第3話 ‐愛しい夜‐ ~トラブリング・ダウン・シャドウナイト~【前編】



「遠馬(とおま)」


 目を丸くした少女を見返し、僕は病室へと入った。


「また無理をしたね」


 言って、白い、白すぎるベッドへと近寄ると、その横の椅子(いす)に座った。


「……別に」


 栗色のおさげを揺らして目をそらし、不機嫌そうに口をとがらせる彼女に、僕は言う。


「また、勝手に霊を祓(はら)ったんだろう。そうやってすぐ心を砕き、干渉(かんしょう)するのは君の悪い癖だ」


「遠馬には関係ない」


 頬を膨らませ、あさってをみつめるその姿に、触れようとして、思いとどまった。


「……関係あるって言ったら?」


 驚いたように、こちらを向いたナズナの頬を、ぎゅうっとつねった。


「……いひゃい」


「そういうことを言うからだよ。お仕置きが必要かな?」


 言って不敵に笑うと、「遠馬の意地悪」と即座に顔を赤らめて、再びそっぽを向かれた。


「君の体はひとつしかないんだ。もう少し、大切にすることを覚えたほうがいい」


「そんなこと言ったって……あ」


「ん?」と首をかしげた僕の肩に、ナズナが触れた。


——ばっっ!

 その手を勢いよく払った僕に、ナズナは傷ついたような顔をした。



「なんだよ。お前に悪いものが憑いてたから、祓ってやろうとしたのに」



「余計なお世話だ。ナズナ、君は、自分の状態がわかってるのか? そうやって聖人君子(せいじんくんし)のごとく、自分を安売りし、手当り次第に、祓(はら)っているから、意識を失って病院に運ばれるんだ。――いいかげんにしないと、もう二度と、見舞いに来ないよ」


「……わかってる。あたしにできることなんて、大したことじゃない。祓っても祓っても、心がよどんでいるかぎり、何度でも悪霊は襲ってくる。それでも、あたしにできるのは、これくらいしかないんだ。――あたしには、それぐらいの価値しかないから」


「ナズナ」


 僕は、俯いたナズナの顎(あご)をつかんで、無理やり上を向かせた。


「……価値がないなんて、誰が決めた。少なくとも、僕にとって、君は……」


 目を丸くして、されるがままになっているナズナの、こぼれ落ちそうな黒い瞳から目をそらすと、「いや……なんでもない」と席を立った。


「ちゃんと食べて寝るように。僕はこれから、大事な用がある。君なんかに構ってられないんだ」


「あっ、そう。」


 言葉とは裏腹に、泣きそうな顔をそむけた、ナズナの頭を撫でたい衝動を、なんとかこらえて、僕は病室を後にした。



「じゃあね。早く治すんだよ」


「……ん」


 ひらひらと手を振ると、ナズナは幼子のようにこくりと頷いた。




 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





 チカに連れられて、訪れた病院は、すごく広く、そしてハイテクだった。

 

 一面ガラス張りであり、オフィスを思わせるシステマティックな外観、外から透けて見える内装も、白々しいほどに白で統一され、まるで近未来の施設のようだった。


 自動ドアを抜け、中に入ると、想像通り、閑散かんさんとしており、冷房れいぼうと相まって、ただひたすらに、無機質で寒々しかった。


 そのうえ、申し訳程度に置かれた植木は、造花のようで、試しに触ると、はらり、と欠けてしまった。

……なんて不吉なんだ。


「全然、人がいないな」


「当然だろ。ここは、国ゆかりのやつしか収容されない、国営のビップだ。双子坂は、定期的にここに通っている」


「双子坂も、関係者なのか」


「ちげーよ。双子坂のお目当ては、病弱なオンナだろ。まだ一度も会ったことねえけど」


「ふーん」


 あの双子坂に、特定の女がいたことが驚きだったが、そこは流した。


 うろうろと目線をさまよわせ、落ち着かない気持ちになっていると、チカに、くしゃり、と頭を撫(な)でられた。


「チカ」


 ロビーに着くなり、遠くから、聞き覚えのある、クールな低音が降ってきた。


「双子坂」


 チカがあたしの手を引き、駆け寄る。


「オンナはもういいのか」


「別に、君が思うような関係じゃないよ」


 言って、「千夜」とこちらに顔を向けた。


「君も来たのか。ということは、話はもう、まとまったんだね」


「ああ。作戦会議だ。詳しくは、進藤の潜伏(せんぷく)先でしようぜ」


 囁くような小声で、チカは言った。


 その時、新たな声が降ってきた。


「遠馬」


 鈴を鳴らしたような声に、あたしは、目を見開いた。


 双子坂の後方のエレベーターから現れた、小さな体躯(たいく)。

 華奢(きゃしゃ)な体は、猫のパジャマに包まれていて、赤いリボンで緩やかに結ばれた栗色のおさげが、胸のあたりで揺れていた。


 中学生くらいだろうか。いや、小学生にもみえる。


 薄紅色の唇がなにか言いたそうに開かれ、猫のように可憐で、生意気そうな黒々とした瞳が、こちらをとらえると、きっ! と吊りあがった。


「と……双子坂、そいつら、誰だ?」


 少女は、遠馬、と呼ぼうとしたのか。

 だが、こちらを警戒するように、わざわざ言い直した。


「ナズナ。おとなしく寝ていろと言ったよね?」


「忘れ物したから、届けにきてやったのに」


 口をとがらせると、ぽいっと双子坂のモノらしき、青いメタリックのケータイを投げてよこした。


「危ないな」


 軽々と受け止めると、双子坂は顔をしかめた。


「忘れるお前が悪い」


 じとっ、と睨みつけると、少女……ナズナは再び、こちらをにらんだ。


「お前ら、遠馬のなんだ」


「この子達は……」


 言いかけた双子坂を遮って、チカが歩みを進め、ナズナに近づいた。


 触れそうなほど、近距離まで迫ってきたチカに、ナズナが体をそらし、警戒心をあらわにする。


「……な、なんだよお前」


「オレ達は、双子坂のダチであり、仲間だ。なんも心配すんな。オレ達は、双子坂に危害を加えたりしねえ」


「……そんなの、信じられるか」


 かばうように体を抱きしめて、ナズナが再び、にらみつける。


「そんな怖がるなって。――なあ、オレの後ろ、なんかだろ」


 びくり、とナズナが体を震わせた。


「……別に。なんのことだ?」


「金髪に、金色の瞳の野郎だよ。大きな体を揺らして、溜息をついてる。そいつの名前は、雷門っていって、オレの相棒だ。――お前にも、ちゃんとえてるよな?」


「……え……」


 ナズナが、大きな目を丸くする。


「お前には、霊が視えるし、触れるだけで、悪霊を祓ったり、鵺(ぬえ)の力を弱らせることができる。――そうだよな?」


 その言葉に、ナズナは体の緊張を解き、その黒々とした零れ落ちそうな瞳を、ぱあっと輝かせた。


「お前……それ、なんでわかった!!」


「双子坂から聞いた。オレと双子坂は、腐れ縁で、いわばパートナーだ。お前の知らないことも、いろいろ知ってるぜ?」


「ほんとか!! お前、すごいな!!」


 ナズナは、ぴょんとはねると、チカの手を取った。


「お前の名前は!?」


「チカ。炎に誓うと書いて、チカだ。よろしくな、ナズナ」


「カッコイイ名前だな!」


「だろ?」


 チカはそう言うと、ナズナの手を握りしめた。


「チカ」


 あたしは、思わず声をかけた。

 なんだか胸のあたりが、むかむかとして、落ち着かなかったからだ。


「ん? ああそうか、お前の紹介もしないとだな。こいつは千夜、オレの大切なダチだ」


「……どうも」


「千夜っていうのか!よろしくな!!」


 チカにすっかり気を許したのだろう、ついでとばかりに、あたしにも満面の笑顔を振りまいたナズナに、複雑な気持ちを抱えたまま、あたしは、「……よろしく」と頷いた。


 





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