第146話

「ねえ、きみの名前はなんていうのかな?」


 返事はない。


 双弥は走る馬車の中、少女たちひとりひとりの正面でしゃがみ、顔をじっと見ながら声をかけることから始めた。

 一通り廻ったところで再び声をかける。今度は少女の手を掴みながら。


 反応がない少女たちに、双弥は泣きそうになったが、ある少女の手を掴んだとき、微かにピクンという反応を感じた。

 それは脊髄反射なのだろうか。ラザロ徴候ではないはずだ。生きていて反応を起こしているのだから、これをきっかけに意識が戻るかもしれないと感じる。

 まずはこの子からだ。ターゲットは決まった。ここから始めていこうと双弥は思った。


「ぼくは双弥お兄さんだよ。きみは誰かなあ?」


 手を握りつつ顔を見つめながら問う。だがやはり変化はない。

 そこで双弥は心の中でごめんと強く念じながら、少女の太ももを軽く掴む。すると少女の足は閉じようとするようにきゅっと閉まる。


 (ああ、なんか懐かしいな)


 双弥は少し昔のことを思い出した。


 出会ったときのエイカはこんな感じだった。話し掛けても返事はない。触れてもこれといった反応はない。感情もない……ように見えた。

 正しく言えば感情はあった。なにせエイカはお屋敷で保護されるよりも、双弥と旅をするほうを選んだのだから。


 だからこの少女たちにも必ず感情はある。双弥にはそれがわかっていた。となると答えは決まっている。





「お兄さん、遅いなぁ」


 エイカは現在、暇を持て余していた。双弥が仕事で出かけてから1週間を過ぎている。しかもいつ帰るかもわからぬのだから愚痴のひとつでも出よう。


「エイカ、いるか!?」

「あっ、お兄さん!」


 突然の双弥の帰宅にエイカは驚く。しかも自分をご指名だ。エイカは驚きつつも顔が緩む。


「よしいるな。ちょっと来てくれ!」

「えっ!?」


 双弥はエイカを見つけるや否や、腕を掴み連れ去っていく。



 エイカを連れて行ったのは、貴族たちが住む高級な屋敷が並ぶ一帯だった。そのうちのひとつに双弥は入り込む。エイカはそれに恐る恐るついて行くしかできなかった。


「お、お兄さん。ここ、誰のお屋敷?」

「ん? ああ、買った」

「かっ……」


 普通に考えて、一般庶民が買えるような屋敷ではない。だが双弥はこの程度何軒も買えるだけの金を持っている。そしてここへ家を買い、エイカを呼び込む。それはつまり愛の巣。

