第45話閑話_帝国勇者_
数十、数百年もの英華を誇る帝国エルヴンガルド。
対魔族決戦兵器、人類の担い手、希望の救い手。
様々な呼称を持つ勇者を今世代で人族間において初めて召喚に成功させた名実実績共に人族最高峰とされる国。
帝国の中心にそびえ立つ城。
その場内を、クルミのような物体を数個手の中で弄りながら闊歩する姿があった。
すれ違った騎士も文官も使用人も、その全てがその人物を見た瞬間に恐怖で顔を強張らせながら道を譲り頭を垂れる。
表情を見られることのないように、目を合わせることのないように、興味を持たれることのないように。
ただ、通り過ぎるのを待つ。
「あァ、足りィなァ。つっまんねェ」
気だるげに、つまらなそうに視界を濁しながら歩く黒髪の少年。
その開かれた道を我が物のように歩き、頭を垂れるものを視界に捉え、腐った視線を向けながら通り過ぎる。
そこには敬意も無く、親しみも無く、存在するのはただの恐怖。
帝国勇者・九図ヶ原戒能。
そこに、本来勇者に向けられる類の感情は存在しない。
これは、王国勇者が帝国へと招かれる前の物語。
――――――――――――――――――――――
帝国勇者はおかしい。
ただそれだけは帝国民の共通認識だ。
勇者としての敬意も無く、憧れも、羨望もなく、それでも縋るしかない人類は、勇者を敬わなければならない。
魔王達に滅ぼされるよりは、遥かにマシなのだから。
それでも、帝国勇者が呼ばれて約三週間が過ぎて。
その行いは、民の心を陰鬱へと貶めるには早すぎるぐらい、勇者としては最悪の部類だった。
ある勇者は、幼い少女を攫い帰らぬものにし。
ある勇者は、人を喰らう悪鬼。
ある勇者は、訓練と称し兵士を殺し。
ある勇者は。役に立たず。
そして。
「今日はどんな余興があるか楽しみだぜェ、なァ、アルカ」
「……本日は、死刑囚を水中で溺死させる様を鑑賞する余興を、ふぐぇ!?」
不意に、アルカと呼ばれた女性は黒髪の少年に胸倉を掴まれ壁へと打ち付けられる。
その衝撃で肺の空気はすべて掻き出され、言葉も途中で終わり苦し気にその表情を歪めた。
「つっまんねェよ、おい。あァ?死刑囚だァ?どうせ死ぬヤツラの死に様見て何が楽しいんだ?この前のよォ。貴族を死刑にした時くらいの出せよ、あァ?死ぬはずがないと思い込んでる馬鹿が死ぬ様を見るのが面白いんだろうがよ」
「ぐ、ぅあ……無理を言わないで、ください。もう、皇帝様に、言われて……貴族の方を対象にすると、私の首が……」
「はァん?なんだ?ここでテメエの首を飛ばしてやろうか?」
「ぐぅ……ぁ……」
首を手で押さえつけて呼吸を阻害する。
次第に、びくびくと体が痙攣しだし、アルカの瞳は虚ろなものに変わりその瞳がぐるんと白目になる寸前で。
「いっけね。本気で殺しちまうところだったぜ」
「ふッ、ぐ、げほげほッ……はぁ、はぁはぁ……」
寸前で黒髪の少年はその手を放し、アルカは地面に四つん這いになって咳き込みながら体内に空気を補充する。
「あァ、今日はオレが適当に行動すんぜ。テメエは明日の余興を考えな。くだらねェもんだったら一瞬見かけた三途の川渡らしてやるよ」
足元で苦し気に咳き込む女性にそう吐き捨て黒髪の少年――帝国勇者・九図ヶ原戒能は歩き出す。
ある勇者は、余興と称して人が死ぬ様を楽しむ。
「久々に同郷のお仲間が何やってっか見に行くかァ。アイツらも好き勝手やってんだろうからなァ」
歴代最低で最悪な5人の帝国勇者は、静かに帝国を蝕んでいく。
その力の名の下に、いずれは世界を救う力の下に、自分勝手で利己的な欲望が留まることはない。
―――――――――――――――――
九図ヶ原戒能はある一室へと赴いた。
その部屋の前には7~8歳程に見える二人の銀と金の髪色をした少女が槍を持ち門番のように立っていた。
