第22話公国襲撃の知らせ
マシュマロ公国。
海に面した国家であり、人間側領土北端に位置する小国。
白を基調とした礼服が民の衣装とされ、それはさながら聖職者のような神聖さを国民全体で持つ珍しい国家である。
国の外観はレンガを基調とした趣と文化が根強く残る街であり、景色は優雅であり、各家屋にはマシュマロ公国のエンブレムを模した白旗が風にたなびき国の一体感を保つ。
穢れを知らず、犯罪件数も恐らくは人間国家で最も低い安全で平和な国家。
ここは、マシュマロ公国内の小さな町。
彼等も幸せを享受し、穢れを知らぬ平和な街だった。
その穢れを知らない純白は、今、赤く塗りつぶされていた。
燃える。
笑顔と幸せに包まれていた数瞬前は最早存在しない。
泣き叫び、逃げまどい、燃え盛る業火の中を人々は疾走していた。
幼児の鳴き声が聞こえる。
母を探す少女の鳴き声が木霊する。
息子を探す母親が名前を呟きながら彷徨う。
潰れた家屋の下敷きになった家族を救おうと一人で孤軍奮闘する男がいる。
冷たくなった娘の亡骸を抱きしめながら俯き蹲り、現実から逃げ出した女性がいる。
何かの焼死体が広場には積み上がる。
その上で。
「くひゃひゃひゃひゃ」
男は笑う。
否。
その背中に生えるは禍々しく尖る漆黒の翼。
伸びるは鋭利な二つに別れる尾。
全身を覆う鱗は赤黒く輝く。
男は食していた。
人の肉を。
「あぁ~、人の肉はうまいんじゃ~」
人を食らっているというのに本人は言ったて軽い口調で、さもそれが普通の事のように振舞っている。
その光景は異常であった。
積み重なる焼死体の上に居座り、人を喰らう存在。
魔王グラハラム軍第8師団所属。
『悪食≪あくじき≫』。エルテリゴ・グラスプリオ。
本来は草食で温厚なはずの漆竜族。
その突然変異体であり、同種族の仲間とは固有の味覚基準を持つ竜人である。そのため普通なら美味しくもないはずの人肉を好んで食べるという魔族内でも変わり者としてみられている永き時を生きる魔族の一人である。
そんな男に叱責がとぶ。
「エルテリゴ、食う前に仕事をやれ」
「あひゃひゃひゃ、ガルルの旦那じゃないんか。なんじゃなんじゃ、旦那も食いたいんか?」
エルテリゴから旦那と呼ばれたこの竜人の名はガルシアル·ユードナベント。
数少ない金赫竜の一頭であり、魔王グラハラム軍第八師団副師団長だ。
金の光沢に輝く竜鱗で全身を包む五メートル台の二足歩行の竜人は鋭い牙を見せながら、先程より一つトーンダウンした声でもう一度言う。
「俺の言った事が聞こえなかったのか?」
それに対してエルテリゴ怯えた様子をおくびも出さずに能天気に答える。
「ひゃひゃ、旦那ぁどうせこれじゃあすぐに生き残りなんてほぼいなくなるひんよ」
「作戦終了の判断は団長が決める事だ。我々はそれに従うのみ。違うか?」
「かあ、固い固い。固すぎんねぇ。固いのはその鱗だけでいいんじゃよ」
「……潰されたいようだな」
人間の胴回りの10倍以上はあるであろう発達した腕を振り上げ、そして降り下ろす。
大地が歪み、焼死体はぐちゃぐちゃに潰れる。
そこにはエルテリゴの姿は無かった。
「くひゃひゃひゃ、冗談じゃ冗談、そう本気にとんね」
ガルシアルの後ろから笑い声が響く。
声の持ち主は勿論、エルテリゴであった。
ガルシアルはゆっくりと振り返り、赤く鋭い瞳で睨み付ける。
「はいはい分かったんじゃ、はあ、年寄りに酷い扱いじゃなぁ」
そう言ってガルシアルを背にエルテリゴは街を歩く。
かつて数時間前までは人間の領土だったそこを我が物顔で堂々と。
ここは既に人間の領土ではなくなっていた。
レンガ調の家屋は崩され、荒らされ、人は虫のように魔族に殺されていく。
幾数もの竜が羽ばたき空を闊歩し、地上では幾人もの竜人が逃げ惑う人を殺し回っていた。
未だ生き残っていた人は抵抗することもなく只天に祈っていた。
自らの無力を嘆き、天に縋る。
彼らにはそれしか無かった。それしか知らなかった。
極一部の人間は祈るだけでなく領主館に立て籠り、必死の抵抗を続けていたが、魔族相手にそう持つはずがなく、時間の問題となっていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
