「第三の新人」を愛する~特異な世代~

コォヒィ

「第三の新人」とは

 「第三の新人」という、文学史のタームがあります。さながらお寿司の中のわさびの様に、戦後派作家と、石原、大江、(開高)の間に挟まれて、目立たない彼らですが、古人個人を挙げると、意外や有名作家の集まりであります。


 吉行淳之介、安岡章太郎、遠藤周作などは、皆さん一度は、特に、遠藤周作の『沈黙』や『海と毒薬』、安岡章太郎の『ガラスの靴』や『サアカスの馬』などは、読んだことがあるのではないでしょうか。

 その他、小島信夫、庄野潤三、三浦朱門、曽野綾子、阿川弘之などが、挙げられますが、では、そもそも「第三の新人」とは一体何であるかというと、これはなかなかに面白い問題で、誤解と抽象の混合物みたいな概念なんですね。


 「第三の新人」という概念の提唱者は山本健吉と言われています。著名な批評家です。しかし、これは間違いで、そもそも山本健吉がその「第三の新人」という論の中で、「編集部にこの題で書けと命じられた」とはっきり書いているのですが、メディアの弊害と言いますか、そのような枝葉末節は伝えられず、「山本健吉が「第三の新人」ということを言った」ということのみが現在に伝えられてしまったという訳です。


 その後、村松剛が調査して、どうやら山本健吉が命じられた背景には、前年に「群像」編集部が、同様に書かせた「第二の新人」(これは第二次戦後派についての論)の後を受けて、というらしいのですが、これは誤解で(というより、「群像」が上手く盗んで)あって、西村さんという批評家が、その前に「第二の新人」論を発表しているんですね。まぁどちらにせよ、第一次、第二次戦後派の後を受けた世代ということになるんですが、しかし、これも微妙なものです。というより、強引なんですね。「どこよりも早く、新世代を発見した」という手柄のための無理くりな概念に思われてならないのです。


 例えば、「第三の新人」たちと同世代の批評家に、服部達という人がいます。この人の『我らにとって美は存在するか』という本に、二つ、「第三の新人」に関する論究があります。

 大ざっぱにいえば、彼らは戦後派作家とは異なり、小市民的で、私小説を書くというのが、服部達の主張です。これは、現今の「第三の新人」に対する認識とほぼ同種のものであると言えます。


 しかし、はたしてこれが正しいか。特に庄野潤三、安岡章太郎には見受けられるでしょうが…。


 はっきりと言えるのは、このようなくくり方では作家の一面を、特に代表作を採り上げたに過ぎないということです。

 

 作家ごとに関する言及は、おいおいやっていきたいと思っています。ここでは最後に、この「第三の新人」という概念に対する、小島信夫の面白い声明を記しておきます。


 (「第三の新人」という枠は)しまいには「ゴミ箱のようなものになってしまった。この箱の中には何でも放り込める。そしてそれは多分ゴミだ。

                    「分類―「第三の新人」と呼ばれて」


 別に小島は「第三の新人」と仲が悪いという訳でなく、それこそ彼らは世代意識(芥川賞受賞時期と共通性)ばりばりで、むしろ類を見ないほどの仲良し作家たちですが、この認識は小島ばかりではなく、「第三の新人」たちに多く見られた認識であるということだけ、把握しておいてもらいたいなと思います。

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