どちらの少女も身に着けているのは、九図ヶ原戒能の世界の『魔法少女』といった出で立ちでところどころのレースやリボンの装飾のついた低学年少女向けのアニメから出てきたような恰好。
その二人を見て九図ヶ原戒能は不快感で若干顔を歪めながらも話しかける。
「おい、呂利根はいるか餓鬼共」
「承認。帝国勇者九図ヶ原戒能であることを確認」
「肯定。ご主人様はお部屋にて選定の儀にあります」
言葉を繋げるようにしながら、二人の少女は虚ろな瞳で九図ヶ原戒能に言葉を返す。
「選定の儀?なんだそりゃァ、面白そうなことヤッてんじゃねェの」
「否定。ご主人様により選定の儀の最中の入室は禁止されています」
「あァ?」
金髪の少女の槍が九図ヶ原の進行を妨げるように九図ヶ原の眼前へと差し出された瞬間、槍の穂先は消失した。
否。
その穂先は圧し折られ天井へと突き刺さり、九図ヶ原の拳が金髪の少女へと迫り。
「謝罪。危険信号を確認。個体維持の優先により、九図ヶ原戒能の要求を全面承諾。入室を許可する」
銀髪の少女の言葉により寸でのところで九図ヶ原の拳は止まる。
元より、九図ヶ原に拳を当てるつもりは無かった。ただイラついたから、その拳を脅しのように放っただけだ。
本気で放ったのなら、今頃、銀髪の少女の言葉は間に合わず金髪の少女は原型を留めてはいない筈だ。
「はッ、最初からそうすりゃァいいんだよ」
言葉を吐き捨てながら、九図ヶ原はドアノブに手を掛けて扉を開けた。
部屋に入って途端に感じたのは嫌な臭い。
九図ヶ原自身、元の世界では何度かは経験した女を襲い攫った後の行為で部屋に充満した臭い。
そして、血の臭いや死体の臭いが入り混じった臭い。
「アァ、君は俺の寵愛を受け入れられない!!なら!!この世に存在する価値はない!けぇれぇどぉ、それはかわいそうだ!せめて全てを俺に捧げてから死ぬのが良い!!アァなんて名案なんだ!!最高だ!!」
涙で乾いた跡を残しながら既に息の無い少女を組み伏せながら身体を動かす黒髪で若干パーマのかかった髪質の少年――帝国勇者呂利根福寿は叫ぶ。
室内は、積み重なる幼い少女の死体、部屋の前の二人と同じように虚ろな瞳をしながら直立不動で壁際に並べられた幼い少女。
そして、体を震えさせながら部屋の隅で涙を流しながら自分の番を待たされる数人の幼い少女。
「あァ。最低だ。オレにこっちの趣味はねェんだよ。選定の儀ってこれかよ」
選定の儀。
それは、呂利根福寿の限外能力『心無き従属者』による選定。
人を人形へと変える力。
自我を奪い、心を奪い、命を奪い、その身に自らの願望を押し付ける禁忌の力。
勇者としても人として外れた外道の能力。
全員がその能力に適合され人形になることはない。
人形化に失敗することもあり、現に今、呂利根福寿に組み伏せられてる少女も部屋の隅で振震える少女達もその失敗作だ。
呂利根はその失敗作に対して、自らの寵愛などと称して欲望をぶつけていた。
「あはははははは……ん?九図ヶ原じゃないか、レミとミルに言って入室は禁止してた筈なんだけど」
陽気に笑っていた呂利根福寿は九図ヶ原に気づき、服を羽織る。
「お願いしたらな、入れてくれたんだよなァ。いやァ、いい子達で助かったぜ」
「……壊してないよな?」
「良い子だったからなァ。これでもオレは餓鬼にゃあそこまで手は出したりはしねェよ?まあ、聞き分けが良けりゃアだがなァ」
「なんだ。君も俺と同じく幼女を愛して」
「テメエと同じにすんなやペド野郎。テメエのは度が行き過ぎてんだよ。よく捕まらなかったよなァ、日本でよ」
「ん?捕まってるよ俺は。可笑しいよな、愛を持って幼女に接したら捕まる国なんてのはさ」
「やっぱテメエはガチで危険だわ」
「おいおい、君も同じくらい危険だろ。捕まったってのは数人ぶっ殺しちゃってさ。俺と幼女の仲を引き裂こうとしたからさ、こうブスっと。産んだだけの分際でつけあがり過ぎなんだよあのブタ共」
