第39話 救世の胎動⑬

「――――ジュ!」


 その時、何かがルージュに覆い被さってきた。


 空気を裂く音と共に斧が振り下ろされる。月の光に反射する銀色に輝く刃が残閃を生み出す。

 大気が震え大地が割れる。その運動エネルギーはもはや災害級であった。

 木っ端微塵になる威力が音だけでわかる。圧倒的質量とエネルギーの前に、肉体など押し潰されるのみ。


「?」


 だがルージュは生きていた。攻撃の圧だけが横から襲いかかってくる。空気の振動が土砂と嵐をぶつけてきた。

 それでも直撃ではない。命はある。

 何があったのか、頭が混乱する。

 目を開けると銀髪の少女の顔があった。


「大丈夫か、相棒」

「ルナ!?」


 そこには逃げたはずのルナの姿があった。

 攻撃の余波から発生した風圧で、コンクリートの瓦礫が飛んできたのだろう。それがルナの体を傷つけていた。

 額と左肩から血が流れている。腕がプルプルと震えていた。


 ルージュを庇ってくれたのだ。

 ギリギリでルージュの体ごと斧から遠ざけてくれた。一歩間違えば死ぬ状況で。


「困りますね、危うく当てるところでした。って言うか何もない空間にいきなり現れて……瞬間移動でもしたんですかねぇ」


 カプリコルヌが迷惑そうな口調で愚痴のように言った。


「こっちがギリギリで軌道修正できたから良いものを。ルナさんですか、貴方は少し大人しくしていただきたい。貴方に関して、殺しはしませんから」


 カプリコルヌの腕がルナに伸びる。


 指でピンッと軽くルージュの上にいたルナを弾いた。


 それでも人間のルナには充分過ぎる威力だった。

 右の壁際まで吹き飛ばされ、背中を強打する。


「痛ぇ……」


 ルナは「カハッ……」と呼吸困難を起こしたかのように唾液を口から垂れ流し、そのまま体を埋めて地面に膝を付いてしまう。


「ルナ!」

 ルージュが悲鳴にも似た叫びを発した。


 カプリコルヌは今度こそ斧を両手で持ち上げる。もうこれ以上付き合ってられないとばかりにルージュを冷めた目で見下す。

 次に外すことはないだろう。両の手で100%の力を発揮する体勢であった。


「相棒!」


 叫び声が響く。


 ルージュはルナの方を見た。

 ルナが頭から血を流しながら呪印銃を投げてくる。


 ――そうか、あれなら!


 あの呪印銃は殺されたノワールのものを回収した品だ。


 ルージュに閃きが生まれる。


 ほぼ同時にカプリコルヌの斧が振り下ろされた。空間ごと引き裂く一撃が襲いかかってくる。


「魔眼解放――」


 ルージュの左目が疼く。


「超感覚!」


 視界世界の全てが遅れていく。


 投げられる呪印銃、落ちてくる殺戮の斧。


 本当にこれが最後のチャンスになるだろう。


 ルナが投げた呪印銃。


 これはほぼ完全な状態のもの。

 ここにマグナムマガジンを装填すれば、新たに三発、撃てるはずだ。

 故に投げられた呪印銃の方向へ飛び込む。


 だが問題点は一つある。


 カプリコルヌのシードの位置である。


 通常ならば心臓にある。


 だが奴は違った。


 カタストルは普通、心臓部にシードが埋め込まれている。例外として心臓のない個体は頭部にあるのだ。


 ――こいつ、まさか。


 人型にして例外。頭部にシードのあるタイプなのかもしれない。


 だとすれば例外中の例外。

 そんなことはあり得ないと普段なら一蹴してしまう。

 だがそれでもそれに賭けるしかなかった。


 魔眼の効力が終了する。


 時が戻る。


 ルージュはルナの投げた呪印銃へと飛び込んだ。


 斧が振り下ろされる。


 それがダイブ中のルージュの両足を脹脛から切断した。足から電撃的な激痛が走る。その衝撃で全身の骨まで砕けそうであった。

 痛覚の限界を越えて、意識が飛びそうになる。


「このぉぉぉぉぉぉぉ!」

 それでも根性で頬の肉を千切るほど歯を食いしばって意識を保つ。

 そして宙を舞う呪印銃をダイビングキャッチする。


 それを掴んだ後は、空中でさらに赤いマガジンを呪印銃に差し込む。

 これで撃つ準備ができた。


「無駄ですよ」


 そんなカプリコルヌの地獄から絶望を呼び戻す声が聞こえてきた。


 地面に刺さった斧が不意にルージュの方を向く。カプリコルヌはそれを一気に斬り上げを仕掛けてきた。

 足を失い、倒れたルージュにそれが襲いかかる。威力はほぼ斬り下ろしと同格。


 撃つより前に斧が届く。


「ん、何!?」


 だがその斧が震えながら止まった。

 カプリコルヌの体が痺れたように、小刻みに痙攣する。黄色い光が全身を縛り上げていた。


「アタシを忘れてもらっちゃ困るなぁ」


 トルエノの声がする。


 雷の球が宙に浮いていた。それが磁力でカプリコルヌの身につけた金属に吸い付き止めている。


 長く持つものではない。二秒が限界だろう。


 それでも今のルージュには充分過ぎる時間だった。


 上体を持ち直し、銃口をカプリコルヌの頭に向ける。


「これで終わりよ!」


 引き金を引いた。

 体中の骨を震わす強い反動が指先から伝わってくる。


 赤い一本の閃光が月に向かって飛び翔る。

 それが雄山羊の頭を貫いた。顔面の中心に円ができる。


 ――どうだ?


 再三騙されたルージュにはもはや半信半疑だった。これで傷が再生しても、もはや驚きはしないだろう。


 そしてカプリコルヌは倒れ込まずに踏ん張って立っていた。


「駄目……か」


 ルージュにはもはや戦う気力は残っていなかった。


 カプリコルヌはそんなルージュを見て「フッ」と笑う。まるで何かすごいものを見た、とでも言いたげな笑みだった。

 そこには悲壮感はなく、むしろ喜の感情が伝わってくる。


「いや、お見事でした」


 カプリコルヌの影が蒸発していった。影の残滓が天に帰っていく。

 カタストルが消えていくのと同じ現象だった。


 ただ唯一違ったのが、最後にカプリコルヌの人間態が残ったことであった。


「いい勝負でした。中々楽しかったですよ」

 人間態のカプリコルヌはそう言うとポケットからガムを取り出し口に入れる。

 くちゃくちゃとそれを噛んだ。


「最後に食べるガムは絶妙なおいしさですね、うん」


 そしてガムを膨らましたかと思うと、その体が黒い影の粒子と変換されていく。そしてまるで砂が風にさらわれるように、すっと消えていった。

 最後まで満足そうな表情で。


 後には崩れたアパート、ポカンとしたトルエノ、ぐったりとしたルナだけが視界に入るのだった。


 カプリコルヌに勝った。


 その事実が実感できたのは戦闘が終わって一時間も後のことである。

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