「表現の自由」は「誰かの権利侵害」を容認などしない ④
フェミニズムが問題とする「女性差別」において、表現を問題視する時にちょいちょい聞くのが「表現者自身が囚われている性役割の価値観を表現に落とし込んでしまう」と言うリクツ。朝食を作るのは多くが女性、とかですな。それは表現の側からしたら、「いや、現実を映しているだけではないか、」という反論になります。
これですよ、これ!
「現実を映している」という言い訳は、先の「表現の自由」が規定される条件、「テーマ性があり、それが社会的に価値を認められるものである」がここに来るわけ!
しかし、現実問題として社会は、「そういう現実を問題視している」という逆ベクトルの価値観へと推移しているってところを表現者は考慮しなきゃいけないってことですよ。すなわち、「理想としてどーすんじゃ!!」というお叱り。
そういや、科学読本だったか何かの掃除機持った女性の表紙絵が盛大に燃えたのもリクツが付きますな、こうなると。「未来を謳っているのに、その未来においても理想の絵面が『掃除機持つのは女』なのか」というお叱りになる。つるつるてーんなスチールのロボが掃除機持ってたら燃えなかったでしょう、うん。画面半分に割って、昭和の背景に女性が掃除機と未来を背景にロボが掃除機ならね。
これ、表現者はわりと「無意識」なのがことの重要な根っこです。
表現が、肯定的に差別の表装を描いても差別との批判を受けないで済むのは、「現実を映しているのだ、」と言える場合の創作の時のみです。でなければ差別は差別なので認めねばならない。
別にそういう価値観なのだったら、堂々としてればヨロシイ。女性差別の何が悪い、も正しいので。批判はもちろんあるでしょうが。
ダブスタをすると他の表現者のお邪魔なので、ご遠慮いただきたい、というだけです。
【追記(2023/01/31):
フェミが持ち出した基準は、フェミという「いち学派」の創作造語でしかない。その定義も名称も理屈もだ。創作物にすぎないソレで、現実の誰かに罪を背負わせている。差別者に仕立て上げている。
(面倒になってきたんで、以後決定打を貼り付けて終わらせる。)
そろそろ単純化していく。
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