第62話
「やはり海はいいですね……」
客船のデッキに立ち、リリパールは物憂げな顔で海を眺めている。
キルミットは周囲を他国に囲まれており、海はほんの一部しかないのだ。リリパールも片手で数えられるほどしか見たことがない。
遠くを見つめるリリパールの横顔に、双弥は少しドキッとする。そもそもが美しい少女である。見とれてしまっても不思議ではないのだ。
2人きりでこの状況が続くとロマンチックに心が支配されてしまう。双弥は話題を変えようとしてみた。
「リリパールは船酔いしないのか?」
「ええ。これだけ大きな船であれば波の影響も少ないですし、何より普段から馬車で鍛えられてますから」
と微笑む。
しかしリリパールは甘く見ていた。馬車によるぶつかったような衝撃と、波のうねりによる三半規管を狂わせる酔いでは全く異なることを。
「まあ辛くなったらやばくなる前に部屋で寝たほうがいいよ」
「ええ。私はもう少し潮の香りを楽しんでいます」
「それさ、水生生物の死骸の臭いらしいよ」
日干しした布団のようなものだ。
リリパールは無言でそそくさと部屋へ戻ってしまった。こういうときに現実を教えてはならない。
だがこれでロマンスから解放された。
デッキに誰もいなくなったのを確認した双弥は、上着を脱いでごろんと寝転がった。
1階フロアのデッキと違い客用の展望デッキなため、船員もいない。大の字になって寝ていても文句を言う人はいない。
大型船特有の鈍い揺れと、波の音。潮風にさらされながら太陽を浴びる。双弥はブルジョアジーな気分に浸っていた。
思えば1人でのんびりできる時間なんて本当に久々である。
移動は馬車のため、常にエイカやリリパール、そしてアルピナがいた。
宿は他が皆女性なため1人部屋だったが、大抵稽古後の疲れで寝てしまっていた。
前回の船は展望デッキなど付いておらず騒がしかったものだ。
船に揺られ心を落ち着かせる。贅沢なものだ。
将来はクルーザーみたいなものが欲しいな、などと考えている。
しかしそもそもこの世界には帆船か手漕ぎしかないため無理であるし、地球だとあまりにも金がかかりすぎるためこれもまた無理な話だ。
それでも双弥は自家用クルーザーを購入し、海へ出ている妄想を満喫している。実に幸せな男だ。
「かなぁーしぃーみのぉー、むこーおーへとー」
思わず口遊む。
だがいまいち選曲が悪かったのか、だんだん気分が陰鬱になってきてすごすごと部屋へ戻っていった。
それにしてもやることがない。このままでは馬車の二の舞いになってしまう。
とりあえずできることといえばエイカと稽古をすることだろう。
これで夜の稽古までできればいくらでも時間が潰せるのだが、さすがにそんなことをしてしまったら全てが終わってしまう。歯止めがきかない的な意味で。
あとそれ以上のことを考えてはいけない。余計なものが元気になってしまうから。
双弥は棍を持ち、エイカの部屋へと向かった。
「エイカ、いるか?」
「うんー」
「入ってもいいかな」
「大丈夫だよー」
双弥は扉を開け、中に入った。
部屋の構造はもちろん双弥と一緒だ。違いといえばアルピナ用の大きなクッションがあるくらいか。
上で丸くなっているアルピナをそっと撫でようとしたら、突然飛び起き四つ足状態で威嚇された。
「おいどうしたんだアルピナ」
「双弥嫌いきゃ! あっちいってきゃ!」
かなり警戒されている。嫌われてしまったようだ。
これには双弥、相当なショックを受けている。部屋の隅で体育座りをしてしまった。
「どうしたの? アルピナ」
双弥に代わってエイカがアルピナに質問した。
「双弥がアタシの服無理やり脱がしたのきゃ!」
エイカは無言で双弥の頭を棍で殴った。
…………反応がない。ただの屍のようだ。
アルピナに嫌われたのがショックを通り越し、廃人になってしまったようだ。
エイカは双弥を蹴る。すると横に倒れる。
更に蹴る。すると転がる。
そうやってどんどん転がし、部屋の外へ出し、双弥は廊下の隅に転がされた。
1時間ほどして部屋から出たリリパールが発見するまで、双弥はそのままでいた。
「何かあったのですか?」
反応のない双弥を不審に思い、リリパールがエイカの部屋に行き経緯を尋ねた。
が、エイカも大変なことになっていた。部屋の隅で泣いているのだ。
外に転がっていた双弥。そして泣いているエイカ。2人の間で何かがあったのは間違いない。これはかなりの異常事態だ。
「エイカさん。どうしたのです?」
「…………私ね、お兄さんのこと、信じてたの。絶対女の子に酷いことなんてしないって……。でも……」
泣きながらエイカがこう言っているわけだが、これではエイカが双弥に無理やり迫られたように聞こえる。
そしてリリパールは予想通り勘違いしてしまい、廊下にいた双弥を泣きながら蹴りまくった。
「……いつつつつ。なんか体中がいてぇ。あれ? 俺なんでこんなところに……」
双弥が意識を取り戻すと、全身に蹴られたような痛みが走った。原因は不明である。
何故このようなところにいたのかも不明。ヒマだったから稽古をしようとエイカを誘ったところまでは覚えている。
そこで何かとてつもなく嫌なことがあった気がする。双弥は思い出せないでいた。
夢だったのかもしれない。一応聞いておいたほうがいいかとエイカの部屋まで向かった。
「エイカー、俺だ。開けていいかー?」
「来ないでよ! 変態!」
返事は罵りであった。
あまりのショックで双弥はふらふらと逆の壁へもたれかかる。
エイカはあまりお行儀のよい子ではないが、人を悪く言ったりはしない。どうしてこうなった。
双弥は慌ててリリパールの部屋へ走る。
「りりっぱさん、りりっぱさぁぁん! エイカが悪い子になっちゃったよぉぉ!」
「当然じゃこのペド野郎ぉ!」
双弥は頭を抱え床にうずくまった。
最近いい感じになってきたりりっぱさんまでもが双弥を汚い言葉で罵ってきたのだ。
「お願いしますりりっぱさぁん! 何があったかだけでも教えてくださぁい!」
それでも引き下がらず双弥は激しく扉を叩き、リリパールへ頼み込む。
「やかましいわこのレイプ魔! よりにもよってエイカさんみたいな小さい子を……! このゴミカス!」
双弥の時間は一瞬止まった。
これは一体どういうことなのか。微塵も理解できないでいる。
「し、してない! 俺は無実だ!」
「じゃあなんでエイカさんは泣いてるのかおっしゃれやあ!」
りりっぱさん完全にブチキレてます。
双弥は再びエイカのもとへ行き、頭を下げる。
「理由はわかりませんがごめんなさいエイカさん! 俺が何をしたか教えてください!」
「アルピナ言ってたもん! お兄さんが無理やり服を脱がせたって! 最っ低!」
「俺はそんなことしてねええええぇぇぇ!」
双弥の絶叫がフロア中に響いた。
結局落ち着いた2人がアルピナから詳しい事情を聞き、双弥は許されることとなった。
人心を惑わすゴスロリ。あの事件のことは全て封印すると2人は決めていたのである。
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