第121話サイコパスはなぜ他人に対して共感しないのか。 #戦争 #平和 #心理学 #哲学 #とは #定期

サイコパス型の暴力肯定論理 #戦争 #平和 #心理学 #哲学 #とは #定期


通常、人は他人に対して人を傷つけようとはしない。自分自身が他人から傷つけられたくはないと考えている→自分も含めて人が人を傷つけると言う人間が世の中に存在していて欲しくない→これを他者人格調和欲求と言う→したがって自分もそういう人間でありたくない→だから自分は他人を傷つけたくない→つまり自分にも他人にも一定の共通の論理を求める、これを相互保障共通論理と言う→他人が傷つきところを見て、自分も同じようになったら嫌だ、と言う自己保存欲求の否定につながりかねないので、他人が他人を傷つけるところは嫌だし、したがって他人から傷つけられる自分も嫌なので、同じような事は自分に向かって行われたくないし、また自分も他人にもしたくないと考える。これがいわゆる同情心である。


サイコパス型の暴力肯定論理ではこの点が変わる。


人間は、人間との関係において、常に自分と他人との競争性と協調性の矛盾した関係がある。人間は個人としては自然界の中で非力なので助け合わないと生きられない、集団からの存在であるから、他人とも協力しようとする、だが同時に、集団内において、他人よりも自分の方がより利益を多く持ちたい、より優位な立場に立つことによってより多くのものを得たいと言う競争意識も持っている。この2つは常に矛盾しているので人間はこの矛盾した関係性を混乱の元としてしまう。


サイコパスにおいては他人を裏切る方が強い、暴力を振る方が他人よりも強い、と言う競争性が優位だと言う考え方が強いので、協力するよりも他人を傷つけることによって得る利益のほうを重視する。 


したがって、他人よりも劣位であると言う自分自身の立場の弱さを、暴力的もしくは社会的自己の立場の劣位性だと考え、その立場を逆転しようと、より暴力に訴えたりする。


通常人は、他人に対し自分自身から見た環境としての他人の人格を、人を傷つけない人格=自分を傷つけない人として存在してほしいと思うことによって、他人にも愛情的振る舞いを求めるものだが、この環境欲求、他人の人格の愛情を求める欲求、環境としての他社人格調和欲求において、サイコパスでは、この考え方よりも、自分が襲われないことを、自己の暴力的優位性と考えることによって、協力や協調ではなく、競争的優位性によって自分が襲われないのだと考える。


サイコパスの人間性においては、他人との協力と、お互いの共通論理としての相互保障の論理を、この場合、お互いを襲い合わない、傷つけないと言う状況を作るために、サイコパスは暴力の優位性によって自分が襲われないのだと理解する。


協力し助け合う関係なので、暴力を振るわずお互いを傷つけないと言う、総合保障の関係よりも暴力性を優先するのがサイコパスの特徴。


つまりサイコパス人格の根本的問題とは、人間と人間の協力関係と愛情関係よりも、暴力的優位性の方がより重要であると言う考え方の枠組み。


この意味において、サイコパスは人間と人間の共通論理による総合保障や愛情の関係よりも暴力的な上下関係の方がより重要視すると言う点において、協力協調よりも競争においての暴力性を重要視すると言う点で、暴力主義者なのであり、この点がサイコパスが他人の感情に対して共感能力を持っていないと言われる構造的理由なのである。


人は通常、他人に対して、自分にとっての環境としての他人の人格の有り様をより穏当なものであってほしいと求める環境としての他社人格調和欲求が存在する。また他人と自分との協調関係を持つことによってお互いを傷つけ合わないと言う保証を持とうとする相互保障共通論理を持ちたいと言う欲求も存在する。


サイコパスでは、これらより暴力性をより優先するわけである。

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