコンビニに踏み込まずに済むようになった。このままずっとこのマンションで暮らしていたいくらいだったが、現実はそう上手くはいかないものだ。夏になり気温がぐんぐん上がっていく一方で、相変わらず雨は降らない。屋上に置いてあるバケツは未だに空のままなのに、水だけがどんどん減っていっている。


 ナオミさんが機転を利かせて雨が降っている間に大量の水を集めておいてくれたらしいが、それもギリギリまで使用を控えなければならなくなった。風呂なんで夢のまた夢、熱湯に浸したタオルで身体を拭くくらいのことしかできない。トイレの回数も制限されている今、さっさと雨が降ってくれないと僕らは文字通り干上がってしまうだろう。


 水が得られない以上、要塞のようなこのマンションに立てこもっていてもいずれは干からびて死んでしまう。そうならないためにはマンションのすぐ近くを流れる川から水を汲んで来るか、あるいは水も物資もまだ豊富に残っているどこかの町へ脱出しなければならない。前者は感染者たちの目の前を突っ切って川に行き、ほんの少しの水を汲んで再び感染者の群れを突破するという自殺行為。後者は安全な拠点を捨て、どこがどうなっていて、どれくらい感染者がいるのかすら把握できない未知の場所エリアへ行く危険な脱出行だ。


 無論、このまま雨が降るのを待つという手もある。だが空を見上げてボーっとし続け、物資を使い果たして死ぬ羽目に陥るわけにはいかないと、僕らはこのマンションから脱出する方向で話をまとめていた。たとえ雨が降ったとしても再び渇水の恐怖に怯えなければならないし、マンションの近くのコンビニやスーパーは漁りつくし、食料はもう残っていないとナオミさんは言っていた。どのみち、いずれはここを去らなければならない。


 マンションから脱出するという話は決まり、そのためのやるべきことが書かれている行程表も作られた。だが、僕だけ表の部分が真っ白のままだった。

 怪我をした腕は四日が経過した今も動かすことが出来なかった。当然と言えば当然だが、未だに腕の傷すら塞がっていない。そのせいで僕はこの四日間、やる事と言えば寝るか食べるか音楽を聴くか、あるいはどうにか右手を使わないようにして本を読むくらいのことしかできなかった。結衣と愛菜ちゃんは脱出に向けてそれぞれナオミさんの手伝いをしている中、自分ひとりだけ楽をしているように感じてしまう。


『アンタは今までアタシたちのために充分働いたんだから、しばらく休んでなさい』

『そうですよ、怪我人は大人しくしていてください』


 結衣と愛菜ちゃんからはそう言われたものの、やはり自分だけ働いていないことが申し訳なく思えてしまう。確かに自分でも今まで働き過ぎたとは思うし、もっとゆっくりすべきだということは理解しているものの、この数か月間生きるために動き続けてきたのだ。何だか落ち着いていられない。

 だが怪我人の僕が無理に働いたところで足手まといにしかならないだろう。そういうわけで、僕は今日も大人しく、マンションの一室でゆったりとしたソファーに横たわり小説を読んでいた。終末戦争後のモスクワを舞台にしたロシアの小説で、ナオミさんが暇つぶしの為か集めてあった本の山から見つけ出したものだ。最初はパラパラめくって読んでいた僕だったが、次第にその小説にのめり込んでいた。


「夕食だよー」


 ナオミさんの声と共に部屋のドアが開き、窓の外を見て既に夕方であることに気づく。本を読んでいると時間が早く経つように感じるものだ。感染者から隠れて過ごす夜はとても長く感じたのに、人間何事も気の持ちようなのだろう。

 ナオミさんに続き、結衣と愛菜ちゃんも部屋に入ってくる。食事は全員で行うことがいつの間にかルールになってしまっていた。万一の際それぞれバラバラだと危険だというのもあるが、やはりナオミさんも一人の食事は寂しかったのだろう。いくらおいしい料理でも、一人で食べるのは味気ない。もっとも、美味い食事なんてものはここにはないが。


 部屋に入ってきたナオミさんを見て、思わず絶句する。厚いせいか上はタンクトップ一枚という露出の多い恰好で、そのマーベラスな体型が露わになっていることもその一因だが、何よりその身体があちこち鮮血に染まっていたのだ。まさか感染者に襲われたのかと尋ねた僕に、ナオミさんは笑って答えた。


「違うよ、これを仕留めてたんだよ」


 そう言って彼女が持ち上げたのは、足を縛られ逆さに吊るされているカラスやハトといった数羽の鳥だった。どれも首は変な方向に折れ曲がり、ピクリとも動かない。よくよく目を凝らせば、鳥たちの頭は文字通り皮一枚で繋がっていて、ナオミさんが動くたびに頭は左右に揺れていた。