「……いやァ、テメエを見てたら安心するわァ。オレも大概だけどよォ。世間的な害悪さはテメエには勝てねェわ」
「君にいわれたくないなぁ」
「「ぎゃははははははははははははは」」
二人同時に、悪魔のように噴き出す。
少なくとも、部屋の隅で震える少女達にとってはこの二人は悪魔以外の何物でない。
ひとしきり笑い終えた九図ヶ原は、震える少女たちを視界に入れることも無く、備え付けられたテーブルに腰かける。
「ほら。いい酒だよ。君のせいで神聖な選定の儀が中断されたんだよねぇ。何か用があるなら早く言えよな」
酒の入ったボトルをドンッ、と乱暴気味に机の上に置き、それを九図ヶ原はそのまま直に飲む。
彼等は未成年であり本来は飲酒は厳禁……だが、そんな法がこちらの世界にあるはずも無く、また、あったとしてもそれを彼らが守る必要も無く、気にせず召喚される以前からから彼らは酒を嗜んでいた。
そもそも、元の世界においても法を順守する気概を持ち合わせているような人種ではないのだが。
「あァ?用なんざねェよ。暇んなっちまてなァ。暇つぶしがてら同郷のお仲間がなにやってんのか覗きに来たんだがよォ。ったく、あんなキメェもん見せられるたァ思わなかったぜ」
「そのための入室禁止を破ったのは君だろうに」
「あァ?……テメエ、考えりゃあキモオタでしょっちゅうカツアゲされてたカスがこの九図ヶ原様と対等に口きけるようになるたァ世の中わっかんねェよなァ」
「あの頃の俺は弱かったよ。惨めでクズだったさ。けどねぇ、こんな素晴らしい世界でこんな素晴らしい能力を授かったんだ。帝国の防衛を担ってるのは俺の愛しの天使たち。君とも対等な立場だと思うさ」
「はッ、人形共におんぶに抱っこで強気になってるたァ良いご身分だな」
「天使たちは俺の能力の一部、いわば俺自身!!アァ、なんて甘美な響きなんだ! 天使と俺はもう同一個体!一心同体!アァ、最高、だ!」
クネクネと、身の毛のよだつような恍惚とした表情で身を捩る目の前の同郷の仲間を視界に捉えその不快さに吐き気を催すように苦みを潰した表情を九図ヶ原は醸し出ながら、手元の酒を飲み干す。
確かに。
今や、帝国内の反乱を抑えているのは彼の『心なき従属者』によりつくられた高性能の人形達だ。
魔物、魔族からの防衛を大義名分に帝国各地に派遣し、実のところはその場の監視を担当していた。
人形のスペックレベル。
1~6まであるスペックレベルは単純に数が多い程高性能だ。
それこそ、スペックレベル6ともなると、限外能力と固有武装が無いにしても単純に勇者レベルの身体能力を誇る。
戦闘向けでないとはいえ同じ帝国勇者である音ノ坂芽愛斗と模擬戦をいたならば、おそらくレベル6に軍配が上がるほどには。
それだけにレベル6に該当する人間はほぼ存在することなく、現時点では先ほど部屋の見張りをしていたレミとミルしかいない。
呂利根福寿は勇者に相当、あるいは勝らずとも劣ることのない戦力を一人で創り出し、操ることが出来る。
だからこそ、彼の悪行を誰も取り締まることは無い。
帝国各地から年端も行かない少女を連れてきては人形に変え、適合しなかった少女を呂利根の好きに扱おうがお咎めが出る筈もない。
呂利根福寿が帝国に属する限りは、彼の行いで彼の戦力が増える事は帝国の軍事力の増強とイコールなのだから。
一人で軍隊を保持できる勇者の行いを、それがどれだけ非道な事だろうとも、帝国は見て見ぬ振りをすることを召喚当初から上層部は決定している。
正午を知らせる鐘の音が場内を響き渡る。
「もうそんな時間かよ。飯食いに行こうぜ」
「君が俺をお昼に誘うなんて元の世界じゃ考えられないなぁ」
「そりゃそうだ。あっちで誰が好き好んでテメエなんかを昼に誘うかよ。だがこっちじゃぁ数少ない同郷の仲間なんだ、仲良くしよーや」
呂利根は肩を竦め、九図ヶ原と共に部屋を出た。
