【後日談のようなもの】幽月邸の夜

「……なんでこんなことになってんだろ、僕」


 目の前の景色を見ながら、僕はそう呟いた。煌びやかな大広間、並ぶ豪勢な料理、響き渡る格式高いクラシック、僕に笑いかける老紳士。


 僕はこの幽月邸で、手厚い歓迎を受けていた。



 何があったか説明しておくべきだろう。

 幽月邸に立ち入った僕たちを追いかけてきたのは、この家の主である老紳士、つまり篠宮乙木しのみやおとぎの父に雇われた家政婦さんだった。

 彼女は書斎に隠れていたご主人様の娘と不法侵入者を、屋敷の主の老紳士の下に連れ出した。

 つい先ほどまで異形の怪物に追われてると思いきや、今度は不法侵入した家の主とご対面だ。生きた心地がしなかったのは言うまでもないだろう。


 どんな判決が下るかと思えば、老紳士は泣きながら僕にすがりつき、ありがとうありがとうと不釣り合いな礼を繰り返した。

 困惑しながらも僕が訳を聞くと、どうやら老紳士の中で、記憶喪失が再発していたキノーー乙木おとぎを、僕が介抱したことになっているらしい。僕はあいつを肝試しに誘っただけなんだけどな……


 そして今、僕は幽月邸の面々に手放しで迎えられているのだ。老紳士も家政婦さんも、みんな僕に心からの笑顔を向けてくれる。逆に居心地が悪くなる。


「いや、本当に助かったよ。まさか記憶喪失が治った直後に再発するなんてね。君が居てくれなかったらどうなっていたか」

「い、いやぁ……僕は何にもしてないっすよ……?」

「謙虚な男だね。今日日きょうびなかなかお目にかかれるタイプの人間じゃない。気に入ったよ。乙木おとぎとは付き合っているのかい?」

「つ、付き合ってないです!」


 こんな風に、お父上から交際の許可が出るくらいに。僕のどこにそこまで気に入られる要素があるのだろか?


「まぁでも……」


 遠くで、家政婦さんによっておめかしされたキノを眺めながらぼやく。

 娘さんが虐めのストレスで、記憶に障害が出るほど苦しんでたんだからな。

 何かと気にかけるのも無理はないか。

 せっかくできた娘の初めての友達が、僕のようないい加減な男なのは残念なことかもしれないが。そんなうすらぼんやりしたことを考えていたからだろうか。


 篠宮乙木ーーもう面倒くさいからキノでいいか。キノと、目が合った。思い出す書斎での出来事。狭い机の下、抱き寄せたキノの細い体。背中に回した手。耳元で聞こえる小さな喘ぎ。


 途端に頬が熱くなる。

 見ると、キノの方も頬を染めてそっぽを向いている。自覚がなかったとはいえ、女の子をあんなに情熱的に抱きしめることになるだなんて……

 僕は正直嬉しかったが、キノはどうだったのだろう? やっぱり嫌だったのかな。それとも、もしかしたら……


 そばにあったドリンクを一気飲みし、沸騰しそうな頭を冷やす。こんな思いをするのなら、こんなところこなきゃよかった。心の中でそう嘯き、お祭り騒ぎの中に加わった。


***


「お嬢様、きつくないでしょうか?」

「うん、大丈夫。ありがとう、木村さん」


 薄汚れた病衣を脱ぎ捨て、白と紺のワンピースに着せかえてもらう。木村さんは、私に名前を呼ばれて大層驚いているようだ。それも無理はない、私はつい先ほどまで記憶喪失していたのだから。


 あのとき、書斎でモップを持った木村さんに見つかってから、私の中の記憶はどんどんと回復の兆しを見せていった。

 今回の記憶喪失は精神のストレスからくる本格的な健忘ではなく、治りかけの記憶に偶発的なショックが加わって起こったちょっとした不運のようなもので、本来回復にそこまで時間のかかる症状ではなかったらしい。

 木村さんやお父さんといった、私と深い縁のある人物との面会によって、だいたいの記憶は取り戻せた。

 

 りーちゃんやお父さんにはまだこのことは話していない。

 病人扱いされるのは楽でいいし、何よりりーちゃんの前では未だ謎の少年キノのままでいたいのだ。

 そんな風に気持ちを持たないと、恥ずかしくてりーちゃんの顔などとても見れない。


 化粧室の扉を開けて、幽月邸のみんなの待つ大広間へと向かう。

 家政婦さんたちが黄色い歓声を上げて私を迎えれてくれる。

 お父さんもりーちゃんとの会話を中断し、似合わないウインクを投げかけてきた。

 心なしかオーケストラの演奏も気合いが入った気がする。それでも、私の瞳の奥には彼しか映っていなかったと思う。


 白状すれば、私は書斎で彼に抱きしめられたとき、自分が篠宮乙木しのみやきのときなどという少年ではなくて、篠宮乙木しのみやおとぎという名の少女だということに気づいてしまっていた。

 暖かい彼の腕の中で感じた締め付けるような切なさと安心感。初めての感覚なのに、すごく気持ちよかった。私は嬉しかったけど、りーちゃんはどうだったのだろう? 嫌々抱きしめてくれたのだろうか、それとも義務感から? もしかしたら……。


 私が熱く見つめすぎてしまったのか、りーちゃんと目が合う。見つめ合い、同時に頬が紅潮する。見てられなくなり、私はそっぽを向いて緩んだ表情をりーちゃんに見られないようにした。

 

 記憶喪失さん。もしもう一度訪れるのなら、あの時書斎で起こったことを全部記憶から消してもらえないだろうか。

 


 

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幽月邸の夜 地主 @Jinusi

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