第20話「待っている人」

「でもあの娘、だいぶ琅惺ろうせいにご執心、だよな」

「――やっぱり、分かっちゃったか……」

 まったく経験のなかった一座の仕事にはすっかり慣れた彩花さいかだったが、やはり未経験だった恋愛は、そうはうまくいかなかった。身内にガッチリ守られてロクに男と接したことがなかったのが災いしてか異様に惚れっぽく、しかも一度はまるとドツボである。そのうえどう考えてもうまく行くわけのない相手ばかりに惚れるのだ。相手が余所者だから、騙される間もなくお別れになるのでいいようなものの……。

 なんだか色々思い出してしまい、茗凛めいりんは盛大にタメ息をついた。

「なーんで全然喋ったりしてないのに、あんなに入れ込めちゃうんだろ」

「一目惚れってヤツだろ」

「一目惚れ? そんなん、ないって。ありえないよ」

 母さんもあたしの父さんに一目惚れだったって言ってたけど、結局ダメになってるわけだし。見た目だけで人を好きになるなんて、ありえるわけないって。

 そう肩を竦める茗凛を、隣の珂惟かいがまっすぐに見つめてきた。

「あるよ」

 まるで諭すように、穏やかに、だけどきっぱりと言ってきた。

 なにその断定口調。まるで実体験だと言わんばかりに。

 あーそうか。きっとそれが、「長安の彼女さん」なんだ。

 だからその他の女の人はどれでも一緒ってことなんだ。飲みさしを交換したり、点穴ツボを押したりするのに躊躇がないんだ。彼女さんにそうやってるから、「当たり前」のことだから、そんなこと。

 背後からガラガラガラという音が大きくなってきた。馬車だ。その音にそっと紛れ込ませるように、茗凛はポツリと呟いた。

「バカみたい」

「おい危ないぞ」

 目の前にさっと腕が伸びてくる。いつしか足を止めた珂惟がこちらを振り返り、茗凛を道の端に寄せた。あー、やっぱり慣れてる感じ。珂惟は何にも考えないでこういうことする人なんだから、それにいちいち反応するのは、もうやめよう。茗凛は心にそう決めた。

 往来の人々がこぞって端に避けていくのにならい、二人も壁に背を預けた。ほどなく目の前を、高官らしき老人を乗せた屋根つきの馬車が通り過ぎていった。

 珂惟はうっとおしそうに、立ち込める砂煙を払うように袖を振りつつ、

「――にしても本当に雨が降らないなあ。こっちに来て二月ふたつき目に入ったけど、この間パラッとしたくらいだぜ。ここまで降らないと、さすがにちょっと雨が恋しくなるな」

「そういえば長安は今頃が一番雨の降る時期だって言ってたもんね」

「そう。おかげで夏の長安はどこでも草葉が生え放題伸び放題で、草いきれにむせ返りそうになる。だから暑さももっとじっとりした感じで、ここみたいに日陰は涼しいって感じがそんなにしない。草取りが日課みたいになるんだけど、あれが暑くて、また」

 「うんざり」と言わんばかりの言葉が並ぶものの、口調はどこか優しい。それはやはり、

「やっぱり帰りたいんだ。――待ってる人もいるし?」

 自分でもビックリする言葉が出た。しかも随分と意地の悪い声で。

 しかし珂惟は腕組みをしながら思案顔を見せて、

「ああ寺の連中? 俺がいないから掃除領域増えちゃってるだろうからな。さっさと帰ってこいよと思ってるかもね」

 またとぼけちゃって! 胸がムカムカする。茗凛は思いっきり目線を外しながら、

「だから、そんなんじゃなくて!」

「じゃあどんなんだよ」

 思わず、とばかりに大きくなった茗凛の反論に、珂惟が静かに問いかけてきた。

「じゃあ、どんなんだよ」

 再度の問いかけは、随分と優しいものに聞こえた。きっと同じ眼差しを向けてきているんだろう……そう思うと、一人で過剰反応している自分がにわかに恥ずかしくなった。とても目なんか合わせられない。茗凛は肩を竦めて、口ごもりながら、

「あの、待ってる彼女さん、とか。琅惺さんみたいに」

「ああそっちか。いるわけねーだろ、俺修行中の身で、そんなヒマないし」

「そうなの!」

「何そのデカい声。そんなに驚くことか?」

 ああまた……自分に集まる人々の視線に顔が上気するのを感じながら、何故かそれ以上に嬉しい気持ちがこみ上げてくる。顔がどうしてなのか綻んでしまう。茗凛は必死に顔を引き締めながら、

「長安って緑がいっぱいなところなんだね。いいなー、お肌は潤いまくりだし、国中から色んなものが集まる都だし、きっと洗練された綺麗なものがいっぱいあるんだろうなあ。いいなあ、見てみたいなあ」

「来ればいいじゃん」

「――え?」

「だから、来ればいいじゃん、長安に。なんなら俺たちが帰るとき、連れてってやろうか?」

「…………」

 やっと静まりかけた胸がまたしても高鳴り始めるのを、茗凛はどうすることもできない。

「あ」

 言葉が出ない茗凛を尻目に、珂惟が小さく声を上げた。

 だけでなく、向こうからも同じような声が重なった。先を行く形の珂惟が立ち止まったので、茗凛もそれにならう。

「あ」

 そこで茗凛も、やはり同じ声を上げた。

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