―――――――――――――――――数分後。
暗く、光の閉ざされた部屋で残された僅かな少女たちは身を縮め、恐怖に震えていた。
ベットの上でだらん、と垂らされた友達の手。昨日までは共に遊び、触れ合ったその手は今は暖かみも感じさせず冷たさしか感じさせない。
次は自分がああなる番なのだと。
そう感じつつも、逃げることを許されないこの環境を想い、ただ、身体を震わせ、涙を流すことしか出来なかった。
助けは来るはずもない。
ここは盗賊のねぐらなどではない。その正反対。
人類を救う勇者の一室なのだ。
本来なら救いに来るはずの存在が、これから自分たちを殺そうとしている。
おとぎ話の中の勇者とは正反対のその姿に、絶望した。
ガチャリ、とドア開く。
音が暗闇に響く。
明かりが照らされ、そこに現れたのはついさっき出て行った筈の『呂利根福寿』だ。
お昼を食べに行くと言っていたのに、直ぐに戻ってきた勇者を見て再び体は震えだす。
少女は諦め、その場から立ってベットに移動して腰かける。
これから始まる蹂躙とその結末を想像して、身は強張りせめてもの目を強く閉じる。
けれど、いつまで経っても呂利根は横に座ってこない。
「遅れたのです。助けられなかった子は申し訳ないのですが、力の無いボクにはこうやって隙を伺ってチャンスを待つしかないのですよ」
聞こえてきたのは女性の声だった。
醜悪で聞くに堪えないあの男の声ではなく、優しい声音の。
途端、抱きしめられた。
包み込まれる感触と、その女性の良いの匂いが鼻を掠めた。
強く閉じた瞳を開けた。
瞳に写ったその女性は、金色の綺麗な髪を一房にまとめ、マフラーを巻き口元を隠した女性。
「ボクは音ノ坂芽愛斗。勇者として、君たちを助けに来たのですよ」
帰ってきたはずの呂利根はいない、居るのは、音ノ坂芽愛斗と名乗った自分たちを助けに来てくれた勇者だけ。
抱きしめられた少女も、隅で震えていた少女達も、その優しい声音と言葉に安堵を露にして瞳から涙を零した。
――――――――――――――――――――――――
「いなぁぁぁぁぁぁぁぁぁあいいいいいいい!!!!!!俺の寵愛を受ける筈の天使候補が!!何故!?何故!?何故!?どこに!?どこに行ったぁぁぁあぁぁあァ!!!!!!」
昼食を終え、部屋戻った呂利根と九図ヶ原だが残っていた少女たちが部屋の中からいなくなっていることを確認するや否や、呂利根は半狂乱になって叫びだす。
「おいいいィィィィィィィィィィィ!!レミ!!ミル!!誰も通してないよな!?」
「肯定。通してません」
「同意。ご主人様以外通してません」
「だよなぁ。ならなんでいなくなって!?何で密室トリックみたいになってんだよぉ!?なんだよこれぇぇぇぇぇぇぇええぇぇぇぇぇぇぇぇぇええぇぇぇぇぇええ!!!!!!」
レミとミルの二人は呂利根に嘘をつくはずもないし、それは彼自身が一番理解している。
ならば、少女たちが消えていること自体が可笑しいことに違いはない。
それこそ、転移魔法なら可能ではあるが、転移魔法は高位の魔法であるため使えることの出来る者も限られているし、そもそもその少女たちに勇者に目をつけられる危険性をはらんでまで救うこと自体有り得ないのだ。
謎に発狂し、呻く呂利根とは裏腹に、九図ヶ原はレミとミルの発言に引っ掛かりを感じた。
「……あン?おい餓鬼供」
「「なんでしょう」」
「ご主人様以外通してないって言ったよなァ。オレ等が出てった後で呂利根が入ってったことだろ?」
「肯定。数分後ご主人様は戻ってきて選定の儀の対象を連れて行きました」
「あァ、なるほどなァ。」
九図ヶ原戒能は合点がいったように頷き、口角を釣り上げる。
犯人は既に判明し、音ノ坂芽愛斗の偽善的行為によって行われた救出劇であることには直ぐに考えがいった。
その救出劇に自分が呂利根を連れ出す役を無自覚にもおってしまった事に対して不快感が込み上げてきたが、これから始まるであろう愉快な事の方が彼にこの不快感を押し留めさせた。
時を同じく。
呂利根も九図ヶ原とレミ、ミルの言葉を聞いて、その犯人に行きついた。
誰かに変装する事が出来、レミとミルの目を欺くことが出来るほどの能力を持つ者。
そんなもの、考えるまでもない。
「芽愛斗ぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!!!あの野郎!!!!!!!」
犯人の名を大声で叫び、激高し、九図ヶ原に掴みかかろうとする、が。
「あァ?」
「べっふぅぅぅぅぅう」
九図ヶ原に掴みかかるよりも前に、彼の拳が呂利根の顔面を捉え吹き飛ばされる。
空中を何回もし、壁に跡を残すほどに激突し、それでも呂利根は起き上がる。
鼻血も出て、顔も盛大に腫れているが、これでも九図ヶ原は手加減をしている。
手加減をしていなければ、呂利根は起き上がるほどすらできない程にダメージを追っている筈だ。
勇者内心でもこれほど身体能力の差が存在するのだ。
「まさかテメエ、オレが芽愛斗のヤロウに加担したとか思ってんじゃねェだろうなァ?えェ?」
「そ、その通りだろう!!君が俺を連れ出し、その隙に……」
「ンなことするぐらいならテメエをぶっ殺して餓鬼共逃がした方が早ェだろうが」
「ぐ……」
ちっ、と舌打ちをしながら同郷の仲間の馬鹿さ加減に頭が痛くなったようにこめかみを抑える。
「待ってろや。芽愛斗がどこにいっか探してやらァ」
九図ヶ原は『感覚境界』を有効にし、その効果範囲を帝都全域に広げる。
『感覚境界』は有効にした範囲内で起こる事象を見るよりも聞くよりも早く脳内に取り込ませることの出来る彼固有の限外能力だ。
そのため、脳に膨大な情報が瞬間ごとに送られてくるため普段はその効果を断ち切っている。
帝都内で行われている事柄、個々人の会話、その全てが情報となって九図ヶ原の脳内に到達し、そして。
金色の髪を一房に纏め、マフラーで口元を覆った少女が幼い少女達を竜車に載せている情景が彼の脳内に浮かび上がる。
「見つけたぜェ、さァ、勇者をぶん殴りに行こうや」
九図ヶ原は表情を歪めながら言葉を発し、呂利根も憤怒で表情を歪めた。
――――――――――――――――――――――――――
そこは帝都の数ある内の城門前。
アリレムラ領へと一番近く、多くの竜車が日々行き交うその城門前で、人々は信じられない光景に唖然とする。
それは、衝撃と驚き。その後に続いて来るのが恐怖だ。
鮮血が舞い、一人の少女が殴られ続けていた。
一部破られた服の隙間から見えるのは、殴られ続け内出血で紫色に変色した肌。
少女の首元にまかれたマフラーは血で紅く染まり、半分が千切られていた。
「あああああぁぁぁあぁぁァ!!!!芽愛斗!!お前!!なんでッ!!なんで天使たちを!!!!どこにやった!!天使たちをどこにやった!!!!!言えぇぇぇぇえぇぇェ!!」
憤怒に満ち溢れ、その怒号で周囲を侵食する呂利根は芽愛斗に馬乗りになって彼女を殴り続ける。
この光景のまま、一体どれほどの時間が過ぎたのだろう。
九図ヶ原と呂利根がついた時には、既に少女達を載せた竜車は出発した後で。
その場には、行き先を塞ぐように立ちふさがった芽愛斗しか居なかった。
既にこの場に少女達がいないことを察した呂利根がその怒りを事の根源である芽愛斗に対して爆発させるのはそう時間がいらず。
殴る蹴るの暴行が直ぐに始まり、それは今もまだ続いていた。
芽愛斗の勇者としての能力は勇者の仲でもダントツに低い。
それこそ、呂利根の創り出す人形のスペックレベル6に負けてしまうくらいには。
だから、直接戦闘がそこまで得意ではない呂利根にも手も足も出せず、されるがままに暴行を受けるしかなかった。
『逃げ出たり抵抗したら九図ヶ原の『感覚境界』で少女たちの位置を割り出す』
