ソドムゴモラは芸術家の都だったかも…

 旧約聖書に書かれたソドム、ゴモラという、神の怒りに触れて滅ぼされた都市の名前だが、実際は何を指していたんだろうかというのは長年の疑問だった。


 今朝方、いきなりピコーンと来て、「ああ、奢れる芸術家の都市か、」と納得がいった。日本の場合に限らず、だいたい神話とか宗教書ってのは実際の何かがモデルとして取り上げられていると思われるが、そのモデルが何だったのかはなかなか出てこないよね。ソドムにしても、何を指したんだろうとは思っていた。本当にそんな都市があったとは思ってなくて、どこかよく知られた場所で起きた何かの事件だろうと思っていた。そいつが、クリエイターの弾圧事件だったんじゃないか、という閃き。


 ふつう、芸術が弾圧されるなんてよほどのことだ。為政者の支持を失わなければ、そんなことは起きない。それも個人単位ではなく、全体の問題として芸術界隈に何か都合の悪い風潮でも起きねば、社会から孤立無援で擁護も湧かないというほどでなければ、そんなことは起こりえないはずだ。それが起きたということではないか、と思っていて。


 その、為政者どころか社会全体に睨まれるような風潮とはどんなものだったのか、が長年疑問だった。政治批判などの単純な話ではない、知らず、芸術全体が染まるような……そんな中、最近のマトメなど見ていて、また閃きが。


 最近のクリエイター界隈は、ちょっと調子に乗りすぎている気がしないかい?


 いや、ピンキリのクリエイターたちのうち、プロとか完全独自路線とかの方々は無関係かも知れなくて、二次創作界隈だのSNSでの漫画やラノベ界隈と限定して言ってしまっていいかも知れないんだが。


 なんというか……「何様だ、」という感じの空気?


 原作者がへりくだってお願いする、二次のエロ創作は止めてくれというツイートへの反応だとか、フェミニストの苦情苦言に対する拒絶反応だとか。どうしたって優しい意見より強い言葉の方が目立つわけで、実際は両者が半々だったとしても外から見た時には強い言葉が全体であるかのように錯覚する。それが偏見の発生メカニズムだろう。(しかも、芸術家の主張の根幹にあるものは一つで、要約すれば「生きた人間より芸術が尊重されるべし」に集約されてしまうのだ)


 どこかの都市で、芸術家たちの間に驕った空気が形成されて、自分たちの描く権利は天命をも凌ぐ、とやらかしたのだ、と。その空気そのものが嫌われ、為政者の怒りに触れた時には誰の支持も得られなかった、と。


 一瞬にして、ピコーン、と。いつもの「天啓が……キタ――――!!」だった。



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