第9章 仮面の商人とカナンサリファの狐(7)


「ほぉ……あの噂の仮面の商人が、このカナンサリファへ来ているのかね?」

 商業の都カナンサリファの領主であるスティアト・ホーリングは、娘であるリリアが病床にあると聞いて、急遽きゅうきょ領地へと戻って来ていた。

 ところが、着いた時には体調も随分と良い様子で。ケロリとした表情を見せ玄関口にまで迎えにも来ていたので、安心すると同時に呆れ顔まで出てしまう有り様だった。

 スティアトの娘であるリリアも、一時は色々とあったが。ようやく、とある評議員の息子の元へと嫁ぐことが決まった。もし産まれた子が男の子であれば、この家のあとを継がせるつもりだ。

 そうした娘リリアと久しぶりに夕食を頂いていると、そんな話が急に飛び出したのだ。


「ええ、先日挨拶に訪れたのです。といっても、直接話をしていたのはわたくしではなく、大臣だったのですが……。

それにしても、噂って……あの方たちは、その様に有名な方だったのですか?」

「いやいや、ちょっと違った意味合いでの噂なんだがねぇー」


 どちらかと言えば、浮ついた方での噂だ。

 属州都アルデバルの評議員の娘と『イチャついている』、という内容の。個人的には、大変興味があるところなんだがねぇ、とスティアトは密かに笑み思う。


「違った……とは?」

「いや……ハハ。なんでもないさ」

 勿論、商人としての名声もそれなりにはあるが。しかし、噂となるにはまだまだだ。


 スティアトはブランデーを一口だけ含み、いつもの様に口の中で楽しみながらゆっくりと飲む。

「で、どういう感じの男だったのだね?」

「……それよりもお父様」


「ン?」

「お食事は、出来るだけバランスよく頂いた方がよろしいかと……」


「…………」

 リリアは、スティアトが皿の端へと寄せ食べ残していたニンジンを眺めそう言ったのだ。

 ニンジンがニンジンとしての姿を留め主張しているのが、スティアト的にはどうにも許せない状態だった。見るからに、コイツはにがそうだ。

 そして、目の前でこのニンジンを少々呆れた様子で見つめる娘の様子がまた、どうにも昔のにがくも甘い思い出を彷彿ほうふつさせてくれる。


「お前も……段々と、母親に似てきたなぁ~」

「え?」

 リリアの母親は、とても綺麗だったと聞く。だけどその母親は自分が生まれて間もなく、重い病で、この世を去り……その美しさは、今でも残る肖像画が物語ってくれている。そんな母親に『似てきた』と言われ、リリアは思わず頬が赤らんだ。


「そんなお父様……わたくしなんだかとても、恥ずかしいですわ♪」

 そう言いながらも、リリアは実に嬉しそうだ。


 そんな娘の様子をみて、どうにも勘違いのある状況を掴んだスティアトは顔を横へとそむけ、呆れ顔に言う。

「いや、姿ではなく。そのが、だよ」

「…………」

 そう思わず言ってしまったあとの娘の表情が実に恐ろしく、スティアトは仕方なく、ニンジンを一切れだけ食べることにした。


 それでも、随分と戸惑い時間を掛けての一口ではあったが。


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