第27話 船長・フェリペ
矢倉が調査船に求めた機能は2つだった。
高精度のマルチビーム測距器と、MADを備えている事だ。
マルチビーム測距器は船底から音響ビームを発射し、音波が跳ね返ってくる時間によって、海底の地形を計測する。
沈没船の捜索には、サイドスキャンソナーと言われる装置が用いられることが多いが、マルチビーム測距器の方が、海底の形状を三次元として捉えることができる上に、船のスピードを落とさずに海底を走査することが可能なため、効率よく調査が行えた。
MADは磁気探知機の事をさす。磁場の乱れを読み取るために、金属の構造体を見つけ出すのに有効で、対潜哨戒機が潜水艦を探知するために用いている技術だ。
対潜哨戒機の場合、航空機自体が帯びている磁気がMADに影響を与えないよう、センサー部分を尾翼の後に、トンボのしっぽのように突き出させているが、船舶の場合は、センサーを魚雷のような形状のケースに収め、船の後方にケーブルを伸ばして曳航する。
沈没船の探索にMADを持ち出すのは、少々大袈裟かと言う気もしたが、敢えて矢倉はそれを使おうと思った。
レックダイビングのメッカ、ポルトガル沖とあれば、目的の海域は、これまでに何度もレックダイバーたちの調査対象になったはずだ。それでも尚、何も見つかっていないという事は、土砂に埋もれているか、大きく破損して原型を留めていない事も考えられる。
MADであれば、金属の存在そのものを検知できるので、これまで見落とされたものでも発見できる可能性が有る。
テレサから受け取った船主リストによると、マルチビーム測距器を備えた調査船は比較的多いが、MADを積んだ船はあまりなかった。矢倉の希望を満たす調査船は全部で12隻あった。
テレサは矢倉が印をつけた候補に、端から電話を掛けていった。
「これからすぐにチャーターが可能な調査船は、3隻ですね」
しばらく電話に向かっていたテレサが言った。
矢倉がテレサから船主リストを受け取ると、アース・シーカー号、レイ・マリンホ号、ベッティーナ号という3つの船名の上に、赤い丸が付いていた。
「アース・シーカーは文字通り、地球の探索する船いう意味だな。レイ・マリンホ、ベッティーナというのは、どういう意味なんだ?」
「レイ・マリンホはポルトガル語で、海の王という意味です。随分と尊大な名前を付けたものですね。ベッティーナはポルトガル語ではありません。イタリア人女性の名前ではないでしょうか」
「とにかく3隻とも船長に会おう。アポイントを入れてくれるか?」
「もう入れてあります」
テレサは矢倉に、手帳に書き込まれた時間表を見せた。
※
テレサが手際よく予定を組んでくれたお蔭で、3人の船長との面会は、僅か半日で終わった。帰りの車の中で、矢倉はテレサに声を掛けた。
「今日は3人とも、英語で話が出来たので助かったよ。君は彼らについてどう感じた?」
「船だけで言うと、レイ・マリンホ号が一番上でしたね。昨年の夏に進水したばかりで、マルチビーム測距器もMADも最新機種です。スピードも出せそうですし、調査時間も短縮できると思います。海の王と名付けただけの事はありましたね」
「船長の印象はどうだった?」
「船の名に違わず、尊大な印象でした。自信に満ち溢れていて、まるで自分の言う事を聞いていれば何も間違いないと言いたげで、正直言って、私はあまり好きではありません」
「フェリペの事はどう感じた?」
フェリペとはベッティーナ号のオーナー兼船長で、フェリペ・カラスコという男だ。
「彼は絵にかいたような海の男です。朴とつで不器用な印象を受けました。人は好さそうですが、年齢はもう70歳近い老人です。
気が付きましたか? 左半身に少し麻痺があるようで、足を引きずっていましたよ。それに船もいただけませんね。ポンコツの老朽艦をだましだましで使っている感じでした」
「アース・シーカー号は両者の中間だな」
「船長が、お金の話ばかりしていたのが気になりましたけどね……」
「どの船にするか、一晩考えてみるよ。今日の仕事はこれで終わりにしよう。明日の朝、また来てくれ」
矢倉がテレサにそう告げたのは、丁度タイミングよく矢倉のホテルが前方に見えてきたときだった。