「……なんですかそれ」

「何って、鳥だけど?」

「いや、それは見てわかるんですが、それどうしたんです?」

「どうしたって、狩ってきたに決まってるじゃない」


 そう言ってナオミさんが身体を揺すると、彼女が肩から吊っていたクロスボウがかすかな金属音を立てた。ライフル銃と弓矢を組み合わせたような外観のクロスボウは銃刀法には抵触せず、日本でもスポーツショップや通販サイトなどで普通に売っているものらしい。ナオミさんが所持しているそれも、このマンションを探索した時に見つけたものだそうだ。元の所有者が何の目的で所持していたのかはわからないが、クロスボウは今の僕たちにとって唯一の飛び道具である。

 最後尾の愛菜ちゃんが抱えるバケツの中には、赤々とした肉の塊がいくつか転がっていた。どうやら既に鳥を何羽か解体したらしい。


「大丈夫なんですか? カラスとかハトとか、感染者の死骸を食ってウイルスを体内に持ってそうな気が……」

「大丈夫大丈夫、ヘーキヘーキ。私ももう随分野生の鳥とか食べてるけど、この通り正常なままだから。多分ウイルスは感染者から人間の体内にダイレクトに入ると発症するんだと思う、だから感染者を食ったカラスをわたしたちが食べても平気だよ」


 今まで死体を貪る野犬や野良猫を見た事は何度もあったが、動物が感染者のようになったのは見た事が無い。テレビではウイルスは人間にしか感染しないと言っていたので動物は感染しないのだろうが、問題はそっちではない。人間の死体を食ったかもしれないカラスを僕らが食べるのはどうかということだ。

 まあこのご時世、食べられるものは何でも食べるしかない。好き嫌いを言えたのは数か月前まで、今はそれこそ草の根を齧っても生き延びなければならないのだ。感染の危険性が無いのなら、カラスだろうとハトだろうとスズメだろうと食うしかない。

 そう言えば船が沈没すると、次の年に蟹が大漁になるという話を聞いたことがある。その話を思い出してしまい、僕は憂鬱になった。


 ナオミさんが屋上に戻り仕留めた獲物を解体している間に、結衣と愛菜ちゃんが夕食の準備を進める。僕も手伝いたいところだが、利き手が使えない状況では何の役にも立たない。それに大量に血を失った影響がまだ残っているのか、時々立ちくらみがする。仕方なく僕は、部屋で料理を作る二人の姿を眺めていることにした。


 新鮮な食材はナオミさんが仕留めた鶏肉しかなく、必然的に夕食は今までのように缶詰や保存食が中心となった。愛菜ちゃんがキャンプで使うプラスチックの皿にタクアンやサバの缶詰を開けている間に、結衣がカセットボンベを使うガスコンロに点火し、串に刺した鶏肉を焼き始めた。室内に肉の焼ける香ばしいに香りが広がり、不覚にも僕は泣きそうになってしまった。


 日本で感染者が発生してから、焼き肉なんて食べていない。肉が焼ける臭いは意外と遠くまで広がるし、夜だと火を点けたらそれだけで感染者に発見されかねない。そんなわけで食事と言えば缶詰か、時々ご飯を炊いて食べるだけ。肉はしょっぱいスパム缶ばかりしか食べていなかった。

 まだ平和な頃、家族でキャンプに行った時、バーベキューをしたことを思い出した。あの時テントの周りに漂っていたのもこんな香りだった。だけどいくら僕が過去を懐かしもうとも、それらの日々は帰ってこない。そして父さんと母さんを僕がこの手で殺した今、再び家族皆でキャンプに行く事もない。


 誰かがすすり泣く声で我に返ると、愛菜ちゃんが両手で顔を押さえ、声を押し殺して泣いていた。肉を焼く結衣も目が真っ赤になっているが、それは煙のせいだけではないのだろう。どうやら二人も、僕と同じようなことを感じたらしい。


「……泣いてるの、結衣?」

「ちっ、違っ! 泣いてなんかないわよ、これは煙が目に染みただけ!」


 そう言い張ったが、僕はどうしても結衣が泣くのを堪えているようにしか見えなかった。そういえば、今まで結衣が泣いたところを見た事がないような気がする。単に僕が忘れてしまっているだけなのかもしれないけど、結衣が普通の女の子のように泣く場面を想像できない性格の子であることも一因だった。


 リーダーになって誰かの命に責任を持つのはごめんだ。だけど、女の子たちが泣くのを僕は見たくない。

 だから僕はもっと強くならなきゃいけないんだ。病人のようにいつまでもベッドに横たわっているわけにはいかない。さっさと元気になってもっと強くなり、そして全員で生き延びる。

 そのためにはやっぱり、武器が必要だ。あるいはこの行き詰った状況を変える力を持つ何かが。そのどちらでもいい、今の僕には力が必要だ。



 武器が欲しい。痛切にそう感じた。とりあえず工具でいいから、プラズマカッターくらいどこかに落ちていないだろうか?

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