【DEI】差別とは、人によって態度を変えること。

 UBIsoftがいよいよ倒産か、という話になってきて浮上した、中国系企業テンセントの黒い噂。中国が乗っ取りをする為にこのDEIムーブメントを仕掛けている、という陰謀論が登場してきてるらしい。


 そういや、近年まで中国当局の方針では「ゲームは人心を荒廃させる」とかで弾圧方向だったものが転換したんだっけか? ゲームや娯楽を制限すると人民の不満が溜まるばかりで当局への求心力が低下する、て。


 どこの国も政治が混迷してますが、例えばDEIとか言ってもそれを推し進める活動が言論弾圧やら反対派差別やらになってしまっちゃ意味がないわけじゃん。そのせいで今やDEIそのものが嫌われ始めてる。


 やることなすことがそんな調子で、中途半端に勘だけで結論を決めつけて実行するから失敗のツケが積み上がってゴミ屋敷みたいになるんだよ、各国が。


 まず、「相手を見て態度を変える行為」というのは反感を食らう行為ですよね。そういうヤツが居たら、だいたい皆、眉を潜めるわけですわ。その態度こそが差別だし、そんなヤツが説く差別反対なんて言葉に説得力なんかカケラもないわけよ。


 それは「相手を見て態度を変える」ことが差別の根源そのものであって、これが差別という行為の正体だからなんだけどさ、それを止めることが差別を止めることの体現なんだけど、その、ごく簡単なはずのことがなかなか実行出来ないんだよね。


 簡単なことなんだよ、我が子に相対する時を思い出して、いつ、どこの誰に対しても、愛する我が子と同じように、その人のことを真剣に考えた真摯な発言を心掛ければいい。そうすれば「相手を見て態度を変える」卑劣な変節漢にならずに済む。難しいけどね。


 教育者や宗教家のイメージってソレでしょ、差別と無縁でなきゃいけない職種はソレを求められてきたんだよ、歴史に答えがあったんだよ、最初から。


 常に、誰に対しても、それが敵対する相手であっても同じ態度を崩さないことが、唯一の差別的ではない人格の取るべき態度だからね、だから当然に、この差別という行為に反対する時にはそういう人格者になろうという志がなければならないだろうよ。でも現実には、差別反対を言う人ほど逆にそういう差別的行為を行ってしまうっていう皮肉な状態になってしまってる。


 差別を考えるなら、じゃあ逆に、どんな行いが差別ではないのかを真剣に、中途半端ではなしに突き詰めて考えなきゃいけないんだよ。中途半端はすべて逆に都合のいい差別を生み出すんだから。


 だから私なんぞは、感情優先の最近の風潮がとっっっても、気に入らないね。



「差別」という単語は結論だ。それを使えば、脳みそは勝手に結論が出たと勘違いする。本当には吟味と精査を重ねて、疑義をもって検証しないといけないのに、結論が出たと勝手に決めつけてズボラをかますんだ。恥ずべきことだ。


 おまけにその発端はと言えば、感情だ。不快感を覚えた、差別だ、怒りを発現しなきゃ!で直列思考で完結してるのは動物と同じだぞ。どんどん頭が悪くなる。

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