お題【カサブランカ】 【君の笑顔が見れるなら】 【冷やし中華】 【トリガーハッピー】
ひとりだけの特等席
――失って初めて、私は孤独の意味を知った。
季節に見合った商品の告知が店頭に並ぶように、言葉はモノに色味を付ける。「冷やし中華始めました」という言葉を見れば、一言も「夏」だと言わないのに季節の変わり目を知る……言葉とはそういったものだ。世界1のベストセラーである宗教書も「はじめに言葉があった」から始まる。曰く、「言葉は神であった」そうだ。
名前を付けられた瞬間に、モノは個になり、変えようのない事実を押し付けられることになる。
例えば「ポチ」と呼ばれた瞬間に、その犬は「ポチ」になるのだ。「ジョン」でも「タリ」でもなく、「ポチ」になる。だから――。
「アンタさ、そうやってかっこつけてるから友達できないんじゃないの?」
くすくす。くだらない同級生達の嘲笑。私が顔を上げる間でもなく、私が一人図書室で過ごす時間を親切にも構いに来てくださったのだろう。ぶ厚い本を閉じ、カバンに放り込みながら立ち上がる。
「もうちょっと愛想よくしたら? アンタは必要じゃないかもしれないけどさ」
小さな親切。そう返すのも、角が立つ。私は黙ってカバンを背負い、ずれた眼鏡を押し上げてその場を離れることを選んだ。
「小学校から変わんないね、ユウ」
……背中越しに聞こえる、笑い声。私は、昔からそうらしかった。
幼いころに彼女達が私に貼ったレッテルの名前は、「孤独」。その張り紙に、私は孤独という言葉の意味を識った。濡れた服のようなその名札は、身に付けているだけで私を「孤独」にした。それは「かわいそう」なのだと、後に知った。親切にも、孤独を教えてくれた彼女達がもう一度貼りに来てくれたのだ。
一人で本の世界を楽しむのは
友人を作らず、遊びに出ないのは
TVの話題や、雑誌の漫画を話せないのは
「カワイソウ」で
「サミシイ子」のだと。
だから、私の特等席は学校の外にあった。学校の裏山、小さな神社の裏手の崖。大きなユリの花が咲いている、剥き出しの崖の上。誰にも気づかれない、特等席。私と同じ、「孤独」という形容詞が似合う場所。
私は、今日もそこに向かうのだ。そこに行けば、私は他人に張り付けられた名前に"同情"なんてされなくて済む――。
「……あ、えっと……?」
……目が、合った。私の特等席、草むらの先にある足場の悪い崖。そこに、先客がいた。よりにもよって、クラスメイトの男の子。確か……。
「奇遇、だね谷本さん。俺、えっと、山原」
そう、山原。サッカー部で、お調子者で、クラスの人気者。私の反対側の人。
「知ってる」
私の特等席で、座って国語の教科書を開いている。なんだか無性に気に入らなくて、私は彼から極力距離を置いて崖の端に座った。彼は少し気まずそうだけれど、そんなこと知ったことじゃない。
「谷本さんも、ここ来るんだ?」
「そう」
「静かだし見晴らしいいもんな。俺家だと妹がうるさくって勉強が……」
返事の代わりに、借りてきた本を開く。家では彼がうるさいと思う側らしいが、今は逆だと、言外に訴えたのだ。さすがにクラスの人気者。空気を察してか、視線を教科書に戻したようだった。そのあとは会話もなかったが、暗くなったからと立ち上がったタイミングが同じだったことをきっかけに、また彼は口を開いた。
「あの、さ。女の子一人で帰るのも危ないし送ろうか?」
「大丈夫。近くだから」
「じゃあ家の前まで」
「いらない」
「なら、また明日」
つっけどんな態度にもめげず、彼は微笑んで手を振ったようだった。私は、手を振り返しもせずに視線だけ送った。
……その日を境に、不思議と彼との時間が増えた。
そっけない態度だろうに、彼は飽きもせず笑うのだ。
つまらない態度だろうに、彼は手を振り続けるのだ。
「孤独」な私に、彼は「友人」でいてくれるのだ。
自分の貼ったレッテルが、上書きされてしまうのが気に入らなかったのだろうか。
あるいは、クラスの人気者が、日陰者とつるむのが気に入らなかったのだろうか。
それとも、恋心に由来する嫉妬だったのかもしれない。
いずれにせよ、同級生達のくだらない悪戯が始まった。
靴が、カバンが、着替えが……。
……気にしていないといえば、嘘になる。ただ、表情には出なかった。
ただただ、くだらないとしか思えなかった。
同時に、山原君に対しての態度も今まで以上に冷たくした。
巻き添えにしたくなかった、といえば聞こえはいいのだろうけれど……もしかしたら怖かったのかもしれない。今までになかった名前のない感情が、自分の心臓を鷲掴みにしてくるようになったから。彼さえいなければ、私はまた「孤独」の中で揺蕩っていられるから。
……彼さえ、いなければ、私は、「私」でいられるから。
「もう来ないで」
そう告げた時の彼の顔は見れなかった。けれど、彼が立ち去った時に、私は初めて「孤独」を知った。
私は、私の特等席で、ただただ「孤独」だった。
一週間も経っただろうか。ある放課後、雨が降った。
お気に入りの傘がなくなった。
同級生達が背中で笑っていた。
カバンを雨の弾丸にかざし、身を守った。
ただ、最後の拠り所に向かった。
黄色と黒の看板が無慈悲に立ちふさがり、ただ「崖崩れにより工事中」とだけ掲げていた。
私は……私は――。
「……忘れもんだぞ」
立往生する私の背中で、声。
「……もう、来ないでって言ったのに」
「……言われた」
「もう、顔も見たくなかった」
「それは、忘れもんしたお前が悪い」
「……あなたは、私なんかに構うべきじゃないのに」
「…………濡れるぞ」
傘の開く音。雨をはじく音。足元の水たまりに映る、大好きな傘の色。
にじんでいる。雨のせいで……雨のせいで。
「忘れもん」
「……山原君、なんで私なの?」
口が滑ったのも、雨のせいだ。
「どうして、わたしなの?」
雨のせい。
「どうして、私は一人なの?」
止まらない。降り注ぐ雨が、ダムを壊す。
「なんで、一人は許されないの?」
決壊した水の奔流は、止められない。
「一人だと…………」
「……谷本」
止められない、はずだった。
「谷本」
止めたかった、はずだった。
「なぁ、谷本」
……雨のせいで、前も見えないほどに、景色がにじんでいる。
「お前は、俺がいるのに"一人"を名乗るのか?」
だから、だからなんだ。だから……。
「もう、一人じゃないだろ」
だから、山原君の顔が見れないんだ。
頭上で続いていた雨の足音は……すっと遠のいていく。徐々に、徐々に――。
――失って初めて、私は孤独の意味を知った。特等席も、「孤独」というレッテルも、孤独だった自分も。
そんな今の私の特等席は……。
「なあ、谷本」
私の背中に、彼の音が響く。
「……膝の上、そんなに好きなの?」
ちょっと照れたような声。私が大好きな、彼の声。
「ん、そうだよ。だって……」
振り向いた目線が、絡み合う。
「ここは、私の特等席だから」
私の表情を見て、彼は顔を赤くして目を伏せる。
私は、その一瞬が大好きだ。
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