『僕』編② 書斎

「……キノ、逃げるぞ!」

「え?ちょーー」


 僕はキノの手を奪い、近づいてくる音からできるだけ遠くに逃げる。

 どこに行けばいいのかなんてわからないが、あの足音に近づかない方がいいことだけはわかる。

 この幽月邸がどんな場所であろうと、不法侵入者である僕とキノを主人がそうそう許してくれる訳がない。

 何か言いたげなキノの手をしっかりと握りしめ、脇目も振らずに廊下を突き抜ける。


「おっと……ここだ!」


 館のある部屋の前で急ブレーキをかける。

 シンプルに『書斎』と書かれたルームプレートが飾ってある部屋だ。運良く目的地にたどり着いたようだ。書斎に入り、追ってくるナニカをやり過ごすことにする。


 隠れ場所を見つけたことにより、少し安心して周囲を見回す余裕ができた。

 僕たちが入り込んだ書斎は、書斎と言ってもかなり大きく、古本屋のような雰囲気の本の山だった。

 ここなら万一踏み込まれても、本に隠れて見つからなさそうだ。安堵のため息をついて、マホガニーの椅子に腰掛ける。


「キノ、とりあえずここでじっとしてよう。機をみて逃げ出すんだ」

「肝試しは? もういいのか?」

「もうそんなこと気にしてる場合じゃないだろう? 今はこの館から逃げ出すのが最優先だ」


 どこまでもマイペースなキノに、付き添う身として若干の辟易を禁じ得ない。 キノは危機管理能力が著しく低いようだ。人気のない洋館に僕と二人きりで、しかも正体不明のナニカに追われているというのに……

 やはり僕がきちんとキノ守ってあげなければ。正義感が湧き出たことで、僕の中の恐怖心がいったん鳴りを潜めた。


「よし……」


 一息ついて、僕は書斎の探索を開始する。

 どこかにいい逃げ道がないか、確かめるためだ。

 しかし残念ながら書斎から他の部屋に行く通路はなく、窓もあるにはあるが、地面までの距離が遠すぎる上に落下点はクッションとなるものが何一つない石畳だ。飛び降りての脱走はあきらめた方がいいだろう。

 キノをみると、どうやら僕と同じ結論にたどり着いたらしい。肩をすくめて嘆息を漏らしていた。


「りーちゃん、どこかに隠れてようか?」

「そうだな……っ!?」


 キノの提案に乗った直後、室内に聞き覚えのある電子音が響く。僕の携帯の着信音だ。

 おそらくグループの連中からだろう。クラシック音楽の大きな音響にまぎれて廊下側には聞こえないとは思うが、一応電源を切っておくべきだろうか。

 緩慢とした仕草で携帯をきり、書斎の扉に耳を立てて『ナニカ』の足音を聞く。


「……嘘だろ……!?」


 足音が、止まった。

 電子音が鳴り終わると同時に。まるで何か新しい発見があったように。ややあって、足音が再開する。微かだったそれはだんだんと大きくなったいく。

 近づいてきているのだ。未だみぬ異物が、獲物を見つけた異形の怪物のように。小さな気配を見逃さず、愚かな侵入者を喰らうために。


 『ナニカ』に、僕たちの居場所が見つかった。


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