これはゲームだと。
呂利根の暴行によって芽愛斗が逃げ出すか否か。
そう九図ヶ原に宣言され、芽愛斗は逃げるという選択肢は潰えた。
それが、今人々の目の前で繰り広げられている惨状だ。
勇者が勇者に抵抗することなく嬲られ続けられる。
少女が一回り大柄な男に奇声を発せられながら蹴られ、殴られ続ける。
「お、れ、の!天使を!返せぇぇぇぇぇえェ!!」
「う、うぐ、うぇぇぇ」
呂利根の拳が芽愛斗の腹部に突き放たれ、少女は蹲りながら何度目かの吐瀉物をまき散らす。
直接戦闘向けではないとはいえ、勇者スペックを保持する者の拳をまともに受け続けた少女の身体は多くの痣が服の内側にはいくつも出来、骨も数か所折れていた。
顔は流れた涙と血が混ざったものでぐちゃぐちゃに濡れ、そこにあった元の可愛らしい少女の面影は無い。
既に意識も朧げなものとなり、既に立ち上がる事さえ困難な程になっていた。
「はぁはぁはぁ……なんだコイツ、頑丈さだけは一人前だな。あぁぁぁぁぁあ!!こんなやつのせいで俺の天使がッ!!」
肩で息を切らしながら、足元で蹲る芽愛斗を見下しながらに呟く。
何回殴り、何回蹴り飛ばしたのだろうか。
死なぬように手加減をしたとはいえ、名も知らぬ誰かのためにここまで耐え抜く目の前の芽愛斗を見ながらに一種の不気味さを感じていた。
「ひゃっはははは!!あァ、おもしれェ!!勇者様が無抵抗でボコボコなんてよォ!!自分でボコすより人がボコしてるとこ見る方が楽しいわ。ひゃっははっははは!!今日は最高だぜ」
呂利根の横を通って、蹲る芽愛斗に近づく。
「おい、そろそろ逃げ出してもいいンだぜェ?あんな餓鬼どもほっとけや。いずれはまた捕まって呂利根の餌食になんだからよォ。帝国に居る時点で無駄なんだから、なァ?逃げちまえよ」
蹲る芽愛斗の髪を掴み上げ、顔を向けさせる。
その瞳はおぼろげながらも、屈しない、と強い意志の灯る瞳だった。
「それ、でも。無駄に、ならないのです……今日、救ったことは……無駄には、ならないのれす」
やっとのことで振り絞った呂律の回らない声。
その意思は、その瞳は、九図ヶ原を楽しませることしか出来ないというのに。
九図ヶ原は笑う。
この瞳が絶望へと落ちる表情が見たいと。
強い瞳の灯が消える瞬間が見たいと。
「ひゃっはっはははは!!おい、呂利根!!こいつに寵愛を与えてやれ!!テメエの自慢のなァ」
呂利根の寵愛。それは。
「は?そいつは身長が少し大きいんだ。俺の寵愛を受けるには資格が……」
「まァ。一回ヤれや。そしたら餓鬼共を『感覚境界』で探してやっからよォ」
「ほんとかい!?……仕方ないな、それなら少しばかりの身長は見逃そうか」
「は、話が……違、うのです……」
二人のやりとりが耳に入った芽愛斗の心は、揺れる。
耐えきったら、逃げなかったら、抵抗しなかったら。
そうすれば、居場所を割り出さないと。そういうゲームを仕掛けて来たのは九図ヶ原だったじゃないか、と。
訴える視線を九図ヶ原へと向けるが、九図ヶ原は顔を歪め愉快そうに笑う。
「ひゃははは!!いや、なに、さっきのゲームはテメエの勝ちだぜ?で、次のゲームだ。呂利根がテメエを犯す、それをテメエが逃げる。ただそれだけだぜェ?逃げきれたら、場所は割り出さねェでいてやるよ」
九図ヶ原の言葉は、芽愛斗の心を深く奈落へと突き落とす。
あれだけ殴られ蹴られ続け、身体はボロボロで骨も何ヵ所か折れている。
そんな状態で、勇者から逃げろと、そう言っているのだ。
不可能だ。立つ事すら身体のダメージが許さない。
それでも。
「あ、や……逃げ……」
俯せで、亀のように、地べたを這いずって芽愛斗はズルズルと呂利根とは反対方向へと向かう。
少女達の為にも、それに芽愛斗自身がこんなところで呂利根のような最低な奴に犯されたくないと。
その赤い瞳からは涙を流し泣きじゃくりながら動ける箇所を最大限に動かして逃げようと地べたを這いずる、が。
逃げられる筈もない。
「そうやって、立つ事も出来ずに這いずる姿は幼女みたいで可愛いじゃないか」
呂利根は芽愛斗の正面まで歩き、見下していた。
強く乱暴な力で仰向けに強制的に変えられ、全身に強い痛みが走る。
勇者の前に、芽愛斗は一人の女の子だ。それこそ、元の世界ではどこにでもいる一人の女子高生だ。
見上げる呂利根に、これから行われるであろう最悪な行為に身体が震え、瞳からは涙が零れる。
「やだ……や、なの……です」
その声は、ただ呂利根を興奮させ、九図ヶ原を愉快にさせるだけだ。
「ひゃははははははははは!!あァ、良い。元の世界でも何回か同じことしたことあるけどよォ。女ってのはどいつもこいつも同じ反応スンのなァ。それは勇者様でも例外はないってかァ?どこまで楽しませてくれるんだっての芽愛斗ちゃァん。さっきの意志の強い瞳はどこ行っちまったンでしょうかねェ?えェ?」
九図ヶ原は愉快に笑う。
その前で、息を荒くした呂利根は芽愛斗に馬乗りなる。
そして、服を破り捨てようと手を伸ばし、手が服に触れようとしたその時。
「何をやっている、雑魚共」
一人の少年の声がした。
それは黒髪の少年の声だ。呂利根や九図ヶ原と同年代に思える体格と漆黒に染まった腰ほどまでの長さの長髪。
その瞳は汚物を見るが如くに不快感を露わにし、その後ろには武具で身を固めた二人の女性が付き添っていた。
「あァン?不動クンじゃねェの……」
九図ヶ原はその姿を見て、目を細め嫌そうな表情を醸し出す。
帝国勇者・不動青雲。
帝国の誰もが知っている、名実ともに帝国最強と謳われる勇者。
「テメエには関係ねェだろうがよォ?」
「あぁ。関係はない」
「ならよォ。オレと呂利根が芽愛斗に何しようとテメエが出てくる幕はねェだろうがよォ。だいたい、芽愛斗から手ェ出してきたんだぜェ?」
「そ、そうだよ!!不動には関係ないだろ!!」
芽愛斗に馬乗りになっていた呂利根も、不動の登場により不穏な空気を感じたのか九図ヶ原の隣に並び同様に不動に言葉を発する。
その声には何処か怯えが混じっていた。
それほどまでに不動の実力は二人と解離していた。
「貴様らの間で何があったかなど、俺は知らない。興味すらない」
「ならよォ」
「屑同士が交尾するなど、不愉快なだけだ。想像しただけでも吐き気がする。この場から消え失せろ」
不動と九図ヶ原は睨み合う。
その交わされた視線にお互いにたじろぐことは無い。
それは数瞬か、数秒か。
「ッチ。萎えちまったよ。くっそ冷めた。オレァ帰るぜ」
「はぁ!?ちょ、ちょっと待てよ九図ヶ原!?『感覚境界』は!?俺の天使候補達は!?」
「知らねェよンなもん。芽愛斗をここで犯せなかった時点でテメエの負けだ。ま、暇つぶしにはなったわ」
そう吐き捨て、九図ヶ原は不動の横を通り過ぎ帝都の中へと消える。
「くそッ!!」
呂利根に至っては、そもそも芽愛斗は対象外なのだ。
イラつきに芽愛斗を蹴り飛ばし、九図ヶ原の跡を追って不動を見ることなく帝都の中へと走り出す。
静寂が場へと鳴り響き、周囲には既に住人はいなかった。
芽愛斗への暴力を見ていることが出来ずに、誰もが姿を消した。
この場に居るのは、蹴り飛ばされ寝転がったまま動けずにいる芽愛斗と不動、それに不動の後ろに居る二人の同じ栗色の髪をした二人の姉妹。
「……」
「不動様。私達が音ノ坂様の介抱をする許可を与えてくださりませんか?」
「私からも、お願い申し上げます」
不動に向けて、姉妹が話しかける。
それは、帝国市民が見たならばその場で切り殺されてもおかしくない光景。
帝国最強である不動青雲という勇者はそういう目で見られているのだから。
「好きにしろ」
ぼろ雑巾のように横たわる芽愛斗を視界に入れても興味もないように呟いて。
不動はその場を後にした。
――――――――――――――――――――――――――――
「う……」
芽愛斗は激痛の中で目を覚ます。
「あ、音ノ坂様。お目覚めになられましたか?」
知らない天井、知らない布団、知らない部屋で芽愛斗は戸惑いながらも声をかけて来た女性を見る。
栗色の長髪で柔和そうに笑みを浮かべる女性を、芽愛斗は知っていた。
「キミは、不動の……志願兵。キミは確か姉の方だった気が……」
帝国では当初、勇者指導の下帝国兵を鍛え上げようと画策した。
兵士、平民問わず、志願した者は勇者の下へと配属され勇者に鍛え上げられる。
その結末は、言うまでもない。
帝国勇者がまともに教育を出来る筈無く、罪をでっちあげられ処刑にされたり、殺されたり、そもそも指導すらすなかったりと、段々と人員を減らし、自然にその計画は消えた。
もちろん、芽愛斗の下にも居たが、それは全て九図ヶ原によって引き抜かれたり処刑にされたりと、色々あり全滅した。
その中で、唯一、まだ存続しているのが意外にも不動の下にいるこの二人の姉妹。
「はい、私はナスネと申します。私達のことを知っていられるのですね」
「キミたちのことを知らない人はいないのですよ……あの不動の傍にこれまでの期間居ることが出来ているのですから」
「あら、不動様はそこまで怖いお方じゃありませんことよ?」
「キミ達二人を見てそう勘違いして不動に接触した人が何人も琴線に触れて殺されているのですよ」
「不動様が不機嫌な時は気をつけなければいけませんから、自業自得でございますよ」
「……キミたちが正直怖いのですよ」
芽愛斗はそう呟くと、窓から見える帝都を見る。
それは、とても華やかだ。人族間で最も栄え、繁栄する大帝国。
けれども、それは勇者召喚による地方都市への資源の圧迫により表面上は華やかでも、少しずつ崩壊の時は迫ってきている。
だからこそ、音ノ坂芽愛斗は勇者でありながら暗躍する革命軍の総本山であるアリレムラに協力する帝国のこれからを憂うただ一人の勇者である。
「私は、音ノ坂様の方が怖いですよ」
「どういう意味なのですか?」
「貴女は何故こんなにボロボロになってまでも誰かを救えるのでしょうか?何故人のために動けるのでしょうか?私にはそれが不思議でなりません。そうですね……私がボロボロになってまで救いたいと思えるのは妹ただ一人だけですよ」
「……」
ナスネの問いかけに、音ノ坂芽愛斗は考える。
「貴女は今回、偶然不動様が発見しなければ女としての尊厳すら奪われるところでした。私は、そうまでして人のために尽くせるのが不思議になりませんの。……勇者だから、ですの?」
「……それは、きっとそうなのです」
芽愛斗は呟く。
「勇者になりたいのです。誰にでも必要とされる……勇者に」
だから、救う。
救わなければならない。
彼女は救いたいから、救うのではなく、救わなければならないから救うのだ。
それは勇者としての義務感、強迫観念。
その考えがおかしいことに彼女は気付かない。
彼女は思う。
ボクは勇者なのだから。
ボクは勇者としての義務を果たさなければならない。
人を救わなければならない。
だって。
そうでないと、ボクには存在価値がないのですから。
帝国勇者は人として欠陥を持っているいわば、社会不適合者であった者達だ。
だから。
あぁ、とナスネは納得する。
彼女は、帝国勇者に関して納得の行っていなかったことが一つあった。
音ノ坂芽愛斗いう異常ではない正しい思考を持つ勇者の存在を。
けれども、その疑問も今解消された。
彼女も、充分に歪んでいる。
「王国で、勇者召喚が行われたみたいですね」
「王国で……きっと、良い人達が召喚されていると、祈るのですよ」
「えぇ、祈りましょう」
ナスネは、哀れみの視線を芽愛斗に向けながら呟いた。
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