 エイカはドキドキした。双弥と2人だけの家、2人だけの生活。そして2人だけの夜……。




「────えーっと、お兄さん。これは……」

「ああ、エイカに手伝ってもらおうと思ってさ」


 そこにいたのはなんの反応も示さない、目の死んだ少女たち。エイカが目の前を通っても全く見えていないような感じだ。


 いや、エイカには気付いていた。彼女たちはなんの反応もしていないように見えて、双弥へ視線を向けていることを。


「この子たちは奴隷として売られそうになったところを救われたんだ。でも完全に心を砕かれててさ。エイカになら手伝ってもらえるかなーって」


 なんの気なしに双弥は言うが、エイカの心は溶鉱炉よりも煮え立っていた。

 これは相当まずい。これがどういうことかというと、エイカを量産しているに等しいのだ。


 双弥は彼女らに尽くすだろう。すると生まれる恋心。それは意識を取り戻しても……いや、意識を取り戻すとより濃いものになるということをエイカは知っている。

 つまり彼女らはエイカのライバルであり、双弥ハーレムの一員として育つことになるのだ。

 もちろん双弥にそんな気はない。だが思っていないことが起こらないとは限らないし、むしろ想定外のことのほうが世の中には多い。


「お兄さん。えっと、こういうのは良くないよ!」

「エイカもわかってるだろ。こういう子たちは放置しちゃいけない。じっくりと時間をかけて接しないといけないんだ」

「それは……わかってるけど……」


 エイカにとって双弥は、強くやさしくかっこいい大好きなお兄さんなのだ。

 では今のこれはなにかと言えば、やさしいお兄さんを行っている場面だ。そこにエイカは異論を持たない。というよりもそういうのが好きなのだから。

 しかしそれは同時に、彼女らも双弥のやさしさを感じているところでもある。きっと今ごろ無意識の恋心がぐんぐん育っているはずだろう。


「ねえお兄さん。もしこの子たちの意識が戻ったらどうするの?」

「んー……、そんときゃあ本人に任せ──」

「ダメ!」


 双弥の考えをエイカはすぐさま否定する。エイカはわかっているのだ。彼女らは絶対にこのままここで暮らすことを選択すると。

 そして双弥もそれでいいと言うに決まっている。

 すると自己主張の強い子は双弥を誘惑しようとし始めるだろう。エイカは恋愛に関して強く踏み込めない子だから負ける可能性がある。

 ならばそうならぬよう、早めに芽を摘んだほうがいい。だからこその否定だ。


「でもなぁ」

「ティロル公団の施設なら勉強も教えてくれるらしいし、就職に有利な技術も教えてくれるそうだよ。この子たちの将来を考えたら絶対そっちのほうがいいよ!」


 この屋敷にも限界はある。いつまでも詰め込んでいったらそこは少女屋敷になってしまう。それはそれでいいものだが、入れた分出すことも考えねばならない。

 エイカは守らねばならないのだ。この屋敷を。もちろん双弥と2人だけの愛の巣として。


「うーん……。でもまあそうだよなぁ」

「そうだよ! それでみんな幸せになれるって!」


 エイカさん必死である。リリパール不在の今、リードを伸ばすのは自分だけでいいのだ。


「そこまで言うんだからきっと…………おっと誰か来たみたいだ。ちょっと待っててくれ」


 話の途中、ドアを激しく叩く音が聞こえ、双弥は玄関まで行く。怪しいと感じ、その後をエイカはこっそりとついていった。



「よぉー双弥! 元気そうじゃねえか!」

「ジーク! わざわざ悪かったな!」


 そこにいたのは元魔王のひとり、ジークフリートであった。そして背後には大きな箱が積まれている。


「やーやー、そこは兄弟の頼みだしな!」


 ジークフリートは双弥からの連絡を受け、ひとっ飛びしてきたようだ。ちなみに双弥は鷲峰に頼み連絡をしてもらっていた。


「お兄さん、その荷物なに?」


 エイカの言葉に双弥とジークフリートはぎくりとする。そして油を含んだ嫌な汗を滲ませる。


「こ、ここここれはだな、生活必需品だ!」

「そそそそうさ、お嬢さん。これは重要なものなんだ!」


 2人で声を震わせる。怪しげな目でエイカはそれぞれを見る。双弥はそっぽを向き口笛を吹き、ジークフリートは早々に逃げ出そうとしていた。


「開けていい?」

「だ、駄目だエイカ!」

「そうだぞ! 開けたら爆発するんだ!」


 開けたら爆発する生活必需品とは一体なんなのか。エイカはそんな言葉を無視し、バリバリと箱を開け始めた。そしてそこにあったものこそ、エイカの戦友であり永遠のライバルであった。



 GOTH-LOLI


 そう、ゴスロリだ。もちろん白ロリと甘ロリもそこにはある。


「……お兄さん、これは一体どういうこと?」

「ここここれはあれだ! 服だ服! 生活に必要だろ!」

「……なんでこれなの?」

「そそそそれはあれだ! ジークに服を頼んだらこれだったんだ!」

「ヴァス!?」


 双弥はジークフリートを売った。エイカの冷たい視線がジークフリートを貫く。


「ああああれだこれはその、在庫不良だったからだよ!」


 エイカもわざわざ買えとは言えないだろう。在庫不良のものがあるのなら、それを使うのになんの問題があるのか。

 どちらにせよエイカがこの屋敷で手伝いをすると決めればいずれはバレる事態であり、早めに処理できてよかったと言える。


「……それなら仕方ないね。じゃあ早速着替えさせてあげないと」

「そ、そうだな。んじゃ……」

「もちろん私が手伝うんだから、お兄さんたちは入ってこないでよ」


 当然の話だ。少女の着替えを手伝うなんて不届きどころではない。完全に事案だ。


 だがここでへこたれる双弥ではない。この子は黒で、この子はピンク、などと注文を付けている。エイカは呆れているが、双弥の注文通りでないと服のサイズが合わないことがわかり、渋々従う。




 そしてエイカが着せ替えに悪戦苦闘すること40分。8人の少女の着替えが終わる。

 と同時に双弥とジークフリートがなだれ込む。


「ひゅひょほほほほぉぉぉ!」


 そこにいるのは双弥ではなく、ただの奇人であった。


「ヴァーンジン! ヴァーンジン!」


 謎の声を上げてジークフリートは柱に頭突きを何度も繰り返す。完全に狂っている。

 だがそれも仕方のないことだろう。なにせ彼らは今、人類の至宝ともいえるゴスロリ御殿にいるのだから。


「ダメだよお兄さん!」


 ゴスロリ少女たちに近寄ろうとする双弥をエイカは止める。少女は眺愛ながめで触れぬこと。これがティロル公団の鉄の掟だ。

 しかし双弥は鉄の掟を金と力でどうにかしているのだ。


 それに双弥はエイカを元に戻したという実績がある。それにやはり幼い子供には大人の温もりが必要ではないかという議論も常々行われている。だからこれはテストケースであり、双弥はティロル公団における闇の実行部隊であると言える。

 もちろんただ放置しているわけではなく、子育て経験のある女性のみを雇い保母さんのようなことをさせている。しかしこういった特殊な子供の扱いは慣れていないというのが現状なため、どうしたらいいのか模索しているのだ。

 実験といえば聞こえは悪いが、ただ衰弱させていくよりも愛情をかけてあげたほうがいい。という言い訳を双弥は熱く語り公団を口説き落とした。



「おい双弥、手伝いに来てやった……げっ」

「あっ」


 鷲峰はエイカを見た途端驚き、手に持っていた袋を落とす。そこから出てきたのは、様々な色の丸まった小さな布だった。

 エイカはそれを拾い広げる。それは長めの靴下、つまりニーソであった。


「……鷲峰さんまで?」

「ち、違う! これは違うんだ! これはその、双弥から頼まれて……」


「ああ、迅がニーソ屋を開くって聞いたから、この子らに履かせてあげようと思ったんだ」

「貴様……っ」


 双弥と鷲峰の醜い擦り付け合いが始まる。そのやりとりを冷たい目で見ているエイカが表情を崩さぬまま口を開く。


「チャーチさんは知ってるの?」

「チャ、チャーチとは関係ないだろ!」

「……今度聞いてみるよ」


 鷲峰の弱点はチャーチストだ。この名前を出せば大抵負ける。




 そして3人は屋敷の廊下で正座させられていた。正面には腕を組んで仁王立ちしているエイカ。


「ええっと、ジークフリートさん。どういうことなんですか?」

「ど、どうってだからよ、在庫不良で……」


 じろりと凍てつく視線をジークフリートへ向けるエイカ。あまりの冷たさに心臓が凍る寸前まで追い込まれる。


「すんませんっした! ゴスロリ御殿、夢だったんす!」


 ジークフリートは土下座した。エイカはもう既にそれへ興味を持たぬように鷲峰へ視線を移す。


「鷲峰さん、何か言うことは?」

「くっ……。これは双弥が……」

「鷲峰さんはお兄さんに言われてほいほい言うことを聞く人じゃないよね?」


 どちらかといえば鷲峰は、双弥の提案を否定する側の男だ。それなのに何故だ。


「……チャーチが、着てくれないんだ……」


 鷲峰は素直に吐いた。チャーチストはゴスロリに嫌な思い出があるため、有事でもない限り着ようとしない。完全に鷲峰が悪い。


 そしていよいよ双弥の番だ。エイカは一瞬悲しそうな顔をするが、また先ほどまでの冷たい目を向ける。


「お兄さん。わかってるよね」

「えっ……、いや、俺はエイカにならわかってもらえると思ってたんだけど」

「なにを?」



 双弥は語った。それはエイカと出会ったときの話だ。

 魔物に襲われ、生まれ育った町を失い、それどころか両親も失った。母親は自分を守るため犠牲になっていたのだ。

 その恐怖が極限を越え、まるでブレーカーが落ちるように意識を遮断していたエイカ。双弥はそんな少女を放っておくことができなかった。

 だからこそ、同じような状態の少女たちに、こういう場を作り自分が戻ってくるまで見ていてやりたいと。


「そ、それはわかってるけどさ……」

「わかってるんだろ。この子たちは昔のエイカなんだ。あのとき俺はエイカを見捨てるつもりはなかったし、これからもそうする。それが俺だろ? 違うか?」

「そ、そうだよね。お兄さんはそういう人だよ」

「だろ? だからエイカと一緒にいるのとこの子たちと一緒にいるのに違いはないんだ。昔も今も、エイカは俺にとって大切なんだから」

「うん、うんっ。……私はお兄さんにとって大切なんだ……」


 激チョロ娘エイカは、こうやって双弥の口車に乗せられる。ここにいる少女たちは昔のエイカというだけで、決してエイカではない。騙されている。

 エイカは強くなったといっても所詮お子様であったということだ。



 しかしこのとき双弥はまだ気付いていない。彼に忍び寄るチョロインBの存在に。

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