第一七話 救いはないお話

 自分たちが置かれている状況は理解できたものの、僕に出来ることはほとんどない。利き手は動かすだけで焼けるような激痛が走るし、そもそも出血のせいで少し動いただけで息切れと眩暈を起こしてしまうのだ。ナオミさんだけでなく結衣や愛菜ちゃんにも休んでいていいと言われた僕は、大人しく元いた部屋に引っ込むことにした。


 とはいっても、何だか落ち着かない。何せここ数週間、皆を生き延びさせることだけを考えて行動してきたのだ。寝ても覚めてもそればかり考えていたせいで、いきなり何もしなくてよいと言われた僕はやる事がなくなってしまった。世界が変わってしまってからこうやって暇を持て余すのは、たぶん初めてだと思う。結衣と出会う前にあちこちの建物で一人引きこもって暮らしていた時は、いつ感染者が襲ってくるか気が気ではなく、常にわずかな物音にも怯えて暮らさなければならなかった。


 だが今は違う、僕には頼れる仲間が出来た。結衣や愛菜ちゃん、そしてナオミさん。特にナオミさんは強い。何せ僕が死を覚悟したほどの感染者の群れをたった一人で退けてしまったのだし、このマンションで3か月以上一人で暮らしてきたその精神力は尋常じゃないほど強い。心身ともに鍛えられている彼女は、今の僕たちにとって頼りがいのある存在だった。


「このまま、ナオミさんがリーダーになってくれないかな……」


 お世辞にも僕はリーダーに向いている人間とは言い難い。たとえそれがたった3人の小グループであってもだ。中学校の頃内申点欲しさに学級委員を務めたことがあるけど、ぶっちゃけその時クラスをまとめていたのはもう一人の方、クラス内で人気が高く、いわゆる学級カースト上位にいた女子だった。僕の言うことには誰も従ってくれず、それ以来僕は「委員」とか「長」が付く役職に就いたことはない。

 現に僕が間違った判断をしたせいで、僕だけでなく結衣や愛菜ちゃんまでも死にかけた。自分のミスで自分だけが死ぬならまだいい、だけど他人を巻き込むのだけは何としても避けたい。僕は誰かの命を背負えるほど、器の大きい人間ではない。


 その点ナオミさんは明らかにリーダーに向いている。退役軍人に訓練を受けただけあってその戦闘能力は高く、さらにどんなに過酷な状況でも明るさを失っていない。自分を危険に曝してでも他人を救うだけの勇気と、数か月間一人でいても頭がおかしくならない精神の強さを持っている。テンプレ的なアメリカ人といったところだが、今まさに必要とされるのはナオミさんみたいな人たちだろう。


 絶望という暗闇の中では、人々は希望という灯りを求めて彷徨う。ナオミさんこそがその希望の光だ。ナオミさんが車のヘッドライトなら、僕はせいぜい豆電球くらいの明るさしか持っていない。この絶望に満ちた世界では、とても頼りになりそうにない人間だ。だけどナオミさんがリーダーを務めれば、僕たちが生き延びる確率は格段に上がるだろう。


 だがそれは、僕が責任を放棄したいがための言い訳に過ぎないのかもしれない。はっきり言って、僕はすっかり疲れ切っていた。一人だった時は孤独だったけど楽だった。だけど結衣や愛菜ちゃんと出会ってからは寂しさは消えたけど、その代わりに彼らの命に対して責任を負わなければならなかった。まだ20歳にもなっていない、数か月前にはまだ高校生でしかなかった僕が、二人分の命を背負えるような人間とでも?

 だから僕は自分よりも大人であるナオミさんにリーダーを務めてもらい、さっさとこの肩の重荷を降ろしたいのだ。



 考えれば考えるほど、無責任な人間になり楽になろうとしている自分が嫌になりそうだった。気分を変えようと部屋の中を見回し、何か面白そうなものはないか探した。僕が無人のマンションで見つけた音楽プレーヤーは、橋の前に捨ててきてしまったリュックの中にある。あれはこういう時にこそ役立つものだったのに。

 リビングの真っ白な壁には、北アメリカ大陸の大きな地図が張られていた。地図の大半を埋め尽くすように赤いピンが張られ、英語で書かれたメモが留められている。ナオミさんがこの地図を作ったのだろうか?


 さらにその下のテレビ台には、新聞が何日分も積み重ねてあった。何の気なしに一番上の一部を手に取る。世界的に有名なアメリカの新聞の日本語版だ。発行日は、日本で最初の感染者が発生する前日。

 一面を見ると、やはり紙面は新型感染症のことで埋め尽くされていた。どこそこで感染者が発生した、暴動が発生している、連絡が途絶……アメリカ各地から入ってくる絶望的なニュースで埋め尽くされている。編集する時間も人手も足らなかったのか新聞はページがかなり少なく、一面以外は空白ばかりだった。


 感染者の群れに砲撃を行う戦車の写真が載っている。アメリカは水際での感染者での発生を食い止めようと国境の封鎖や領空に侵入した他国の旅客機を撃墜するなどかなりの強硬手段を採っていたらしいが、最終的には感染者の上陸を許してしまった。世界最強と言われる米軍がかなり健闘し、被害は他国と比べて最小限に抑えられているとラジオでは言っていたが、アメリカの人口は3億人以上いるのだ。単純計算で、感染者は日本の3倍かそれ以上。


 だがアメリカはまだいい、銃を始めとした強力な武器があちこちに溢れている。だけど日本にはそれがない。僕が手に入れられるのはバットやバールなどの鈍器くらい。銃なんてよっぽど運がよくなければ転がっていないだろう。それに銃があったところで、僕に使いこなせる自信が無い。

 もっと強力な武器があれば、もっと楽に生活できるのに。感染者に追われても撃退し、遠くから安全に奴らを仕留められる武器があれば、昨日のように死にかける羽目にならずに済む。


何より、一人で生きていくことが出来る。そうすれば誰にも迷惑をかけなくて済むし、誰かの命に対して責任を負わなくてもよくなる。

 武器さえあれば……。

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