第17話「湧き上がるもの」

 おかみが手を叩いて声を張り上げた。

「さあさあみんな、支度おし! 今日もしっかりお客を呼ぶんだよ!」

 声と同時に、男たちは天幕から出て行った。女たちの身支度が始まるからだ。

「さあ茗凛めいりんあんたも舞台では笑顔笑顔! ちょっと鏡を見てごらんよ、なんだいその、ぶさいくな顔は!」

 そうまくし立てると、大股で天幕を出て行った。

 茗凛がむっつりと着替えをする傍らで、素早く着替えを終えた霞祥かしょうは、彩花に装飾具をつけるのを手伝ってもらっている。

「入っていいですか? 笛を忘れたって二兄ににいが」

「どうぞ、もう支度は終わりましたから」

「じゃあ、失礼しまーす」

 勢いよく幕がまくりあげられるのが、背後から聞こえる。と思ったとたん、茗凛の目の前に珂惟かいが立っていた。 

「あ、ホントだ。なんだよ、ムスっとしちゃって」

 珂惟かいは、さも面白そうな声をあげると、

「怖い顔してると体も硬直しちゃって危ないぜ。ほら深呼吸。吸ってー、吐いてー、はいもう一度、吸ってー、吐いてー。よし手、出して、ホラ」

 言われるまま素直に深呼吸を終えた茗凛は、また言われるままに珂惟に手を差し出していた。するといきなりその手首を掴まれ、驚きで息が止まる。しかしそんな茗凛の様子にはおかまいなしに、珂惟は手首から少し肘に寄った腕の真ん中辺りを、親指でギュッと押してきた。

「ここ『内関』って点穴ツボな。ここ押してると気持ちが落ち着いてくるから。てか、脈速いな。毎日のことなのに、そんなに緊張してんのかよ。ほら深呼吸も続けて」

 違うって、あなたがいきなりそんなことするからじゃないよっ! 

 だが一人あたふたする茗凛に対し、珂惟は普段と変わらない様子で点穴を押し続けている。「どう?」なんて訊いてくるさまは、本当に茗凛の気持ちを落ち着かせることしか考えてない、ようにしか見えない。きっと彼にとってはなんでもないことなんだ。なのに私ったら一人で動揺しちゃって、馬鹿みたいじゃない。

 この献身によこしま? な思いを持つなんていけないと思い直し、茗凛は空いている手で胸を押さえ、ひたすら深呼吸する。

 吸って吐いて、吸って吐いて、吸って吐いて……。

「――ありがと、落ち着いた」

「よし、ヘンな力も抜けてるな。じゃあ頑張って行ってこい!」

 どん! と茗凛の背中を押すと、珂惟は笛を片手に大急ぎで天幕を出て行く。ほどなく軽快な鼓声が聞こえてくる。茗凛の出番だ。

「はい」

 入り口で彩花が巾を手渡してくれた。紅の衣装に映える萌黄色の羅の巾だ。

「ありがと!」

 勢いよく幕を上げて外へ出ると、そこは雲ひとつ無い青空。夏の日ざしが白く照らし出すのは赤い毛氈とそれを囲む人々。そして珂惟の姿。

 彼がゆっくりと頷くのが見え、なんだか力が湧いてくる。茗凛は大きくなる歓声に両手をあげ、笑顔で応えた。 


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