第10話 ‐嫉妬‐ ~ブラッディ・サン・キル・マイハート~
「もういい」
あたしは、進藤から離れ部屋にくるなり、嗚咽(おえつ)をもらした。
「……もういい。嫌だ。誰も、だれも信じたくない……ッ」
「――千夜」
「……どっかいけ!お前もどうせいつか、あたしを裏切るんだろ……っっ」
「……千夜、」
チカが、言葉をつまらせたのがわかった。
その現実に、胸が押しつぶされそうになって、思わず、涙があふれた。
「どっかいけ……! あたしに、あたしにかまうな……っっ!!」
その言葉に、チカが、溜め息をついたのがわかった。
あたしはびくりと震え、ひゅっ、と喉を鳴らした。
「千夜」
チカの手が、両目をふさいでいるあたしの手に触れた。
そう思った時には、視界はクリアになり、あたしの目の前にチカの顔が、せまっていた。
ちゅ……っ。
柔らかな感触と共に、まぶたに、チカの唇が触れる。
そのまま、何度もちいさくキスを落とされ、あたしは茫然(ぼうぜん)としたまま、されるがままになっていた。
「……ち、……か」
チカは、唇を離すと、あたしの体をぎゅっ、と抱いた。
「……裏切らねえ。お前のことは、もう、“二度と”」
「……うそ、だ」
「――嘘じゃねえ。そんなことをするぐらいなら」
オレは死ぬ、と、強く抱きしめられる。
痛いほどの抱擁(ほうよう)に、身じろぎをすると、チカは、よりいっそう、ぎゅうぎゅう、と締め付けるように、あたしを抱いた。
「……、はなせ……っっ」
暴れだすあたしに、チカの声が降る。
「離さねえ。もう、“二度と”、オレはお前を離さねえ。たとえお前が、泣いて嫌がっても……、オレを嫌って憎んで――刺し殺したとしても」
驚いて、言葉を失ったあたしに、チカは言った。
「だから、どっかいけ、なんて二度と言うな。……お前が望むなら、何だってしてやるから」
その言葉が、あまりにも切羽(せっぱ)つまっていたので、思わず、冷や水を浴びせられたように、目を覚まし、冷静になった。
「……チカ」
「言うな。お前は、オレだけをみていればいい。他のやつなんてみるな。あんな最低の親、こっちから捨ててやればいいんだよ。オレは……」
あたしは、チカの腕を振りほどき、平手を見舞った。
――パン……ッ!!
はあはあ、と肩で息をするあたしを、信じられないような瞳で、チカがみつめる。
「――最低。……お前がそんなやつだなんて、思わなかった」
「……千夜」
すがるように名を呼ぶチカを、にらみつけた。
「もう二度と、その名で呼ぶんじゃねえ。……~~お前なんか、あたしのダチじゃねえ!!」
そのまま、踵(きびす)を返すと、足早に立ち去った。
診療所のドアを出る際、双子坂に呼び止められたが、かまわなかった。
もう一秒たりとも、こんなところにいたくなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「くそ、くそ、くそ……っっ!!」
歩道を乱雑に歩きながら、あたしは悪態をついた。
進藤も、チカも、双子坂も、もう誰のことも信じられなかった。
絶望にも似た閉塞感(へいそくかん)が、胸を押しつぶし、ただ、破裂しそうないらだちだけが、いっぱいにあふれていた。
心臓がばくばくと脈打つ。
壊れる。壊れてしまう。
あたしのなかのあいつが、あのまばゆい太陽が、バラバラに砕け散って、この柔らかな心臓に、ふりそそぐ。
ガラスの破片が刺さるように、どばどばと、だらだらと血が流れ、そして、あたしは死ぬ。
……死んでしまう。
だれか。誰か、助けろよ。
チカ。
なんでこんな時に、お前は、あたしを助けてくれないんだ。
なんで、あのあたたかな掌で、あたしの息の根を止めようとするんだ。
なんで、お前は、いつも、あたしを裏切るんだ。
信じたいのに。お前を、お前だけは、信じてやりたいのに。
なんで。
「~~なんでだよ……っっ」
気が付くと、駆けだしていた。
なにもかも捨て、振り切るように、全力で走る。
走る。走る。
走って、走って、死ぬまで走り続けてやる――!!