※
翌朝テレサがホテルに現れたのは、いつものように約束した時間の5分前だった。ロビーで待っていた矢倉は、テレサの顔を見るなり「決めたよ」と言った。
「フェリペですね?」
テレサは訊いた。
「当たりだ。何故わかった?」
矢倉は驚きの表情を見せた。
「分かりますよ。あなたは、そんな人ですから」
「そんな人って、どんな人だ?」
「理屈では無くて、心で判断する人です。いつもは理屈で動いているのに、大事な時には心が優先するような人」
確かにそうかもしれないなと矢倉は思った。自分が単純な人間というだけなのかもしれないが、僅か数日でそれを見抜いたテレサの洞察力を褒めるべきだろう。
矢倉とテレサはすぐにフェリペに会いに、再び彼のオフィス向かった。
出迎えてくれたフェリペは、テレサが言ったように左足を少し引きずっていた。左手にも震えが見えた。
ソファーに案内された矢倉は、フェリペに「あなたとチャーター契約を交わすことに決めた」と告げた。
フェリペは喜ぶ風でもなく、ぶっきらぼうに「そうか」とだけ言った。
矢倉とフェリペはその場で、今後の作業に関しての打ち合わせを行った。話し込むにしたがって、フェリペは最初の印象とは違い、饒舌になっていった。
海に対する知識も経験も豊富で、沈没船の調査に賭ける情熱も強かった。元々フェリペはポルトガル海軍のダイバーで、自分も海に潜っていたのだと言った。
フェリペは話の最後に、「船の乗組員に声を掛けなければならないので、調査開始まで2日ほど時間をくれ」と言った。
「その船員たちは信用できるのかい?」
矢倉は訊いた。目的のポイントを見つけたとしても、情報が洩れて大勢のレックダイバーに殺到されてはたまらないと思ったからだ。
「心配するな。俺は口の堅いやつらとしか組まない」
フェリペは答えた。
ここはフェリペを信頼することにしよう。そう矢倉は決めた。
矢倉はフェリペと握手を交わし席を立とうとしたが、最後にふと思いついて、気になっていた事を彼に訊いた。
「ベッティーナ号の由来を教えてもらえるか?」
「若いころに惚れたイタリア女の名前だ。あんまり入れ込んだものだから、つい船にもその名を付けてしまったよ。ベッティーナ号が引退するときが、俺の引退する時だ」
そうフェリペは言った。
「その女性との恋は?」
「俺の女房になったよ。3年前に肝臓がんで死んでしまったけどな。今でも彼女を忘れられないよ。だから毎日ベッティーナを手入れして、海に出るんだ」
「悪い事を訊いたようだ。申し訳ない」
「構わんよ。船名の由来を訊くやつに、悪い奴はいないと言うからな」
「船乗りには、そんな格言があるのか?」
「ああ、俺が造った格言だけどな」
そう言って、フェリペはウインクをした。
矢倉は、やはり自分の選択は間違っていなかったと確信した。
矢倉がフェリペのオフィスを出ようとドアノブに手を掛けた時だった。フェリペが「ちょっと待て」と矢倉を呼び止めた。
「海上からの調査は俺がしっかりやってやるが、海中はどうするつもりだ? お前と一緒に潜ってくれるダイバーはもう決めているのか?」
「まだ決めていない。調査ポイントが特定できてから探せばよいと思っていた」
「丁度良い男がいるが、会ってみるか?」
聞けばその男は、ルイス・ジルベルトというレックダイバーで、この辺りでは一番のテクニックを持っているらしい。
「ルイスのことは子供の頃から知っているし、長年一緒にやっているので、人物は保証する」とフェリペは言った。
「ぜひ紹介してくれ」
矢倉は答えた。潜水調査は一人で行う事はできない。効率面から見ても、安全面から見てもそうだ。
矢倉は潜水調査に当り、少なくとも3人のダイバーを集めようと思っていた。目的の海域は水深70m。場合によってはそれを越える可能性もある。
潜水技術が確かでなければ危険を伴う深さだけに、腕の良いダイバーをどうやって勧誘するかは懸案だった。
信頼する人物からの紹介であれば一番安心できる。
矢倉はルイスに連絡を取ってもらえるようフェリペと約束し、オフィスを後にした。
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