闘技場内は突然の事態に騒然となり一瞬誰もが言葉を忘れるが、ざわざわと喧騒が増して人々の顔に恐怖が彩られる。
マシュマロ公国襲撃の知らせ。
報告に来た騎士の後ろにはマシュマロ公国の公女-マロニア・エル-ナ。
公国の公である父親が帝国に来ておらず公国代表として訪れている彼女が勇者誘致の権限をこの場において有していた。
「お願いします勇者様方!!私達の国をお救いください!!」
幼い公女が頭を下げる。
つばぜり合いを続けていた英雄王と不動青雲の二人だが、早くもそれを止めたのは意外にも英雄王ではなく不動青雲。
顕現していた『ネームレス』を消すと英雄王には端から興味が無かったように見向きもせず、その歩を騎士たち――マロニア・エル-ナの元へと歩を進める。
ビクッ、とマロニアは近づいて来る勇者を見て震える。
九図ヶ原と同じ帝国所属の勇者。
一度、九図ヶ原に式典で絡まれた時毅然とした態度で返していたマロニアではあるが彼女は姫である前にまだ幼い少女。
下手したら自らをその拳一つで殺せてしまう相手に対して毅然と向かっていたのは式典でマシュマロ公国の代表として恥を曝さないため……だが、心の奥底に根付いた恐怖は意識してどうにかなるわけではなく、本人にしては抑えたつもりではあるが、目の前まで来た不動青雲に対して若干の震えと額から流れる汗がそれを物語っていた。
「俺が行こう」
不動青雲は呟く。
誰もがその言葉に耳を疑った。
誰もが、その言葉を一番に言うのは王国勇者の誰かだと感じていた。
自らの欲望に忠実で自己中心的で人格破綻者の集まりである帝国勇者とは違い、王国勇者は人格者の集まりである、と帝国の民はもちろん九図ヶ原の様子や帝国勇者に関する噂を聞いて各国の重鎮達にもその認識が浸透していたのは事実。
だからこそ、帝国勇者の一人である不動青雲がその言葉を口にすることは誰も予測することが出来なかった。
「何を呆けている?」
帝国勇者が声を上げると思っていなかったのはマロニアも同様であり、青雲の幼い少女に向けるそれではない瞳に一瞬たじろいでしまうが、すぐに気を取り直し、その青雲の助けでに頭を下げ誠意を示す。
「青雲様ありがとうございます」
「俺の名前は憶えていたか」
「あ、い、いえ、九図ヶ原様のことは……その、私の至らなさによるもので……」
青雲の言葉でマロニアは機能の失態を思い出してしまう。
結果、九図ヶ原が悪かろうと、九図ヶ原とのいさかいになった根源は名前を覚えていないか否かだった。
マロニアはその反省を生かし、帝国勇者、王国勇者共に一日で全ての人物の顔と名前を一致させた。
「10分後に転移する。用意を整えていろ」
動揺しているマロニアを瞳に捉え、動揺させた張本人であるにも関わらず、元から会話を成立させる気の無い青雲は自らの言いたいことだけを一方的に告げてマロニアに背を向ける。
「待て。そのような奴にだけは任せて置けるわけがないだろう。俺も行くぞ」
闘技場をさろうとしていた青雲の背後から響く英雄王正義の声。
その声に、マロニアも目に見えた安堵の表情を浮かべ、英雄王に頭を下げる。
青雲が振り向き、英雄王と視線が交差する。
「不動青雲。俺にはお前が何を考えているかわからない。お前を理解することは俺には永久にできない」
英雄王は感情を吐露する。
彼にとって、不動青雲は、帝国勇者はすべて理解の範疇の外にいるものだ。
自分とは相容れない考えの塊には困惑しかない。
正しさを道しるべに日本で生きていた彼にとって、不動青雲や九図ヶ原戒能のような種類の人間と関わり合いを持つことは無に等しい。
悪い意味で、無菌室で過ごし過ぎた。
否、過ごさされてきた、そういう星の下で生まれてきた人間だった。
「だが、率先してマシュマロ公国を助けに行くと、そう言った時は一瞬だが見直したよ」
英雄王は言葉を続ける。
その言葉の意味は不動青雲に対しての関心を示していた、だが、不動青雲を見るその目は険しい。
「煩わしいな。勘違いだ」
「ああ、そうだな。お前とは一度剣を交えた。それだけで読めてしまったよ。……お前の瞳の中にある闘争心がな。お前は、殺し合いを楽しんでいるな?」
英雄王の言葉に、不動青雲はその無表情を一瞬崩して口元を緩める。
それを確認できた者はいたのか、それは英雄王を除いて他にはいない。
不動青雲は英雄王の言葉通り、殺し合い、に喜びを感じている。
命の取り合いによる緊張感、脳裏で溢れる言い知れぬ何か。
それは、不動青雲が今まで生きていて経験したことのない全く新しい何か。
それは、青雲を虜にするのはそう難しいことではなかった。
日本では、英雄王とは別のベクトルで天才であった。
ただ、不動青雲が英雄王と違っていたのはその視界から見える世界が冷めていたこと。
楽しみを持てず、喜びを持てず、怒りも悲しみも、全てを同一に一色無為に感じる。
何にも興味を持てなかった青雲が呼び出されたのは何よりも彼を充実させうる世界。
「これを楽しめずに、何を楽しめと言える?」
不動青雲は言葉を吐く。
それは彼の紛れもない本心。
目の前の英雄王との闘いよりも、マシュマロ公国に襲撃を仕掛けた魔族の方が興味を惹かれた。
そして、まだ未成熟の英雄王を今始末してしまうのは惜しい、と不動青雲は感じたからこそ彼はマシュマロ公国からの救援を受け入れた。
「殺し合いを楽しむなんて狂ってる……俺はそう思う」
「知らないな。勝手に抱いていろ。だが、そのおめでたい崇高な思想で俺の邪魔だけはするな」
不動青雲は再び背を向け、闘技場の出入り口へと歩を進める。
その背中を英雄王は見ていた。
一太刀交えて、彼の実力が自分よりも数段格上なことが何となく感じ取ってしまった。
呼び出されてからの期間が一週間と一ヵ月。
その差は、少なくとも大きい。
「英雄王さんは間違ってませんよ。そして彼も間違ってません。彼を擁護しようと言う気は一片もございませんが」
「洲桃ヶ浦」
蜜柑が英雄王の傍に来て言葉を告げる。
「英雄王さんは常識に捕らわれ過ぎですよ。元の世界でならそれは美徳でしょうが、それが通じるのは元の世界だけです。ルールで整備されていない世界ですからここは……向こうと違って」
「……そうだな。俺は、自分を見つめなおす時間が必要みたいだ。こっちに来て、俺が中々に頑固で、嫌なことがあると駄々を捏ねる子供だという事が十二分にわかったよ」
「そうですね。早くその子供っぽさを治してくれないと困ります」
「そこは違いますよ、と慰めてくれるところなんじゃないか?」
「貴方に甘くしても何も言いことはありませんからね、早く貴方がしっかりしないとタロウ君が困ります……もう少しでアレの治療も終わるでしょうし、私達も準備しましょうマシュマロ公国へ」
「ッ!!いや、洲桃ヶ浦、お前らは帝国で……「私も不本意です」」
英雄王は、最初、召喚時につい自分だけでなく皆の代表として王に対しての魔族討伐を受諾してしまったことを心の底では気にしていた。
そして、心配だからこそ、帝国に残っていて欲しいと思い。
だからこその、マシュマロ公国へ行くのは自分だけと発言した筈だ。
だが、英雄王のその言葉とは裏腹に、目の前の洲桃ヶ浦蜜柑は付いて来る旨を自分の言葉を遮って言う。
「本当は、私はタロウ君と一緒に居たいのですが、幼女さんにさっき約束してしまいましたから、というより押し切られてしまいました。一緒に英雄王さんについて行こうと。……反論は私ではなく、幼女さんにお願いしますね?最も、貴方が彼女に勝てるとは思いませんけど」
蜜柑にしては珍しく意地悪気に告げ、背を向けて、これ以上の反論を受け付けないと、その意を態度に示しながら幼女の下へと戻る。
元の世界で。
良く幼女に対して頭の上がらなかった懐かしい自分の光景が頭を過り。
鎌瀬山が慰めるように自分の肩を叩き慰め、幼女は勝ち誇ったことを態度で示し、タロウと蜜柑はそんな自分たちを呆れながら見ていた生徒会室の日常風景。
「そうだったな。俺は幼女には頭が上がらなかったな」
噛み締めるように、懐かしむように吐き捨て。
「幼女、洲桃ヶ浦。頼む、俺と一緒にマシュマロ公国を助けに行ってくれ」
英雄王は幼女と蜜柑に対して頭を下げる。
この世界に来てすべての責任を背負いこんできた英雄王は、自分一人だけで背負い込もうとしていたこの世界で初めて仲間に助けを求める。
「しょうがないなぁ、正義君は(*´▽`*)」
その助けを求められて、幼女は嬉々とした表情で頷いた。
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