ちょうど、十字路まで走ったところだった。
「――うわっっ!」
澄んだボーイソプラノが、降ってくる。
「……いて……」
あたしは、鈍(にぶ)い痛みと共に、しりもちをついた状態で、起き上がった。
「……おい坊主(ぼうず)……人にぶつかっておいて礼もなしかよ」
ガキは、よくみると、可愛らしい顔立ちをしていた。
小さい顔に、大きい黒々とした瞳。
生意気そうに吊(つ)り上った眉毛(まゆげ)、なめらかなミルク色の肌、亜麻色(あまいろ)の、柔らかそうな髪。
初々しいグリーンのパーカーは、その小さい体躯(たいく)には、着ているというより、着られている風だった。
控(ひか)えめにいっても、美少年といっていい、そんなガキだった。
あたしは、しげしげとみつめるのをやめて、盛大(せいだい)にこけたそいつに、手を差し伸べた。
「……立てるか?」
「お姉ちゃん、ずいぶん、やんちゃなんだね」
「……いきなりぶつかってきた、テメーがいうかよ」
不機嫌そうに、八つ当たりしたあたしに、ガキは、けろっとした顔で言った。
「うん。大丈夫。ごめんね、僕って、ちょっとそそっかしいから」
そう言うと、ガキはあたしの手を取り、立ち上がった。
ガキの血色のいい膝小僧(ひざこぞう)に、血がにじんでいるのをみて、あたしは顔をしかめた。
「お前……」
「これくらい、なんともないよ。すぐ直るから」
「でも……」
「大丈夫だって。お姉ちゃんこそ、気をつけなよ? 死相(しそう)が出てるから。それはもう……“くっきり”とね」
少年は、“にたり”と微笑った。
「……はあ?」
――“思想(しそう)”?
あたしは聞き間違いかと思い、聞き返した。
「じゃあね。かわいそうなお姉ちゃん。――僕のために、最後まで生き残ってね」
ぱたぱたと、再び駆(か)けていった、ガキの背中を見送りながら、あたしは思った。
なぜか、ずいぶん懐かしい感じがした。
まるで、同じシーンを、何度も逆再生されているかのような、
気持ちの悪い、既視感(きしかん)。
――あたしは、この時知らなかった。
残酷なゲームの最後のフェイズは、もうすでに、はじまりきっていることを。
軋(きし)み始めた、裏切りの物語は、もう、止まらない。
さあ、もう最後の舞台(ぶたい)を、はじめよう。
もう二度と繰り返すことの叶わぬ、死と喪失(そうしつ)と、裏切りの物語を。
――これで、最後。
――これが、最期。
あたし達に残された時間は、残りわずか。
ああ。もう一度、もし叶うなら。
〈失われた生〉を、取り戻せ。
――この魂の、すべてを賭(かけても――
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「くすくす……」
笑い声が、朝の歩道を、どこからか漂(ただよ)う。
雲が覆(おお)い、まばゆい日が、わずかに(かげ)陰った。
「とうとう、出会ってしまわれたのね。そうでなくては、面白くないわよね、ねえ、クリストフ」
女は、ベールで包んだ顔を揺(ゆ)らし、愉しそうに嘲笑(わら)った。
「さあ、愛しいわたしの子。――あなたは、いつ、この子を殺すのかしら?」
――楽しみ。ねえ、あなたも、そう思うでしょう? ――
風が吹き、次の瞬間には、女は消えていた。
まるで、最初から存在しなかったかのように――。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ああ。軋(きし)み始めた運命は、もう、止まらない。
血塗(ちまみ)れの太陽が、すべてを喰らうまで、もう、止まれない。
真昼と真夜中が交錯(こうさく)するとき、時空(じくう)は歪(ゆが)み、死という名の、永遠のループが繰り返されるだろう。
願いと欲望を抱きながら、最後の一回に、あたし達は挑(いど)む。
――これで、最後。
――これが、最期。
あたしは、何度だって誓う。
もう一度、もし、叶うなら。
お前を、信じてやりたいんだ。
お前だけは、救ってやりたいんだ。
あたしは、お前を赦(ゆる)し、抱きしめるために、生まれてきたのだから。
だから、チカ、もう泣くなよ。
……あたしは、お前のことを……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます