第109話 手続き主義者の例 #戦争 #平和 #心理学 #哲学 #定期
手続き主義者の例 #戦争 #平和 #心理学 #哲学 #定期
通常人は原因過程結果の3つの時間進行を考えて、原因と結果を決定し求めるために途中のプロセス、手続き、過程は変更するということを行う。
わかりやすい例を出す。
無人島で食べ物がステーキしかなくそのステーキを食べないと死んでしまうという例
この場合食器が箸しかない場合
通常は餓死したくないので食べ物を食べようとする。
食べ物がステーキしかなくステーキを食べるのは正しい手続きはナイフとフォークだとしても、このシチュエーションだと箸しかないので箸でステーキを食べる。
極端に言えば手づかみでステーキを食べる。
手続き主義者過程主義者はこの逆となる。
この人物は原因過程結果の過程、手続きこそが絶対なのでこのステーキの例だと、ステーキを食べるのに正式な手続きである、ナイフとフォークを使って食べると言う手続きができないので、この人物は手続きができない事はやってはいけないと考え、ステーキを食べることをやめてしまう。
その結果本来の目的であるエネルギー摂取、食物摂取としてステーキを食べるということができなくなり、このシチュエーションでは餓死してしまうのだが、この人物は手続きこそ絶対なのでステーキを食べず死んでしまう。
またこの人物はステーキを食べて死んでしまうことをしょうがないと諦めてしまう。
映画Rain Manではダスティン・ホフマン演じる主人公は、夕方になると裁判のテレビ番組を見ると言うスケジュールが自分には決まっていると思い込むために、山の中を車で走っているときにその時間に入ってしまったためにテレビを見たいと暴れ出そうとし、弟が困って近くの民家に押しかけてテレビを見させてもらうと言うシーンがある。
この手続き主義者の考え方で生きている人が時々いる。
これがあまりにも高まってしまうと社会的生活に困難を極め、自閉症やアスペルガー症候群と診断されることになる。
程度は薄いが似たような人物が時々いる。
例えば道を歩くときは必ず端っこを歩かなければならないと思い込んでいる人などである。第三者的視点からするとなぜそのようにしているのか原因も結果もわからないのだが、その人物にとってはその手続きこそ絶対なのだ。
このような人物が官僚や政治家をやっていると、法的手続きを絶対視し、その結果人間が死ぬようなことになっても仕方がないと言い出す。
社会システムやその主義主張、例えば民主主義資本主義社会主義共産主義などだが、これらの主義主張こそが絶対でそのために人が死んでしまっても構わないと言い出す。
本来社会システムは人間の幸福と安定と安寧のために存在するものなのだが、この考え方の人々は自分が苦労して勉強し思い込んだ手続き論こそが絶対なので、人間はそのために死んでも良いのだと言う全体主義的思考パターンにハマってしまうのだ。
このようなことを時々政治家や官僚が行う時、このような思考パターンが頭の中でプログラムとして走っていると考えた方が良い。
このような過ちのパターンを持っている人が時々いると言うこと、そしてそこには苦労して勉強した手続き論こそが絶対だと考えがちになると言う個人の自尊心も絡んだ思考の迷走があると言うことに気づいておくことが重要。
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