幽月邸の夜

地主

『僕』編① エントランス

「……やっぱり、勝手に入るのはまずいんじゃないかな?」

「大丈夫大丈夫、人なんて住んでないって」


 重々しい木製の両開き扉を開き、屋敷の中に入る。

 照明は当然のように点いておらず、月光がある分外の方が明るいくらいだ。

 あまりの物静かさに若干の恐怖心を抱いたが、そばにいる知人に気取られないように奥に進む。


 暗闇に目を凝らすと、ここが小綺麗なエントランスホールであることがわかった。

 生温い風に揺られているシャンデリアは、こんな町外れの館ではなくご立派なホテルにでもくっついているのがお似合いなサイズだ。


「よし、キノ。さっさと行くぞ」

「行くって、どこに?」

「そんなもんは行ってから考えりゃいいのさ」


 足を止めているキノの手を取り、ホールの奥にある階段を上がる。

 キノが戸惑うのもよくわかる。外観だけでも一万坪以上の土地面積であることがわかるこの大豪邸、当てもなく突き進むには少々不安であろう。

 だが仕方ないのだ。僕は、この『幽月邸ゆうげつてい』が何坪の土地かもわからないからこそ、ここにいるようなものなのだから。


 謎に包まれた幽月邸の廊下を、震える足を押さえながら歩いている。

 キノの手前強がってはいるが、それもいつまで続くかわからない。

 幽月邸の館内は、夏なのに凍てつく夜風と漆黒の暗闇、豪華な装飾が妖しい雰囲気を演出している。

 生半可なお化け屋敷など比べ物にならないほど、恐ろしい。

 所々みしみし軋む床も、この館の背負ってきた闇の歴史の象徴のようで踏みしめるのさえ躊躇してしまう。


「き、キノ。ちゃんと付いてきてるか……?」

「大丈夫、置いてったりしないよ」


 不安故にキノに声を掛けるが、怪談の現場のような幽月邸においてもキノは余裕そうだ。キノとは出会ってそう間もないが、底知れない雰囲気が今の僕には頼もしくもある。


「それよりりーちゃん、どこまで行けばいいの?」

「分からん……多分、どっかに書斎がーー」


 肝試しのゴール地点を口にしようとしたが、最後までは言えなかった。突然、廊下の照明が全て点いた。廊下だけでなくエントランスホールのシャンデリアも点灯し、僕はこの幽月邸に電気が通っているという衝撃の事実を知る。

 どうやら、館中の照明が点いたようだ。


「……キノぉ……」

「電気が点いて良かったじゃん。探索が捗るよ」


 確かにキノのいう通りではある。しかし、僕たちが館内に入ったとほぼ同時に照明が点くという状況に、一切の疑問も戸惑いもないとはどんな神経を持っているのだろう。


 諦めて僕が探索を再開しようとすると、追い打ちをかけるように幽月邸の奥から重厚な音楽が響いてきた。明るいクラシック音楽のようだが、この状況ではハ長調もイ短調に変わる。


「ベートーヴェンの交響曲第九の第四楽章、歓喜の歌だね。オーケーストラでもいるのかな、この邸宅に」

「なんだよ……なんなんだよこれぇ……」


 寂しい洋館に知人と2人。おまけに見計らったように点いた照明とオーケーストラ。ホラースボットとして、シチュエーションは十分だ。仕掛け人がいるのならそろそろ僕たちの前に出てきてほしい。


「き、キノ、やっぱりーー」


 帰ろう、と言いかけたとき、キノの右手が僕の口を覆う。キノは唇に人差し指を当てて、静かにするよう指図する。大人しくじぃと黙っていると、朗々としたクラシックの音響の間に、不思議な音が紛れているのに気付いた。


 カタカタカタカタと、木の床を叩く音。その音は僕たちが入ったエントランスホールから、確かに僕たちのいる方に近づいてくる。ピチャピャピャと、水滴がしたたる音を交え、正体不明の存在が這い寄る足音。町外れの暗い洋館を、這いずり回る正体不明の存在。


 この幽月邸には、僕たち以外の何かがいる。下手人の僕たちを追う、ナニカが。

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