第64話 刻に縛られた者/見捨てられた者⑦

 ルナの側にカタストルがいるとわかっただけで、どうにも頭に血が昇りすぎてしまっていたようだ。


 ルージュの顔をキャンサーは舐めるように眺めてきた。


「フフッ、嘘が下手なのね。女の嘘はアクセサリー、もう少し女子力を磨いた方がいいわ」

「……だから何?」


 ルージュは銃口をキャンサーの心臓に合わせた。


「どうせアンタはここで死ぬんだから、そんなの関係ないわ」

「その発言も女子力ゼロ。でも――」


 キャンサーは愉悦の表情をして、ルージュの視線を受け止める。


「嫌いじゃないわ」


 魅惑ノ巨蟹から白気石の効能すら無視するほどの超力が吐き出される。

 覇者のごときオーラが、まるで陽炎のごとくユラユラと空気が歪ませた。


 比喩などではない。本気で押しつぶされそうなプレッシャーがのし掛かってくる。呼吸すら苦しくなっていく。


 暴力的にして絶対的、そして圧倒的な力。

 蟻と象なんて表現すら生温い。天文学的な数値で差は表わされるだろう。

 努力とか知恵とか才能とか、そう言う言葉がいかに無力であるか。種族として未来永劫絶対に覆せない壁がそこにはあった。


 それがルージュの前に立ちはだかる。桁外れの存在感だった。

 ルージュの本能からは危険のアラームが鳴りっぱなしだった。


 死のイメージが拭えない。


 プレッシャーが黒い嵐を巻き起こす。

 それが戦闘の始まりの合図だった。


            *


 影が渦のようにキャンサーの体を覆っていく。それはトルネードのごとく逆巻き、辺り一帯を占領する。


「こいつ!」


 ルージュが変身途中のキャンサーに呪印銃を撃ち込んだ。


「!?」


 しかしそれらは黒い竜巻に瞬時に弾き飛ばされた。その現象はルージュの理解の範疇を完全に超えるものであった。


 そして暗黒の嵐が爆裂する。

 その余波で蒸気都市上空に天使の輪っかのような黒い波紋が広がって行った。


 視界が晴れる。

 魔の持つ深い業と天の持つ神々しさ、男性的であり女性的、相反する二つを兼ね備えた混沌たるカタストルが立っていた。


 魅惑ノ巨蟹――黒い甲羅を全身に纏った巨大な蟹の姿をしていた。棘の付いた装甲に、体躯を支える八本の足。極めつけは異様に禍々しく一際大きな二本の鋏であった。深く太く強靭で、刃のごとき殺戮の光沢を見せつける。


 キャンサーの飛び出る瞳がルージュを捉える。


「綺麗でしょ、あたし?」

「馬の糞よりはね」

「言ってくれるじゃない!」


 キャンサーの右の鋏が空を向いた。

 ルージュも危険を察知して駆け出す。


 キャンサーの右鋏から、輝く巨大な剣が精製された。超力が圧縮された紫色に輝く光の刃である。

 それが音を裂いて、縦一閃に振り下ろされる。


 天災級の地鳴りがした。

 剣はコンクリートを割り、地割れを引き起こす。砕けた特大クラスの瓦礫達が四方八方、空に浮く。


 ――何てパワーなの!?


 ルージュは左斜め前方にダイブして、何とかそれをやり過ごす。顔面を小さなコンクリートの破片が斬り裂いてくる。血が地を濡らす。

 そして前転から即座に体制を立て直した。


 呪印銃をキャンサーの体の中心に標準を合わせる。

 今回は顔のあるタイプではない。故に心臓は体の中心にあると考えて間違いないだろう。

 カプリコルヌの時のように惑わされる体格でないのは救いである。


 ルージュは引き金を引いた。

 紫色の弾丸がキャンサーに向かって放たれる。その殻にぶち当てた。


 しかし――弾かれた。


「何!?」


 キャンサーの堅牢な掟破りの装甲に、超力の弾丸はかすり傷一つ与えられなかった。

 シューっと熱によって生まれた煙がわずかに出るのみ。まるで無傷。


 そして今度はキャンサーの左の鋏に紫色の光が集い始める。それが球体のような形に精製されていくった。

 そしてその光が超力の圧縮砲として放出された。


 本来、こう言った超力弾は『光線』等と揶揄される。

 しかしキャンサーのそれはもはやなどではない。文字通りだった。


 大口径の超力砲は弧を描くように、薙ぎ払いの軌道で放たれる。

 無人発電所の群がそれを直撃されて次々と無残な崩壊の道を辿っていった。


 建物が大量に崩れ、豪雨がごとく瓦礫が地面に雪崩込む。


 その光の柱は無人発電所を巻き込みながら、ルージュに迫っていた。

 ルージュはそれから逃れようと懸命に走るが、それに飲み込まれるのは時間の問題だった。即死の範囲が広大すぎる。


 このままでは確実に破滅の光に巻き込まれてしまう。


「くっ、魔眼解放――」


 ルージュの左目が疼く。


「超感覚!」


 視界がスローモーションの世界へと変わる。


 崩れる大量の瓦礫の土砂、それに放たれている大口径超力圧縮砲。

 それらを避けつつ、一発カウンターをぶち込みたかった。


 そのために必要な行為を、ルージュは頭の中で演算する。

 閃き、筋道が見えた。


 魔眼の効力が切れ、超感覚の世界が終わる。


 ルージュは真正面にあった無人発電所の壁に足を乗せた。

 そこを土台に背面跳びをする。


 陸上選手の高飛びなどを遙かに越えたノワールの超人的な運動能力。

 そこから繰り出される背面跳びは、三日月を横にしたような軌道だった。


 光の柱が無人発電所を粉砕しながら、跳んでいるルージュの真下を通過する。

 空中でルージュは呪印銃の標準をキャンサーに合わせる。

 狙うは装甲の薄い『眼』だ。


 引き金を引く。

 紫色の熱線が放たれた。


 紫の線が綺麗にキャンサーの眼を貫く。


「へえ、やるじゃない」


 キャンサーが余裕の口調でそう言った。まるで動じていない。


 眼は貫けたが、黒い肉泡と共に即座に再生。小さい部位だったが、それでも再生速度は尋常ではない。

 傷の治りのスピードも、カプリコルヌと同じく並のカタストルを遙かに越えるものであった。

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